真っ暗な家
 寝静まった家。
かつて、俺の家だった家。
今では俺の家。
今でも俺の家。
でも、俺の家じゃない。
 この家の中に、今の俺の居場所は無い。
此処には過去しか無い。
 時間が止まってる家。
思い出が詰まってる家。
 夢ばかり見ている家。
だから、決して目覚めない。

夢だけを見続けている家。
過去だけを語り続けている家。
だから、この家に十六歳の俺の居場所は無い。

真っ暗な部屋。
鎮まりきった部屋。
俺もこの家で夢を観よう。





じりりりりー!
聞き慣れた鐘の音が、夢の世界の終わりを告げる。
嫌な昼の社会の始まりだ。
いや、結局は昨日と同じ様な今日を繰り返すのだから、始まりと言うのは間違いだ。
寝起き早々、寝ぼけたままそんな事を愚痴る。
俺は毎朝こんな感じだ。
「あ~、何でかな~もう。…眩しい。」
窓からは、俺の目を潰さんとばかりに朝日が俺の全身にぶっ刺さる。
兎に角、学校へ行くため支度をする。

制服に着替えた俺は一階へ降りる。
居間のテーブルの上には、ラップの掛けられた俺の朝食が置いてあるが、俺はそれに触れることなく家を出る。

いつもと変わらない、一人っきりの朝。
これが普通。
俺の日常。
そしてまた、いつの間にか陽が暮れる。

そうだ、俺がAT始めたって庵藤に言ったら、あいつ驚くだろうな。
散々ATやりたいって言ってたし。
ある程度出来るようになったら、話してやろう。
歩き馴れたいつもの帰り道で、そんな事を思う。

家に着くなり、俺はまたすぐに支度をする。
今度はATの練習の用意だ。
AT用に専用のウェアはまだ用意してないが、近々買うつもりだ。

「今日二十二時、港湾地区倉庫街の入口、か。」
口に出して確認する。
早く時間にならないかと、胸が高鳴る。
服を着替えATを鞄に詰めて、また一人っきりの家を出る。
約束の場所へ、夜の世界へ…。





 電車と徒歩で一時間と少し。
 夕陽に照らされ橙に染まった倉庫街に脚を踏み入れる。
急かす自分の心とは裏腹に、陽はなかなか沈んでくれない。
約束の時間まで長いので、一人で練習を始める。

昨日インターネットで調べた簡単なトリックを早く試してみたくてしょうがないが、走って止まれなければ問題外だ。

鞄からATを取り出して履き替える。
全く違和感の無い履き心地、羽の様な軽さ、そして自分の一部の様な一体感。
正に感動の一瞬だ。
その瞬間、突風が俺を取り巻き、吹き抜ける。
風は力強く、しかしどこか優しさを感じた。
俺を歓迎しているのか、まるで待ちわびたと言わんばかりに甲高い音と共に駆け抜けていく。

初めてだ。
これほどまでに風と親近感を感じたのは。

何の違和感も、
 不自然さも、
 戸惑いもなく、
 俺は風に背中を押されるがまま、駈け出した。


辺りは夕闇、陽は地平線の下に消え、空は向こうの方だけうっすら橙で、手前側に進むにつれてその色は一層深く沈んでいく。
闇に溶け込んでいく倉庫街には、ちらほらと小さな白熱灯が灯る。
 あれから、一時間も経っちゃいない、約束の時間まではまだある。
「時間はまだあるし、飯でも食べに行くか。あ、そうだ、ついでにいいウェアがないか探してみるか。」
そう言って、俺は駅へ向けて歩き出した。

ファースト・フード店で夕食を済ませてから、俺は四ッ谷橋駅に隣接したデパートを散策する。

欲しいのは、動きやすいズボンとジャケット。
紳士服売り場を見つけては、見て歩き回る。
そしたら、良いのが有るじゃないか。
真白のカーゴパンツとほんのり灰がかった白のジャケットのセット。
俺は考えるより速くコレをレジへ持って行く。
会計の時に少々度肝を抜かれたが、構わず購入。

