【苦しみは誰かがジャッジするものではない】

 

先日お会いした、帝王切開で出産したAさん。

どうしても帝王切開を受け入れられなくて、「産んだ」ではなく「出した」と表現されていらっしゃいました。

理由をお聞きしていくと、

帝王切開での出産が、赤ちゃんに会える最善の方法だったと、素人の私でも思いました。

 

 

それでもやっぱり何かがその方の心に重い重い蓋をしているんです。


そして、やっと話して下さったのが、

産後、お知り合いのところに赤ちゃんを見せに行った時のこと。

その方が、Aさんに「産後、元気で良かったわね」と伝えると、一緒にいたAさんのお母さんが

 

 

「そうなのよ。この子、産みの苦しみを味わっていないからね」って。

 

 

 

その言葉が頭から離れない。

 

この一言を話してくださるのに、何度唇を噛みしめただろう・・

 

何度深呼吸されただろう・・


帝王切開になった理由よりも

お母さんのその一言が、もうずっと何年も 自分のがんばりを打ち消してる。


あんなにがんばったのに

あんなに会いたかった赤ちゃんに会えたのに

赤ちゃんもお母さんに抱っこしてもらえる日を心待ちにしていたのに

産後、元気なのが一番なのに!

 

 

 

なのに、「産みの苦しみを知らない」というお母さんの言葉を丸ごと受け取ってる。

 

 

 

 

産みの苦しみって何ですか?

何を経験したら「産みの苦しみ」ですか?

 

 

陣痛ですか?
産道を通ることですか?

いきむことですか?

 


帝王切開はそこに入りませんか?
狭い手術台の上でエビのように丸くなって

背中に麻酔をして

点滴をして

尿導カテーテルをつけられて

おなかを切って

産後はズキズキ痛んで

傷の上に3キロの赤ちゃんを抱っこする

それは「苦しみ」には入りませんか?

 

私は身体ももちろんですが、心も苦しかったです。

 

 

そもそも「苦しみ」は比べるものじゃない。
誰かがジャッジするものでもないんです。

 

それを知っているのは自分だけだから。

 


誰かの個人的な感想に惑わされているならやめましょう。
他人の苦しみをジャッジしている人が間違っているんです。
その言葉を信じて離さないあなたも、ずっとその人と一緒にそこにいるっていうことです。



お母さんに会うために、お子さんがくれたサイン。
お子さんに会うために決断したあの日のこと。

 

 

どうぞまっすぐに、フィルターをかけず、ただただシンプルに自分に起きたことを見つめてください。

 

 


出てきたんじゃない。

産まれてきてくれたんです。

おめでとう!

おめでとうラブラブラブラブ

 

 

 

 

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