会社を真剣に辞めようかと嫁氏に相談したところ、いつ?いつ?いつやめんの?と、めっちゃ楽しみにされている四角四面ロボです。
さて、前回の続きを。
前回、人は言葉でものを考えているというお話しをしました。
言葉が、生まれたとき、最初は少ない単語を組み合わせ、工夫しながらコミュニケーションを行っていたわけですが、この頃は、言葉で考えようにも、言葉が少なくて、考えることはできません。
その頃は、イメージした情景や、沸き上がってくる感情のイメージを、身振り手振り、絵を描いたり、言葉を工夫して組み合わせて、他者へ伝えていました。
さて、現在。
言葉は…日本語だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語、中国語、ハングルなどなど、様々な国の言葉はとてつもない量のボキャブラリーを有するに至りました。
豊富な単語を有するがゆえに、言葉で考えることが容易になりました。
言葉で考えていると、他者へ伝える際にも、そのまま言葉で伝えることができるので、コミュニケーションの活発化が進むようになります。
高度化した社会では、他者とのコミュニケーションが必須ですし、コミュニケーションを駆使し、より有利な交渉を行う能力を求められるようになりました。
そして…言葉に縛られるようになりました。
説明できないものについては、無理矢理に名付け、言葉で縛り付け、理解して、自分のものにしたような気分にひたり、悦に入るようになります。
それは、言葉に縛られてるに過ぎないことに気づかないふりをしているだけです。
その証拠に、言葉で説明がつかないものに、嫌悪感を抱くひと、拒否反応をしめすひとが多いですよね。
さて…現在。
この言葉に縛られてる苦しさに、そろそろ限界を感じてきている方々が増えてきたように思います。
少なくとも身近にいる嫁氏は、そんな縛りなんざぁいらないっ!と言い切っている一人です。
言葉に縛られることをやめたとき…
自分をそのままに受け入れられます。
だって、自分自身すべてを言葉で表現できないでしょ?
言葉にとらわれているから、言葉で説明できない自分自身を気づけないでいるのです。
言葉で説明しきれるような矮小な存在ではないのですから、言葉に囚われることを捨てて、自分をそのままに認めてしまいましょう。
ちなみにロボは、言葉に頼ります。
他者の心を動かすことができるのは、言葉ですから。
言葉に囚われることなく、言葉を活用して生きていきたいものですね。