意気揚々と、俺はそのまま家へ一直線に帰った。





息絶え絶えに走っていくと、その先には門が閉められた倉庫街の入口の前に立って待つ秋人さんが、その眉間に何本ものシワを走らせていた。
「初日から遅刻とは、良い度胸じゃないかひよっこ。」
一度帰って着替えて来たのが仇となったか。
十分の遅刻だ。
「…すいません。」
ただただ、謝るばかりだ。
「まあいい、どうせ、その新品のウェアに着替えてきたせいだろ?ほら、さっさと中はいるぞ。」
 「えっ?なんでわかったんですか?」
 「値札、付いてるぞ。それに、さっき真新しい“傷”を見つけてな。あれ、お前のだろう?」

 秋人さんの指さす所は、確かに俺が走った所だ。しかも、【Wall Ride/ウォール・ライド】を試して唯一成功した所だ

 「この傷は、ウォール・ライドか。初心者だってまるわかりだな。
 見りゃすぐ解る。」
 「…傷?」
 「ATでトリックをきめるとな、そのトリック特有の“傷”が残るんだ。
 同じトリックを、同じ場所で、何度も繰り返し練習して、いつしかその“傷”は繋がって“道”になる。
 つまり、道とはそのライダーの記録だ。
 だから、その“道/ロード”には、そのライダーの
“誇り/プライド”、
“夢/ドリーム”、
“軌跡/メモリー”全てが詰まってる。
 道は、ライダーの全てだ。

 ほら、入るぞ。」

…。
入るって、どこから?

前回は、雷公から貰った地図にあった金網の穴から入ったが、暗くてよく分からなかったし、なによりもう忘れた。
「秋人さん、入るってどこから?」
「バ~カ、このフェンスを越えてに決まってるだろう?」
「え゛?」
「助走はフェンスから十八メートル。お前の実力を見せてもらうよ。」 「いや、俺まだ走るのがやっとで…!」
 「あぁ、知ってるよ。あのウォール・ライドもまぐれだろ?
 て言うか、まだ何にも教えてないのに走れるんだ。
 へぇ、凄い。」

 もはや、聞く耳持たずと言わんばかりに、秋人さんは無理矢理に話を切る。
 無理を承知でやるしかないようだ。
しかし、三メートルはあるだろうこのフェンスを越えるなんて、ATで出来るのかがまず疑問だ。

「ちなみに、俺は八メートル跳べる。」

…。
完全に心を読まれた。
「て言うか、八メートル!?
ATでそんなに跳べるのか…?いや、そもそもATって走るための物…。」
「弥人、覚えとけ。ATは 翔/ツバサ だ。ただ走る為だけの物でも、ただ跳ぶ為だけの物でもない。その扱い方はそれぞれだ、“お前の様に”な。」
「え…!?」
「実はあの後にな、雷公がお前と入れ違いに来たんだ。」
「そういえば秋人さん、あの時雷公のこと探してましたよね。」
「あぁ、ホント弥人のおかげだよ。でもな、こっちの話はお構い無しでお前のことばっか話すんだよ。だから、お前のことは全部聞いてる。」

そうか、まぁ秋人さんなら、雷公よりは信用できる。
 あのまっくろくろすけ、何考えてるかさっぱり分からないからな…。

それっきり、秋人さんは黙ってしまった。
やっぱりやるっきゃ無いのか。
こうなりゃやけくそだ。と、意を決してスタート位置につく。

「一つ、良いことを教えてやるよ。ポイントはタイミングだ。いいか、弥人、風を聴け。」

…?
言っている意味がさっぱり解らない。
とりあえず、呼吸を整えてフェンスを越えるイメージを浮かべる。

微かに向かい風が吹いている。

しばらく風の音を聴いてみる。

風は緩やかに流れている。

 一瞬、風に体を引っ張られた気がした。

次の瞬間、俺は反射的に駆け出した。
 片足を振り上げて、回転して遠心力をつける。
 俺の体は引っ張られる様に空中を飛ぶ。
一メートル下には、あのフェンスがある。
着地は…、大丈夫。
下から強い風がある。
そのままだ、行ける!

