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From With

子供達に、幸せの見つけ方、教えてあげたい・・大丈夫。隣りにいるから。あなたの周りは、ほら、幸せがいっぱい!!(自宅を色んなお子さんに開放して14年。問題のある子 無い子皆一緒に 同じ時代の同じ時間を生きていきたいな~!一歩一歩、 丁寧に・・)



長い旅も今日から折り返し。毎回 ここから疲れと寂しさが入り混じる。


昨夜 東京のFから退社後のパン教室で作ったドライトマト入りパンの写メールが届いた。可愛い袋に入れて同僚のAちゃんにプレゼントするのだそうだ。


『寒風山』

被災地の太平洋側から日本海側に出た。


寒風山は二万年前、氷河期の終わりの噴火活動で出来た成層火山で、眼下に大きな第一火口、すり鉢型の第二火口、浅い窪地の妻恋峠の第三火口が見下ろせるばかりか、


北には能代砂丘、東には八郎潟干拓地と残存湖、南には秋田湾の海岸線沿いに滑らかな弧を描く天王砂丘が望めた。


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六日目にして初めて展望素晴らしい場所に立ち、旅の醍醐味を噛み締めた。


が、


暑さと長距離走行に少々疲れ始めていた私は景色の果てにあった岬が次の目的地入道崎で、また内陸に入ってナマハゲ→大潟村→また日本海側に出て夕日を眺めながら温泉→→弘前~~~~!!と聴かされ


国道沿いに並んでうなだれていたヒマワリみたいに力なく「うん・・・」とうなづいた。


『入道崎』

青い海、青い空、白と黒のストライプの灯台・・・


「あそこ、あそこ、あそこに立つ二人の後ろ姿を年賀状に使ったんだよね。」


「そうそう、Fは両手を広げて、Nは海水パンツに虫採網持ってたのよね~。」


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(あら、Aさん、後ろ髪白く光って写ってるあせる



その二人の片割れNは 長旅でそろそろあご髭が這えそろい 虫採網など持ったら間違いなくパパ!!の様相になってきた。


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『なまはげ伝承館』

「ウオー、泣ぐ子はいねが、怠け者はいねが、言うごど聞がね子どらいねが、親の面倒みない悪りい嫁いねが。ウオー。」


「ナマハゲさん、まんず座って酒っこ飲んでくなんしぇ。」


本来なら大晦日にこんなやり取りで始まるナマハゲ来訪。


「前に来た時はNは私のスカートの中に潜り込んで、Fなんて散々泣きわめいた末 死んだふりしたのよ~!!もう、大笑いだったわ~!!


今日も沢山小さな子が来てるから大変なことになるわね。」


とAさんに耳打ちしながらナマハゲの登場を待った。


油断した・・・


いきなり背中で
ドドン!!
ドドン!!
ドドドドン!!!


「キャ、キャアアアアアアアア!!」
「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」
飛び上がって真っ先に逃げたのは私。


Aさんなのかどなたなのか確かめる余裕無くしがみついた・・・(取り敢えずAさんで良かった・・)


口から出そうな心臓の鼓動を押さえながら気付いた。


声を上げたのは私、泣いたのは三つ位の女の子、その二人だけ。


(ウフフ、ビックリ腰抜かすだろうな~)と思っていた子供達は一斉に携帯で写真を撮るか、(へ~)って顔で体育座りのまんま動じる気配無し。


ナマハゲが話の途中で驚かすも反応せず、にっこり笑って握手・・・という時代・・・だった。


ありゃりゃ。


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『大潟村』

村全体が海抜ゼロメートル以下の緑輝く美しい大地。


真っ直ぐ続く道 空 田園 異国を想わせる景色は入植当時のご苦労を力強く輝かせる。



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20年におよぶ歳月と総事業費約852億円の巨費を投じた大事業によって生まれた新生の大地、


6世帯わずか14人でスタートしたこの奇跡が山を越えた太平洋側、被災地で再び起きることを心から願った。


*(日本一低い富士山)


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海抜0メートルの富士山!!
Nは半月前 富士山登頂したので、これで日本一高い山と日本一低い山を踏破したことになる!?



