暖かいお言葉を大変多くの方々より、様々な形でいただきました。
本当にありがとうございます。
この場を借り、御礼申し上げます。
母もどこかで喜んでいると思います。
弟から冷血漢呼ばわりされている四角四面ロボです。
前回、最良ともいえる見送り方をした嫁氏のお父さんのケースをお話ししました。
その中でもトラブルはありました。
この数週間というもの、まったく逆のケースのただなかにいました。
母が入院するきっかけは、今年4月初めに脳出血で倒れたことでした。
その日の朝、物音がして、弟が駆け付けると、母はうつ伏せで倒れて、起き上がれない状態でした。
母が救急車で運ばれることをいやがり、数時間後にソーシャルワーカーの訪問を控えていたこともあり、そこで相談しようと、ベッドへ運んで寝かせていたそうです。
ソーシャルワーカーが訪問し、状況を聞き、即救急車を呼び、病院へ。
入院した先は脳外科のある総合病院でした。
そして、ロボに連絡が入ったのが午後6時。
容体は安定しており、脳出血とのこと。
ロボは翌日、朝一で病院へ向かいました。
神奈川を午前5時過ぎに出て・・・午前9時過ぎ、奈良の病院到着。
東海道新幹線早すぎです。
病院に到着し、医師から説明を受けたました。
(以下、関西弁でお送りします)
医師:現状、脳出血が広がる兆候もないんでね。まずは一安心。そやけど、麻痺が出てるんで、そのリハビリは始めていきたいなと思とるんですぅ。
ロボ:片麻痺ですか?
医師:そうそう、左で出血あったんでね、右半身が動かない状態なんですわ。
ロボ:リハビリは、いつから?
医師:明日、もう一回、検査やって。そんで、出血が出血が広がってないぃってなったら、始めていきないなぁと思とるんです。
弟:安静せなあかんのとちがうんですか?!
医師:もちろんね、まだ出血してるんやったら、手術も含めてね、処置せなあかんのですが、いまのとこね、広がってないんで、もう出血は止まってると思てます。
弟:リハビリより、脳出血の治療とちがうんですか?!
医師:まぁ止まってる感じなんで、出血のほうはね。
弟:リハビリとかして、また出血とかしたりとかないんですか?!
医師:一度出血してはるから、またせぇへんという保証はないですけど、そういうとこはちゃんと見ながらしますから・・・
弟:家に連れて帰れるよぉなるとこまで、ちゃんと治してくださいっ!
正直、この弟の対応・・・引きました。
ロボは聞いているだけで、ほとんど発言の機会なく・・・
半ばあきらめに近い状態に。
その後、ロボは意見、アドバイスを求められることもなく、母親と面会し、帰宅しました。
それから、月に数回のペースで奈良まで面会に行きました。
行きましたが・・・
が・・・
その間、弟は母親の病床にべったり。
面会時間フルに付き添っていました。
他には何もせずに・・・
そして、入院して1か月後。
高カリウム血症発症。
さらに、その数週間後。
急性感染症発症。
ロボは連絡を受け、急遽、病院へ。
病院へ到着し、医師からの説明を受けました。
すかさずついてくる弟。
医師:感染症を発症したんで、抗生物質を点滴してます。
ロボ:何に感染したんですか?
医師:ここではそこまで調べられないんで、抗生物質を投与してるんですよ。
ロボ:何に感染してるのかわからないのに、感染症って、どうしてわかったんですか?
医師:ほらね、この数値があがってるでしょ?これあがってたら感染症なんですよ。何に感染してるかまで調べるとなると、他の病院へ移ってもらうしかないんでねぇ。
弟:何に感染してても関係ないやろ?!先生、ちゃんと治してください。家に連れて帰れるまで、ちゃんと治してくださいっ!
黙るロボ。
このとき、見せられた数値というのは、WBCという数値。
血中の白血球数をカウントした数値です。
本音を言えば・・・院内感染なの?っていう疑いを持っていました。
そのことを明らかにすることは、弟に妨害されましたが・・・
医師からの説明のあと、弟が話があるとのことで、二人で話をすることに。
弟:胃瘻をすすめられてるねん。
ロボ:ちゃんと食べられへんねんから、仕方ないんちゃうか?
弟:どんなんかわかってんのか!
ロボ:うん。お義父さんのときも胃瘻つけたしねぇ。
弟:かわいそうやと思えへんのんか!
ロボ:なんで?
弟:他にも方法あるやろ!
ロボ:経腸で栄養吸収するのんと、点滴で栄養いれるんやったら、やっぱり経腸のほうが回復も早いし、しっかりするし、胃瘻はええと思うよ?
弟:あほか!そんなんな看護婦が楽したいだけやねん!食事のときもな、口にいれて、左の頬をもんだったら、ちゃんと食べれるねん!お前は冷たいんや!家に帰ったときも、ずっとつけてなあかんねんで?かわいそうや思わへんのんか!
もう聞く耳をもたない弟。
嫁氏は、父親に死期が近くなったことを受け入れ、そして、残された時間をどれだけ有意義な時間にするか、父親の苦しみをどれだけ除去できるかということに全力を尽くしました。
弟は、現実を受け入れず、実現が非常に困難な要望をふりかざし、そして、母親の病床に毎日居座り、それ以外のことは、何もしませんでした。
そして、母は着実に死への階段を上っていきました。