凄い。体の震えが止まらない。
ATってスゴい!
フェンスの向こうの秋人さんも目が点になっている。
「やべえ、出来た!」

 驚きと興奮で立ち尽くす俺を、秋人さんは凝視する。
「有り得ねえ…。今日始めた奴が【One Foot Air Line】だと?
 まぐれにも程が有るだろ…。」
 「秋人さん、こっち来ないんですか?」
「…ん、あぁ、すぐ行く。」

 【Upper Roll‘Twister' Sidefall 540
 /アッパーロール‘ツイスター’サイドファー フィフティフォーラブ】
 助走をつけて、体をひねりながら上へ跳ぶ高等テクニック。
 このトリックを当たり前にやってのける秋人さんは、やっぱり屈指のトップライダーなのだろう。

「驚いた。まさか本当に越えるとは思ってなかったよ。」
「…!出来ないとわかっててやらせたんだ!?」
「ははっ!まぁ結果オーライだ。
さて、まずは基礎の基礎、“走/ラン”だな。
ちゃんとまっすぐに走れるようにならないとな。
んじゃ、むこーまで走ってきて。

 それじゃ、はじめ!」


月下の倉庫街に、風を切る音が鳴り響く。





弥人をロビーまで送って部屋に帰ってきたら、真っ黒の“あいつ”が碧のソファに座って、呑気にテレビ見てやがる。
「あ゛!テメッ!?」
「おっ、や!久しぶりだねぇ。元気だったぁ?」
「あんたどっから入った!?」
「どっからって、ベランダかラ。」
「…。」

「弥人の事だけど、煉帝としてキミはどう見る?」
「どうって…、まだ分かんないさ。あいつの“走り”を見てみないと。」
“いつもの雷公”に戻って、あいつは今日会ったばかりの人間の事を聞いてきた。
当然、解るわけがない。
けど雷公は、さも当たり前の様に聞いてきた。
自分はもう、弥人の本質を見抜いていると言わんばかりに。

「そうか、気づいて無いならいい。後でイヤって程に解るだろう。」
「何のことだ?」
「彼は果たして、一体どっちの道を選ぶんだろうねぇ…?」

“どっちの道”?
二択ってことは、“走る”道の事じゃ無いだろう。あれは数えきれない程有る。
いや、ライダー一人一人が自分の道を走っていると考えるなら、ライダーの数だけ道は有る。
ってことは、道とは例えだ。けど、何の…?

「もしかしたら、最大の障害になるかもね…。」

雷公は、一体何が言いたいんだ?
障害って、誰にとって?

「彼は、君と似ている。彼も、君と同じ“才”を持っている。彼は、自分の才を見つけることが出来るかな…?」

雷公がベランダに出る。
「待て!あんたは、誰だ…、誰なんだ!?」
二年前と同じ質問。

「空(じゆう)を目指す者」
二年前と同じ答え。

「あんたは、なんで翔(と)ぶ!?」
二年前と同じ質問。

「自分達の解放の為」
二年前と同じ答え。

「…今宵は良い月だ。良い風も吹いている。」

紅き満月に照らされた鵺梟(やきょう)は、朱月黒夜に消えていった…。


「なんであんたは、いつも、何もかも見透かしてるくせに、なのに、それを、自分の危険を、避けようとしないんだ…。

 俺は、諦めない…。必ず、あんたを…!」



⇒No.5
あの日以来、俺はずっと逃げていた。
自分で、自分の両親を殺してしまったあの日から。
あんな所へ行かなければと、行きたいと思わなければと、悔やみ続けた。憎み続けた。
いつしかそれは、親を殺した事実では無く、許せない自分が今居る現実へと変わってしまった。

 なんで逃げてるんだろう?
 理由も目的も、とうに忘れた。
 ただ、現実から逃げているという事実が、俺にとって唯一の真実だから。
 だから、逃げ続けた。

―現実逃避、

ツバサがあれば、もっと遠くへ逃げれるかな…。



「過去に向かって走るのも、いいんじゃないか?」
雷公はそう言った。
なら、そうしよう。

「これを、俺に?」
「そう、君の翔だ。」
足下に在るアタッシュケースから、俺は自分の翔を手に取った。
それは、とても軽くて、温かくて、まるで自分の一部にさえ思えた。

