真っ暗な家
寝静まった家。
かつて、俺の家だった家。
今では俺の家。
今でも俺の家。
でも、俺の家じゃない。
この家の中に、今の俺の居場所は無い。
此処には過去しか無い。
時間が止まってる家。
思い出が詰まってる家。
夢ばかり見ている家。
だから、決して目覚めない。
夢だけを見続けている家。
過去だけを語り続けている家。
だから、この家に十六歳の俺の居場所は無い。
真っ暗な部屋。
鎮まりきった部屋。
俺もこの家で夢を観よう。
◆
じりりりりー!
聞き慣れた鐘の音が、夢の世界の終わりを告げる。
嫌な昼の社会の始まりだ。
いや、結局は昨日と同じ様な今日を繰り返すのだから、始まりと言うのは間違いだ。
寝起き早々、寝ぼけたままそんな事を愚痴る。
俺は毎朝こんな感じだ。
「あ~、何でかな~もう。…眩しい。」
窓からは、俺の目を潰さんとばかりに朝日が俺の全身にぶっ刺さる。
兎に角、学校へ行くため支度をする。
制服に着替えた俺は一階へ降りる。
居間のテーブルの上には、ラップの掛けられた俺の朝食が置いてあるが、俺はそれに触れることなく家を出る。
いつもと変わらない、一人っきりの朝。
これが普通。
俺の日常。
そしてまた、いつの間にか陽が暮れる。
そうだ、俺がAT始めたって庵藤に言ったら、あいつ驚くだろうな。
散々ATやりたいって言ってたし。
ある程度出来るようになったら、話してやろう。
歩き馴れたいつもの帰り道で、そんな事を思う。
家に着くなり、俺はまたすぐに支度をする。
今度はATの練習の用意だ。
AT用に専用のウェアはまだ用意してないが、近々買うつもりだ。
「今日二十二時、港湾地区倉庫街の入口、か。」
口に出して確認する。
早く時間にならないかと、胸が高鳴る。
服を着替えATを鞄に詰めて、また一人っきりの家を出る。
約束の場所へ、夜の世界へ…。
◆
電車と徒歩で一時間と少し。
夕陽に照らされ橙に染まった倉庫街に脚を踏み入れる。
急かす自分の心とは裏腹に、陽はなかなか沈んでくれない。
約束の時間まで長いので、一人で練習を始める。
昨日インターネットで調べた簡単なトリックを早く試してみたくてしょうがないが、走って止まれなければ問題外だ。
鞄からATを取り出して履き替える。
全く違和感の無い履き心地、羽の様な軽さ、そして自分の一部の様な一体感。
正に感動の一瞬だ。
その瞬間、突風が俺を取り巻き、吹き抜ける。
風は力強く、しかしどこか優しさを感じた。
俺を歓迎しているのか、まるで待ちわびたと言わんばかりに甲高い音と共に駆け抜けていく。
初めてだ。
これほどまでに風と親近感を感じたのは。
何の違和感も、
不自然さも、
戸惑いもなく、
俺は風に背中を押されるがまま、駈け出した。
辺りは夕闇、陽は地平線の下に消え、空は向こうの方だけうっすら橙で、手前側に進むにつれてその色は一層深く沈んでいく。
闇に溶け込んでいく倉庫街には、ちらほらと小さな白熱灯が灯る。
あれから、一時間も経っちゃいない、約束の時間まではまだある。
「時間はまだあるし、飯でも食べに行くか。あ、そうだ、ついでにいいウェアがないか探してみるか。」
そう言って、俺は駅へ向けて歩き出した。
ファースト・フード店で夕食を済ませてから、俺は四ッ谷橋駅に隣接したデパートを散策する。
欲しいのは、動きやすいズボンとジャケット。
紳士服売り場を見つけては、見て歩き回る。
そしたら、良いのが有るじゃないか。
真白のカーゴパンツとほんのり灰がかった白のジャケットのセット。
俺は考えるより速くコレをレジへ持って行く。
会計の時に少々度肝を抜かれたが、構わず購入。
意気揚々と、俺はそのまま家へ一直線に帰った。
◆
息絶え絶えに走っていくと、その先には門が閉められた倉庫街の入口の前に立って待つ秋人さんが、その眉間に何本ものシワを走らせていた。
「初日から遅刻とは、良い度胸じゃないかひよっこ。」
一度帰って着替えて来たのが仇となったか。
十分の遅刻だ。
「…すいません。」
ただただ、謝るばかりだ。
「まあいい、どうせ、その新品のウェアに着替えてきたせいだろ?ほら、さっさと中はいるぞ。」
「えっ?なんでわかったんですか?」
「値札、付いてるぞ。それに、さっき真新しい“傷”を見つけてな。あれ、お前のだろう?」
秋人さんの指さす所は、確かに俺が走った所だ。しかも、【Wall Ride/ウォール・ライド】を試して唯一成功した所だ
「この傷は、ウォール・ライドか。初心者だってまるわかりだな。
見りゃすぐ解る。」
「…傷?」
「ATでトリックをきめるとな、そのトリック特有の“傷”が残るんだ。
同じトリックを、同じ場所で、何度も繰り返し練習して、いつしかその“傷”は繋がって“道”になる。
つまり、道とはそのライダーの記録だ。
だから、その“道/ロード”には、そのライダーの
“誇り/プライド”、
“夢/ドリーム”、
“軌跡/メモリー”全てが詰まってる。
道は、ライダーの全てだ。
ほら、入るぞ。」
…。
入るって、どこから?