『夕暮れ』

記憶をたどって(はたはた館)で温泉に入る。「一番綺麗だった夕焼けは?」と聞かれる度に前回ここの湯船から眺めた日本海に沈む真赤な夕焼けが頭に浮かんだ。


今回は入浴の後、地元の方が教えてくれた海沿いの東屋で日の入りを待った。



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染みだした天の絵の具が空に海に広がり モネの「睡蓮」のように暮れなずむ。


雲に隠れた太陽が ベールの向こうから最後の矢を打ち、海に一瞬現れた光の道が人の世の今日と明日を繋いだ。



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月は上弦、夕暮れほどなく三つの星を従えて西に輝き ロマンティックな音楽を奏でてくれた。


五能線沿いの海岸線を弘前へ向かう。


さえぎるもののない海の夜空は私達をすっぽりと包み、天の川に幾つも幾つも願い星を流してくれた。


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Aさんが「夕暮れを見せてあげたいから」とちょっと無理をして日没時間に合わせて走ってくれた夜のドライブは


藤城たけしの影絵の世界を海に山に眺める忘れ得ない夏の想い出となる。




~天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ~ by 柿本人麻呂










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Photo by N


ヤギの声で目覚める。


ホテルの裏庭で飼っているロンちゃんだかランちゃんだかの呼び声だ。


朝食は南部鉄器の厚釜で炊かれた(秋田こまち)を控え目な笑顔のお婆ちゃまがよそって下さる。


地元の方だろう、それだけで嬉しい。


『高村山荘』

高村光太郎が愛妻 智恵子を失い、戦火を潜り抜け、六十二歳でひとり自炊の生活に入った山小屋。


ここで新たな文化の創造を夢み、自らの生涯を痛切に顧みながら数々の詩が生み出されていった。


学生時代、私もご多分に漏れず、復刻版の黄色い箱に入った『智恵子抄』を求め 光太郎・智恵子の 道を作るものの誇りに生きた強固な意思に涙した一人だったが


冬は詩を書くインキも凍結したという杉皮葦、荒壁、障子一枚で外界を隔てる七坪半の山小屋を前に


光太郎はもはや(智恵子は死んで甦り 山川草木にまみれて喜ぶ)と歌った智恵子と共に新生を果たしていたのではないか、と思った。


資料館に繋がる道に青栗が沢山落ちていた。友人に分けたくてAさんとNに手伝ってもらって袋いっぱい拾った。


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『金沢後三年の役資料館』
平安中期の前九年、後三年の役の絡み合ったからくりがずっと解けない私。


Nの説明、資料館、思わず求めた資料集を宿で読み耽りやっと薄皮が剥がれた。


鬼切部、阿久利川、衣川柵、金沢柵・・・小高い山に囲まれた緑の海原を眺めながらこの北辺の地で勃発した骨肉の争乱に想いを馳せた。


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***資料集に阿部貞任は身長180cm余り、腰囲224cm余り、容貌怪異にして、皮膚肥白なり、つまり並外れの巨漢とあった。


翌朝、フロントを見てゴクリと生唾を飲んだ。悪戯っぽい目をした色白の巨漢!!が屏風のように立っていた。


あんまり私が「あ~、ややこしい!誰、誰、誰の子!?」などと頭をひねっていたので、


百聞は一見にしかず、と千年の眠りを起こしてちょこっと出てきてくれたのかも知れない・・・。


『川原毛大湯滝』

「滝壺が温泉なんだけど、行く?」


この一言でうねうね道もなんのその!!対向車が来たらジャンケンで勝つしかないような道をひたすら走る。

(滝壺が温泉ってことは滝がお湯だよね・・・)

(滝がお湯ってことは川もお湯)(えっ!?お湯の川!?)