「さて、早速だが君は此所に行ってきなさい。とっておきの先生がいるから。」
俺は雷公の言うまま、お使いをする事になった。





電車で三十分、徒歩で更に三十分。
港湾地区の倉庫街で、月に照らされた二人の影を見つける。
 一人は消え、一人は残った。
雷公から預かった手紙を読み上げると、影は驚いた様子でこっちに飛んで来た。
「お前、雷公に会ったんだな!?」
そうだ、と答えると切羽詰まった感じで、すぐそこへ案内してほしいと言う。
訳が分からないので、とりあえず案内する事にした。
ところが俺が駅へ向かおうと言うと、は?と驚いた顔をする。
「お前、ATは?まさか履いてねぇの!?」
と言うか、さっき貰ったばかりだ。
そう彼に告げると、彼は掌で顔を覆い深い溜め息をついた。
「じゃあ、そのアタッシュケースは、何?」
説明すると長いので、目認してもらった。
あー、なるほど。と彼は唸った。
此所までの所要時間を言ったら、彼はまた深い溜め息をついた。
どうやら諦めた様だ。
「ヂバチの情報だったから、まさかハズレはねぇと思ってたが、こいつはとんだ大当りだ…。」

 雷公の時もそうだったが、いつも自分は蚊帳の外だ。
 なんのことか、ちっとも分からない。
 そして彼もまた、雷公と同じ様に、自分の部屋へ来いと言う。
 軽くたらい回しにされている気分だ。いや、実際そうか。
 雷公は、いい先生がいるから、と言っていた。おそらく彼がその先生なのだろう。
 つまりあいつは、渡す物渡して後は人任せ、と。
 なんて他力本願な奴だ。
 そう思うと、少し彼が可哀想に思える。
 そんな事を考えながら俺は、彼、秋人さんの部屋へ向けて歩を進めるのだった。





「好きな処に腰掛けてくれ。温かい珈琲でもだそう。」
倉庫街から一転、都心に佇む高層マンションの十二階、此処は秋人さんの部屋だ。
 使って無いのか、戸に鍵が掛かった部屋が一つ、玄関から居間へ通じる廊下の途中に在る。
薄暗い廊下を抜けると、都会の夜景を一望出来る硝子張りのリビングがある。
 軽く二十畳は有るだろうか、居間がこんなにも馬鹿でかい2LDKは、一人暮らしの秋人さんには広過ぎる気がする。
 キッチンに立つ秋人さんを背中に、部屋の真ん中に在るガラステーブルを囲む様に置かれた大きな碧いソファに座る。

とりあえず、今の俺には幾つか疑問が…。
一息着いて、その内の一つを聞いてみる。
「秋人さんって、歳いくつですか?」
「ん~?十七。はい、珈琲、インスタントだけど。砂糖とミルクは此所に…。」
やっぱりそうだったのか。
この部屋を見た時には、違うのか?と、一瞬思ったが、最初に倉庫街で会った時から、どうも雰囲気は俺と同じ十代のものを感じていた。
 「それなら、秋人さんは何故ストームライダーなんかになったんですか?」
「!…。やっぱり、魅力があるじゃないか。」
秋人さんは、いたって普通に答える。しかし、微かにどこか険しい表情を垣間見せた。

「さて、それじゃ次はこっちの番だ。君は、何の為に走る?何を目指す?」
珈琲を口に含む俺に、秋人さんからの質問だ。
「自分の為に…自分の過去へ…!」
迷わず俺は答えた。
 秋人さんは、それで納得した様だ。
何故かは分からないけど。
とにかく俺は、これからストームライダーとして走って行く為の準備を、秋人さんにいろいろと教わりながら手伝って貰った。