前回は、雷公から貰った地図にあった金網の穴から入ったが、暗くてよく分からなかったし、なによりもう忘れた。
「秋人さん、入るってどこから?」
「バ~カ、このフェンスを越えてに決まってるだろう?」
「え゛?」
「助走はフェンスから十八メートル。お前の実力を見せてもらうよ。」 「いや、俺まだ走るのがやっとで…!」
「あぁ、知ってるよ。あのウォール・ライドもまぐれだろ?
て言うか、まだ何にも教えてないのに走れるんだ。
へぇ、凄い。」
もはや、聞く耳持たずと言わんばかりに、秋人さんは無理矢理に話を切る。
無理を承知でやるしかないようだ。
しかし、三メートルはあるだろうこのフェンスを越えるなんて、ATで出来るのかがまず疑問だ。
「ちなみに、俺は八メートル跳べる。」
…。
完全に心を読まれた。
「て言うか、八メートル!?
ATでそんなに跳べるのか…?いや、そもそもATって走るための物…。」
「弥人、覚えとけ。ATは 翔/ツバサ だ。ただ走る為だけの物でも、ただ跳ぶ為だけの物でもない。その扱い方はそれぞれだ、“お前の様に”な。」
「え…!?」
「実はあの後にな、雷公がお前と入れ違いに来たんだ。」
「そういえば秋人さん、あの時雷公のこと探してましたよね。」
「あぁ、ホント弥人のおかげだよ。でもな、こっちの話はお構い無しでお前のことばっか話すんだよ。だから、お前のことは全部聞いてる。」
そうか、まぁ秋人さんなら、雷公よりは信用できる。
あのまっくろくろすけ、何考えてるかさっぱり分からないからな…。
それっきり、秋人さんは黙ってしまった。
やっぱりやるっきゃ無いのか。
こうなりゃやけくそだ。と、意を決してスタート位置につく。
「一つ、良いことを教えてやるよ。ポイントはタイミングだ。いいか、弥人、風を聴け。」
…?
言っている意味がさっぱり解らない。
とりあえず、呼吸を整えてフェンスを越えるイメージを浮かべる。
微かに向かい風が吹いている。
しばらく風の音を聴いてみる。
風は緩やかに流れている。
一瞬、風に体を引っ張られた気がした。
次の瞬間、俺は反射的に駆け出した。
片足を振り上げて、回転して遠心力をつける。
俺の体は引っ張られる様に空中を飛ぶ。
一メートル下には、あのフェンスがある。
着地は…、大丈夫。
下から強い風がある。
そのままだ、行ける!
凄い。体の震えが止まらない。
ATってスゴい!
フェンスの向こうの秋人さんも目が点になっている。
「やべえ、出来た!」
驚きと興奮で立ち尽くす俺を、秋人さんは凝視する。
「有り得ねえ…。今日始めた奴が【One Foot Air Line】だと?