そんな逆さシリトリみたいなことを考えていたら、恐山・立山とならぶ日本三大霊地の一つ川原毛地獄に出た。


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川原毛大湯滝はそこを下った林の中にあった。



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下る山道の下からモワッと湯気が立ち上ぼり、山の中なのに水着姿のカップルと行き交う。


不思議というより奇妙な気持ちで降りて行ったら、いきなり視界が開け 奇岩を切ってエメラルドに光る滝が音を立てて流れていた。


滝壺で湯浴みする人はいなかったものの、脱衣小屋もあって 浅瀬のそこここで足湯をする人がいた。


(水着、持ってきたら良かった・・・)と残念に思いながら 裸足になって熱いくらいのエメラルド色のお湯の中を歩いた。


ザバッ!!と音がしたので振り向いたら、さっきまで一人お湯を眺めていたお爺さんが一段下がった淵の中にいた。


「えっ!まさか!?」と思ってお爺さんが座っていた岩の上を見たら、身に着けていた物全部が脱いだまんまにパカッとあった。


(ひゃっ・・・)とよせばいいのに反射的に振り向いたら、お爺さんは日焼けした顔で「ニカッ!」と笑って返した。


帰り道、Aさんが「あのお爺さん 近くにいた若いお嬢さんがいなくなったから入ったんだよ。」と言った。


(Aさん、それ 失言なんだけど・・・)


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で、もひとつ失言ならぬ失敗談を。


お夕食時、Aさん以外飲めない家族は 取り敢えず 添えられた人参ジュースで「乾杯~~~~~!!」


揃って グッと一口!!!


二秒後、
揃って 大爆笑・・・


「人参ジュース」ならぬ
「人参ゼリー」で・し・たダウン

ジャンジャン!!




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(渡っちゃった三途の川)



Photo by N


東北に旅行することを決めたのは、被災地に泊まって、被災地の物を食べて、買って、寄付をして・・・と微力ながらも考えたからだ。


そして今日、いよいよ陸前高田市に向かった。


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『奇跡の一本松』


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ショベルカーが上に下に忙しく首を振る瓦礫処理場(本当はこんな呼び方をしたくない)の向こうに 真っ直ぐに立つ姿を見つけた。


「あっ」と思ったらNがカメラを向けていた。


刻みたかったのだろう。
記録しなければならない、と思ったのだろう。


私も教室の子供達全員に「夏休みのどこかで写真を見ながら思い出して下さい。」と添えて写メールをした。



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折しも東京ではメダリスト達の銀座パレードが催された日、それに行ったSさんから「すっかり忘れていました。」と返信が来た。


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今夏一番の暑さとなった灼熱の現場で黙々と瓦礫を砕く人がいる。それを運ぶ人がいる。


ただ、ただ、頭が下がった。


夜のニュースで その細かい物を運ぶ人は地元の お孫さんもいるようなお年のお婆ちゃま方だと知る。


「若い自分がじっとしてるのは苦しいよ・・・」とNが言う。


東京のFから「戒めにします」とメールが来る。



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『遠野』

子供達が幼い頃巡った遠野。その時買い求めた「遠野物語」は Fに「座敷わらし」をNに「カッパ(旨く言えなくてカップゥ)」を教えてくれた。


伝承館で語りべの話を聴くも ほとんど理解できず。要所要所で笑いが起きたのは、皆さん東北ご出身だったということか!?


あやふやな絵地図を頼りに何度も迷いながら(カッパ淵)へ。


入り口にホップ工場があって刻んだ実の爽やかな香りがした。


田んぼの畦道をS字に辿ると Fが「泳ぐ!」と言ってきかなかったせたせせらぎに出た。


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そう言えばあの時、私が小学六年生の時、岩手から転校してきたOちゃんに聴かされた怖い怖いカッパ伝説を話してFを脅したんだっけ、とAさんに話した。


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猿が石川沿いに花巻に向かって車を走らせた。


ワインのロゼを空いっぱいにこぼしたような夕暮れは一本松も、そこに咲いていたヒマワリも、カッパ淵も優しく包んでいるだろう。


せめて今日の営みが 明日の希望に繋がりますよう熱烈に祈る。


「こうやってね、バケツ一杯一杯運んでたら、いつか何にも無くなるんじゃないかって思ってねぇ。」


そう言って笑顔を見せた瓦礫処理場のお婆ちゃまの空にも希望の星が昇りますように・・・










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Photo by N