ATの扱い方、
ストーム・ライダーという存在、
夜の世界について…。

まず、ATでの走行は、踏み込めばホイール内のモーターが反応、回転する、という仕組みだ。
ブレーキは無いのでスピン・ターンというトリックで止まる。
基本的なトリックはまだあるが、ひとまずこれだけ。
後々、教えてくれるそうだ。

ストーム・ライダーは皆、自分の道に、そしてストーム・ライダーとしての自分自身に対して絶対的な【誇り/エンブレム】を持っている。
これが、ストーム・ライダーの最低条件。

そして、この夜の世界について、ストーム・ライダーの第一世代からの唯一の決め事。
 “総てのストーム・ライダーは、昼の世界に干渉してはならない”
これを守らなかった者は、容赦無く、【裁断者/ジャッジメント】に始末される。
裁断者、その名の通り、裁く者。
昔、ATが今の様に流通し始めた頃現れた第二世代の暴風族/ストーム・ライダーの横暴を食い止める為に結成された八人の王からなるチーム。
雷公もかつて、そのメンバーの一人だったそうだ。
 今更だが、つくづくあいつは謎が多過ぎる。

「過去は、また今度話してやる。」
秋人さんはそう言って、これ以上話してくれなかった。

「さぁ、早速明日から練習始めるぞ。二十二時に倉庫街の入口だ。」
どうやら本当に俺の面倒を見てくれる様だ。
昼の社会じゃ有り得ない現実だ。
「本当に、俺の練習に付き合うつもりですか!?」
思わず本音が零れる。
「あぁ、手紙にもあったろ、“焔城ノ主ニ預”って、だから俺が弥人の面倒を見る。」
「えーと、て言うかそもそもその“焔城の主”って、なんですか…?」
「んあ?…、あぁこれか。これは比喩だよ、雷公お得意の、な。あいつからの手紙はいつもあんな感じだから、すぐに判るのさ。」

ああ、どおりで、あの時手紙を読んだだけですぐに差出人が雷公だと判ったのか。
「で、その意味は?」
「そうか、まだ話して無かったな。“十六王帝”についてだ。」


―十六王帝―
八人の王と、四人の四天王、四人の帝を表す、暴風族第一世代の総称だ。
つまり、第一世代は全部で十六人。
その内の八人の王が今のジャッジメントの正体だ。
当時、四天王は表立った行動はしなかったし、四帝に関しては殆ど情報が残って無い。
だから実際はいなかった、と言う説が有力だ。
何故なら、現在帝の称号を持っている四人は皆、第二世代/セカンド・ライダーの出現以降にその名を受けている事から、
当時、第一世代つまり、ファースト・ライダーの中に帝は居なかった。
実は、第一世代は十二人だったんだろう。
世間ではそう言われている。

悪い、話が逸れた。
結論は、焔城の主=煉帝である俺のこと。

と、秋人さんは淡々と語るが、俺は最後の一節に度肝を抜かれた。
秋人さんが帝!?
帝ってことはやっぱり名実両方とも凄いんだよな?
そんな人に教われるなんて、自分はラッキーだ。





 バーで雷公に魅せられたトリックが、未だにこの網膜に焼き付いたままで、なんとも言えない高揚感が全身を駆け回っている。
 胸が躍るとはこの事か。
 明日の練習が待ち遠しくてたまらない。
 俺の日常は、昼の人間にとっての非日常となった。
 気が付けば日付はとうに変わって、街はすっかり寝静まっていた。
 当然、全ての交通機関は、今日の運行を終えているので、仕方がないので歩いて帰る。
 この漆黒の闇の中を進む俺を照らすのは、薄暗い街灯と満点の星空に浮かぶ真ん丸い月の灯りだけだ。
 真っ黒な景色は、まるで映画館の巨大スクリーンの様にストーム・ライダーとして駆けていく自分のイメージを鮮明に次々と映していく。
 たまにすれ違う自動車のライトで、自分の世界から現実に度々引き戻される。
 時間が静かに、そしてゆっくり流れるこの夜の国は、俺にはぴったりだ。
だが、蓋を開けてみれば、実は今晩の様に浮かれてはいられなかったと、翌日後悔する事になろうとは夢にも想っていなかった。