まぐれにも程が有るだろ…。」
「秋人さん、こっち来ないんですか?」
「…ん、あぁ、すぐ行く。」
【Upper Roll‘Twister' Sidefall 540
/アッパーロール‘ツイスター’サイドファー フィフティフォーラブ】
助走をつけて、体をひねりながら上へ跳ぶ高等テクニック。
このトリックを当たり前にやってのける秋人さんは、やっぱり屈指のトップライダーなのだろう。
「驚いた。まさか本当に越えるとは思ってなかったよ。」
「…!出来ないとわかっててやらせたんだ!?」
「ははっ!まぁ結果オーライだ。
さて、まずは基礎の基礎、“走/ラン”だな。
ちゃんとまっすぐに走れるようにならないとな。
んじゃ、むこーまで走ってきて。
それじゃ、はじめ!」
月下の倉庫街に、風を切る音が鳴り響く。
◆
弥人をロビーまで送って部屋に帰ってきたら、真っ黒の“あいつ”が碧のソファに座って、呑気にテレビ見てやがる。
「あ゛!テメッ!?」
「おっ、や!久しぶりだねぇ。元気だったぁ?」
「あんたどっから入った!?」
「どっからって、ベランダかラ。」
「…。」
「弥人の事だけど、煉帝としてキミはどう見る?」
「どうって…、まだ分かんないさ。あいつの“走り”を見てみないと。」
“いつもの雷公”に戻って、あいつは今日会ったばかりの人間の事を聞いてきた。
当然、解るわけがない。
けど雷公は、さも当たり前の様に聞いてきた。
自分はもう、弥人の本質を見抜いていると言わんばかりに。
「そうか、気づいて無いならいい。後でイヤって程に解るだろう。」
「何のことだ?」
「彼は果たして、一体どっちの道を選ぶんだろうねぇ…?」
“どっちの道”?
二択ってことは、“走る”道の事じゃ無いだろう。あれは数えきれない程有る。
いや、ライダー一人一人が自分の道を走っていると考えるなら、ライダーの数だけ道は有る。
ってことは、道とは例えだ。けど、何の…?
「もしかしたら、最大の障害になるかもね…。」
雷公は、一体何が言いたいんだ?
障害って、誰にとって?
「彼は、君と似ている。彼も、君と同じ“才”を持っている。彼は、自分の才を見つけることが出来るかな…?」
雷公がベランダに出る。
「待て!あんたは、誰だ…、誰なんだ!?」
二年前と同じ質問。
「空(じゆう)を目指す者」
二年前と同じ答え。
「あんたは、なんで翔(と)ぶ!?」
二年前と同じ質問。
「自分達の解放の為」
二年前と同じ答え。
「…今宵は良い月だ。良い風も吹いている。」
紅き満月に照らされた鵺梟(やきょう)は、朱月黒夜に消えていった…。
「なんであんたは、いつも、何もかも見透かしてるくせに、なのに、それを、自分の危険を、避けようとしないんだ…。
俺は、諦めない…。必ず、あんたを…!」
⇒No.5
寝静まった家。
かつて、俺の家だった家。
今では俺の家。
今でも俺の家。
でも、俺の家じゃない。
この家の中に、今の俺の居場所は無い。
此処には過去しか無い。
時間が止まってる家。
思い出が詰まってる家。
夢ばかり見ている家。
だから、決して目覚めない。
夢だけを見続けている家。
過去だけを語り続けている家。
だから、この家に十六歳の俺の居場所は無い。
真っ暗な部屋。
鎮まりきった部屋。
俺もこの家で夢を観よう。
◆
じりりりりー!
聞き慣れた鐘の音が、夢の世界の終わりを告げる。
嫌な昼の社会の始まりだ。
いや、結局は昨日と同じ様な今日を繰り返すのだから、始まりと言うのは間違いだ。
寝起き早々、寝ぼけたままそんな事を愚痴る。
俺は毎朝こんな感じだ。
「あ~、何でかな~もう。…眩しい。」
窓からは、俺の目を潰さんとばかりに朝日が俺の全身にぶっ刺さる。
兎に角、学校へ行くため支度をする。
制服に着替えた俺は一階へ降りる。
居間のテーブルの上には、ラップの掛けられた俺の朝食が置いてあるが、俺はそれに触れることなく家を出る。
いつもと変わらない、一人っきりの朝。
これが普通。
俺の日常。
そしてまた、いつの間にか陽が暮れる。
そうだ、俺がAT始めたって庵藤に言ったら、あいつ驚くだろうな。
散々ATやりたいって言ってたし。
ある程度出来るようになったら、話してやろう。
歩き馴れたいつもの帰り道で、そんな事を思う。
家に着くなり、俺はまたすぐに支度をする。
今度はATの練習の用意だ。