 そんな、深夜の帰り道。



⇒No.4
此処は、住宅街から駅前の大通りを越えた繁華街の、路地裏に在る廃ビルの地下バー。
当たり前だが、今じゃもう営業なんてしていない。
今では、彼のアジトになっている。

時刻は九時半過ぎ、すぐそこの繁華街は未だに賑わっている。

「あいつの言う『部屋』って、ココ…?」
如何にも訳有りって感じだ。
まぁ、そもそも、こんな所へ来たのには理由が有る訳で、と言うか、例のあいつに呼ばれた訳で…。

話は、約五時間前に逆上る。





「興味があるのはいいけド、ボク責任持たないヨ?」
そう懸念するのは、例の真っ黒なあいつだ。

俺は答えない。
交通事故で両親を亡くし、臨死を体験した俺にとって、今更怖いものなんて無い。
自らの意志を固め、決意した。
いいから、と押し通す。

 あいつの反応を伺う。
あいつの、その薄暗いサングラスの向こうの瞳は、冷えきっていた。
深々と、その暗闇は全てを飲み込んで、全てを見通す様だった。
 それは、今までに俺が感じてきたどの怖れよりも強烈で、何とも言い様の無い恐怖。
 そう、あいつの瞳はまるで、『死』その物だ。

たった今、そして、今更気付いた。
あの、意味深な骨組みもそうだが、
しかし、それ以上に俺に怖れを抱かせる原因。
それは…。

 「あんた…、一体…?」
表情を崩し、何?、と言わんばかりに首を傾げるが、
あいつの瞳は相変わらず冷め切ったままだ。

少しだけ、後悔した。
別に、生に固執しちゃいないが、あいつといるとそのまま精気を吸い取られてしまう気がしてならない。
これほどまでに惨たらしい環境は、そう無いだろう。

永い様で短かった沈黙の後、開口一番、あいつは自分の部屋で話をしようと言い出した…。





今日の夕方、俺が初めてあいつに会い、交わしたやり取りだ。
故に、俺は今この廃墟の前にいる。
ボロボロに崩れたコンクリートの階段を下りて、小さめの扉の前に立つ。
 意を決して、その扉を開ける。

中は薄暗く、オレンジ色のライトが疎らに、低い天井に燈っている。
前がバーだっただけに、外見とは裏腹に内装は洒落ていて、薄暗さで更に幻想的に映る。
 見渡すと、ビリヤードに麻雀、ダーツ、隅にはスロットなどが、決して広くは無い店内に点在している。

目を凝らすと、奥のバーカウンターの長机に一人の影が見えた。
そこへ向かって歩を進めると、向こうから声が掛かった。
「やぁ、よくきたネ~。待ってたヨ。」
 あいつは、夕方の時と変わらず、全身真っ黒だ。
 しかし、表情は柔らかく、夕方の時の様な冷やかな目はしていなかった。
 あいつが座る長机の上には、ノートパソコンが一台、見知らぬ装置がつながった状態で置いてある。

 「随分と、気取った部屋だな。」
「ボクのお気に入りの場所だヨ。」
あいつは俺に、水の入ったコップを差し出した。
俺に、飲めと言うのか。

俺は、手渡されたコップを長机に置き、近くの椅子を手繰り寄せ、それに腰掛ける。
「別に毒なんて入ってないサ、警戒しなくていいって。」
「つい5時間前に会ったばかりの人間を、信用しろって言う方が無理だ。」
そりゃそうだ、と言って、あいつは俺が長机に置いたコップの水を飲み干した。

「キミは、ボク達のことをどれ位知っているノ?」
面持ちを改め、さっきよりかは幾分真面目な表情で、あいつは口を割った。
俺に聞いているのか、しかし間髪入れずにあいつは話を進める。
「知る訳無いか。
 キミが今、この【閃帝・雷公】の前にいるという事実が、何よりの証拠…か。」