AT用に専用のウェアはまだ用意してないが、近々買うつもりだ。
「今日二十二時、港湾地区倉庫街の入口、か。」
口に出して確認する。
早く時間にならないかと、胸が高鳴る。
服を着替えATを鞄に詰めて、また一人っきりの家を出る。
約束の場所へ、夜の世界へ…。
◆
電車と徒歩で一時間と少し。
夕陽に照らされ橙に染まった倉庫街に脚を踏み入れる。
急かす自分の心とは裏腹に、陽はなかなか沈んでくれない。
約束の時間まで長いので、一人で練習を始める。
昨日インターネットで調べた簡単なトリックを早く試してみたくてしょうがないが、走って止まれなければ問題外だ。
鞄からATを取り出して履き替える。
全く違和感の無い履き心地、羽の様な軽さ、そして自分の一部の様な一体感。
正に感動の一瞬だ。
その瞬間、突風が俺を取り巻き、吹き抜ける。
風は力強く、しかしどこか優しさを感じた。
俺を歓迎しているのか、まるで待ちわびたと言わんばかりに甲高い音と共に駆け抜けていく。
初めてだ。
これほどまでに風と親近感を感じたのは。
何の違和感も、
不自然さも、
戸惑いもなく、
俺は風に背中を押されるがまま、駈け出した。
辺りは夕闇、陽は地平線の下に消え、空は向こうの方だけうっすら橙で、手前側に進むにつれてその色は一層深く沈んでいく。
闇に溶け込んでいく倉庫街には、ちらほらと小さな白熱灯が灯る。
あれから、一時間も経っちゃいない、約束の時間まではまだある。
「時間はまだあるし、飯でも食べに行くか。あ、そうだ、ついでにいいウェアがないか探してみるか。」
そう言って、俺は駅へ向けて歩き出した。
ファースト・フード店で夕食を済ませてから、俺は四ッ谷橋駅に隣接したデパートを散策する。
欲しいのは、動きやすいズボンとジャケット。
紳士服売り場を見つけては、見て歩き回る。
そしたら、良いのが有るじゃないか。
真白のカーゴパンツとほんのり灰がかった白のジャケットのセット。
俺は考えるより速くコレをレジへ持って行く。
会計の時に少々度肝を抜かれたが、構わず購入。
意気揚々と、俺はそのまま家へ一直線に帰った。
◆
息絶え絶えに走っていくと、その先には門が閉められた倉庫街の入口の前に立って待つ秋人さんが、その眉間に何本ものシワを走らせていた。
「初日から遅刻とは、良い度胸じゃないかひよっこ。」
一度帰って着替えて来たのが仇となったか。
十分の遅刻だ。
「…すいません。」
ただただ、謝るばかりだ。
「まあいい、どうせ、その新品のウェアに着替えてきたせいだろ?ほら、さっさと中はいるぞ。」
「えっ?なんでわかったんですか?」
「値札、付いてるぞ。それに、さっき真新しい“傷”を見つけてな。あれ、お前のだろう?」
秋人さんの指さす所は、確かに俺が走った所だ。しかも、【Wall Ride/ウォール・ライド】を試して唯一成功した所だ
「この傷は、ウォール・ライドか。初心者だってまるわかりだな。
見りゃすぐ解る。」
「…傷?」
「ATでトリックをきめるとな、そのトリック特有の“傷”が残るんだ。
同じトリックを、同じ場所で、何度も繰り返し練習して、いつしかその“傷”は繋がって“道”になる。
つまり、道とはそのライダーの記録だ。
だから、その“道/ロード”には、そのライダーの
“誇り/プライド”、
“夢/ドリーム”、
“軌跡/メモリー”全てが詰まってる。
道は、ライダーの全てだ。
ほら、入るぞ。」
…。
入るって、どこから?
前回は、雷公から貰った地図にあった金網の穴から入ったが、暗くてよく分からなかったし、なによりもう忘れた。
「秋人さん、入るってどこから?」
「バ~カ、このフェンスを越えてに決まってるだろう?」
「え゛?」
「助走はフェンスから十八メートル。お前の実力を見せてもらうよ。」 「いや、俺まだ走るのがやっとで…!」
「あぁ、知ってるよ。あのウォール・ライドもまぐれだろ?
て言うか、まだ何にも教えてないのに走れるんだ。
へぇ、凄い。」
もはや、聞く耳持たずと言わんばかりに、秋人さんは無理矢理に話を切る。
無理を承知でやるしかないようだ。
しかし、三メートルはあるだろうこのフェンスを越えるなんて、ATで出来るのかがまず疑問だ。
「ちなみに、俺は八メートル跳べる。」
…。
完全に心を読まれた。
「て言うか、八メートル!?
ATでそんなに跳べるのか…?いや、そもそもATって走るための物…。」
「弥人、覚えとけ。ATは 翔/ツバサ だ。ただ走る為だけの物でも、ただ跳ぶ為だけの物でもない。その扱い方はそれぞれだ、“お前の様に”な。」
「え…!?」
「実はあの後にな、雷公がお前と入れ違いに来たんだ。」
「そういえば秋人さん、あの時雷公のこと探してましたよね。」
「あぁ、ホント弥人のおかげだよ。でもな、こっちの話はお構い無しでお前のことばっか話すんだよ。だから、お前のことは全部聞いてる。」
そうか、まぁ秋人さんなら、雷公よりは信用できる。
あのまっくろくろすけ、何考えてるかさっぱり分からないからな…。
それっきり、秋人さんは黙ってしまった。
やっぱりやるっきゃ無いのか。
こうなりゃやけくそだ。と、意を決してスタート位置につく。
「一つ、良いことを教えてやるよ。ポイントはタイミングだ。いいか、弥人、風を聴け。」
…?
言っている意味がさっぱり解らない。
とりあえず、呼吸を整えてフェンスを越えるイメージを浮かべる。
微かに向かい風が吹いている。
しばらく風の音を聴いてみる。
風は緩やかに流れている。
一瞬、風に体を引っ張られた気がした。
次の瞬間、俺は反射的に駆け出した。
片足を振り上げて、回転して遠心力をつける。
俺の体は引っ張られる様に空中を飛ぶ。
一メートル下には、あのフェンスがある。
着地は…、大丈夫。
下から強い風がある。
そのままだ、行ける!
凄い。体の震えが止まらない。
ATってスゴい!
フェンスの向こうの秋人さんも目が点になっている。
「やべえ、出来た!」
驚きと興奮で立ち尽くす俺を、秋人さんは凝視する。
「有り得ねえ…。今日始めた奴が【One Foot Air Line】だと?
まぐれにも程が有るだろ…。」
「秋人さん、こっち来ないんですか?」
「…ん、あぁ、すぐ行く。」
【Upper Roll‘Twister' Sidefall 540
/アッパーロール‘ツイスター’サイドファー フィフティフォーラブ】
助走をつけて、体をひねりながら上へ跳ぶ高等テクニック。
このトリックを当たり前にやってのける秋人さんは、やっぱり屈指のトップライダーなのだろう。
「驚いた。まさか本当に越えるとは思ってなかったよ。」
「…!出来ないとわかっててやらせたんだ!?」
「ははっ!まぁ結果オーライだ。
さて、まずは基礎の基礎、“走/ラン”だな。
ちゃんとまっすぐに走れるようにならないとな。
んじゃ、むこーまで走ってきて。
それじゃ、はじめ!」
月下の倉庫街に、風を切る音が鳴り響く。
◆
弥人をロビーまで送って部屋に帰ってきたら、真っ黒の“あいつ”が碧のソファに座って、呑気にテレビ見てやがる。
「あ゛!テメッ!?」
「おっ、や!久しぶりだねぇ。元気だったぁ?」
「あんたどっから入った!?」
「どっからって、ベランダかラ。」
「…。」
「弥人の事だけど、煉帝としてキミはどう見る?」
「どうって…、まだ分かんないさ。あいつの“走り”を見てみないと。」
“いつもの雷公”に戻って、あいつは今日会ったばかりの人間の事を聞いてきた。
当然、解るわけがない。
けど雷公は、さも当たり前の様に聞いてきた。
自分はもう、弥人の本質を見抜いていると言わんばかりに。
「そうか、気づいて無いならいい。後でイヤって程に解るだろう。」
「何のことだ?」
「彼は果たして、一体どっちの道を選ぶんだろうねぇ…?」
“どっちの道”?
二択ってことは、“走る”道の事じゃ無いだろう。あれは数えきれない程有る。
いや、ライダー一人一人が自分の道を走っていると考えるなら、ライダーの数だけ道は有る。
ってことは、道とは例えだ。けど、何の…?
「もしかしたら、最大の障害になるかもね…。」
雷公は、一体何が言いたいんだ?
障害って、誰にとって?
「彼は、君と似ている。彼も、君と同じ“才”を持っている。彼は、自分の才を見つけることが出来るかな…?」
雷公がベランダに出る。
「待て!あんたは、誰だ…、誰なんだ!?」
二年前と同じ質問。
「空(じゆう)を目指す者」
二年前と同じ答え。
「あんたは、なんで翔(と)ぶ!?」
二年前と同じ質問。
「自分達の解放の為」
二年前と同じ答え。
「…今宵は良い月だ。良い風も吹いている。」
紅き満月に照らされた鵺梟(やきょう)は、朱月黒夜に消えていった…。
「なんであんたは、いつも、何もかも見透かしてるくせに、なのに、それを、自分の危険を、避けようとしないんだ…。
俺は、諦めない…。必ず、あんたを…!」
⇒No.5