―センテイ…、ライコウ…?
何を言っているのか、さっぱり分からない。
この、真っ黒の変な格好をした奴のことなのか?
「その、閃帝・雷公って、なんなんだ?
 俺の前って、お前が、その…?」
あいつは答え無い。
ただ、静かな笑顔で俺を見ている。
やはりこいつは、雷公は、まるで全てを見透かして知っているかの様に微動だにせず、
ただ静かに、静かに見据えている。

どうもだめだ。こいつといると、沈黙が続く。
その沈黙は、俺の時間感覚を狂わせる。

一体、どれ位の時間が経ったのだろうか。
バーカウンターの向こうの壁に掛けて在る時計を見れば済む事だが、どうしてもこいつから目が離せない。
 何かの、凄みを感じるから。
 自分とはかけ離れた、天上の偉人を目の当たりにしている様だ。

緊張に固まる俺に、雷公が口を開いた。
「あの“骨組み”の前に居たキミに、ボクは声を掛けたけど、キミは、最初はボクの声に気付かなかったよね。どうして…?」

…。

どうしてだろうか。

自分でも分からない。

何故だろうか、まるで靄がかかった様に思い出せない。

「…、思い、出せない…!?」

…。
雷公は、黙ったままだ。
俺は必死になって思い出そうとした。
でも、結果は見えていた。
一度忘れてしまった事を、再び思い出すのは至難の業だ。まして、自我を失っていた時の記憶なら尚更…。
雷公には、それが分かって居たのだろう。
だからあいつは、何も言わない。
その代わり、あいつは長机から下りて靴の踵を踏み込むと、付いているホイールが回転した。
その瞬間、聞き覚えのあるエンジン音と一緒に爆音が鳴り響き、雷公の姿が消えた。と、思えば次は宙を舞っている。

【Burn Upper Spining, Arch on Foot Air Line】
今魅せたのは、高速回転で床との沸点を超えたホイールで生み出した炎に風を送り、爆発を起こし、それを利用して弧を描いて宙を舞う“トリック”
今、雷公が履いているホイールの付いた靴【Air・Treck/エア・トレック】を使った技=トリックだそうだ。

―聞キ覚エノ有ルえんじん音―

あの夜聴いた、風を斬る嵐の音…。

そうだ、俺はあの“骨組み”からあの夜聴いた音を聴いたんだ。 それは、俺にはまるで、死神の言葉じゃない呻き声に聞こえたんだ。
 だから俺は、アレに畏怖した。
 だけど、その後に誘うかの様な“声”が聞こえたんだ。
 あれは、確かに“声”だった。

思い出した。

俺は、風に誘われた。

俺は、風の声を聴いたんだ!





 「駄目です。一通り調べましたが、何も見つからなかったです。」
 「…、そうか。此処もハズレか。」
 「確かに、港湾地区なら人目は少ないですが、隠れる場所が在りません。これ以上の捜索は…。」
 「ああ、判ってる。引き上げよう。」

 「秋人さん、あの“ヂバチ”からも情報を買ってるそうですが、一体誰を探してるんですか?」
 「“正体不明の超有名人”だよ。今回は、彼等からの情報だから当りだと思ったんだが…。」
 「はぁ…。でも、てことは秋人さんも正体知らないんですよね?」
 「どんな奴かは知っている。【烈火の玉璽/レッカのレガリア】を受け取る時に、一度だけ会っているからな。」
 「え゛っ!?てことは、秋人さんの探してる人って…!」
 「な?超有名人だろ?」
 「見つかりませんって!あの人確か随分前に消えてそれっきりって…!」
 「なに、死んじゃいないだろうさ。」
 「…ご愁傷様です。」
 「オイオイ、勝手に殺すなよ…。」



 バーでのやり取りから約二時間後、俺は、雷公のお使いで港湾地区の倉庫街にいる。
 時刻はとうに十一時を回って、長針は文字盤の四を点している。
 雷公から渡された地図を懐中電灯で照らしながら、暗い倉庫の隙間を縫って行く。

 しばらくして、開けた所に出ると、向こうの倉庫の上に、朱い満月を後ろに二人の影を見つけた。
 そういえばあの時も、夕陽を背にしたあいつは真っ黒で、影めいていた。
 まぁ、あいつは元より真っ黒だったっけ。

 一人は倉庫の向こうに消えて、一人は俺を睨み付ける。
 …誰だ。と、敵意丸出しの問い掛けに、俺は雷公から渡された手紙を読み上げる。

 『朱月ノ宵ニ獏ヲ一匹
  焔城ノ主ニ雛ヲ一羽
  真名ヲ以、貴殿ニ預
  梟賢父、閃帝・雷公』





なんと信憑性に欠ける理由だろうか。
 “風の声を聴いた?”
何とも馬鹿げている。
自分で言ってこう思うのだ。他人が聞いたら、さぞかし笑い転げてくれるのだろうな…。

だけど、雷公の反応は違った。
奴は、解った風な素振りを見せる。なるほどな、と。
気に食わない。
 あいつは一人で納得している。
当人の俺を差し置いて…。
 少し待ってろ、と言って、あいつは奥の部屋に行ってしまった。

しばらくして帰って来た雷公は、小さめのアタッシュケースを持っていた。
 手紙と一緒にそれを俺に寄越すと言うのだ。
雷公曰く、“お使い”らしいが…。
地図を手渡し、此処に行って欲しいと言う。
「此処って、港湾地区じゃないか。」
「そーだヨ。それを持ってそこへ行って欲しいんダ。」

本当に、無礼を弁えない奴だ。
今日見知ったばかりの相手にお使いだと!?
断固お断りだ。
時刻だって十時過ぎだ。
学校だってある。
それよりなにより、こんな所に三十分も長居してしまった事が不覚だ。
「ふざけるな、こっちは学生だ。明日も当然学校がある。俺はもう帰るぞ。」
えー!、と表情を歪めるあいつを無視して、三十分前に入ってきた小さめの扉に脚を運ぶ。
さあ、扉を開けようとドアノブに手を掛けた瞬間、背中越しに雷公から声が掛かった。

「君には、どうやら“風を呼ぶ”力がある様だ。
 そして、君自身も風の様だ。
 君なら“飛ぶ”のに【翔/ツバサ】は要らないだろう。
 だが、もし君が本気で“翔ぶ”つもりなら、“コレ”は必要不可欠だろう。」

さっき雷公が奥の部屋から持ってきた小さめのアタッシュケース、それが今、開いた状態で俺の足下に在る。
その中には、スポーツシューズに超小型モーターが組み込まれたホイールが前後に付いている、といういたってシンプルな、
しかし、しっかりとした創りの AT=エア・トレック が、半身がスポンジに埋まる様な形で丁寧に保管されていた。

「これって、もしかして…!」
「君が今、一番欲しているモノだろう?
 そして、今の君に最も必要なモノだ。
 抜け出したいのだろう?
 退屈な毎日から…。
 苦が充満仕切った社会から。
 自分は何も出来ないという無力感から!
 ならば君は、それを受け取るべきだ。
 後の君にとって、ATは大きな糧に成るだろう…。」

「………ざけんなよ…!

あんたに俺の何が分かる!」
背中越しに、俺は雷公に怒鳴った。
だけどあいつは答え無い。その代わりに、あの刺す様に冷たい視線を背中に感じた。
蛇に睨まれた様に動けない。

「分かるんだよ、君はいつかのボクにそっくりだ。だから分かる。
 その反抗がなによりの証明さ。
 君には才がある、翔びたいと渇望している。」

「違う…!
 俺は…、ただ、俺は…!」
「…過去を忘れる為に、現実から逃げるのか?」
「俺は…!」
「未来を視ず、今から目を背け、過去ばかり振り返るのか?」
「…、俺ハ…!」
「当時、幼かった君にその才は、その風は、手に余る代物だったろう。
 でも今なら、君にとってその才は、いい追い風になるだろう。
 ライダーが走る理由は様々だ。
 君の様に、過去に向かって走るのも、悪くない…。」

俺はもう、何も言えなかった。
ただ、溢れて来る熱い物を、惜しみ無く流すことしか…。



≫No.3