生後2ヶ月から通った赤ちゃんクラスベビnaCHU'を卒業しました。


(ベビnaCHUの卒業は、赤ちゃんが
歩けるようになったらと一応決まっていますが卒業するタイミングはお母さんが決めます)




第3子でもあるので
あっと言う間 といえばそうだったんだけど、
振り返ってみると
どの時期も見逃した感がなく
エイトの成長の一歩一歩を共に歩んでこれた実感があります。




それってお母さんとして
すごく幸せなことやなぁと、
心がじんわり豊かになっているのを噛み締めています。



何だか1歳の誕生日の時よりも
ベビnaCHU卒業に感慨深くなっている私がいますww



今月で1歳2ヶ月になるのでちょうど一年。



ベビnaCHUでの一番の気づきは、
【赤ちゃんには
産まれたその瞬間から
自ら育つ力がある】
ということ。


エイトを通して体感する日々でした。




お母さんの役割は
ただそこをサポートするだけ。


そのサポートのツールが
ベビnaCHUで教わる【促し】。


生後2日で、
ジェシカに来てもらい
まだ首もグラグラのエイトをうつ伏せにして、
懸命に顔をあげようとするエイトの姿に、生きたい!育ちたい!とする命の輝きに、
エイトの生きる力に感動したのをハッキリ覚えています。


その促しすらも
お母さんがしてるようで
赤ちゃん自身が、
促しをしてくれる相手に身を委ねながら調整している。


これまでの
『赤ちゃんはお母さんである私が育ててあげなければ!』
という
見方が180度変わりました。


何て失礼なことを感じていたんだと。。


『あ、そうそうそこ押してくれたら進みやすいわ~』なんて思ってる!?(笑)

足指の促し。指を使って蹴り出せるように
足から気持ち良いのが伝わってくる。

そしてもうひとつ
自分の中で得たことは、
【子育てを面白がる】
ということ。



ジェシカの赤ちゃんに対する大人と変わらない対応や
泣く、○○しない(食べない、寝ない‥)に対する捉え方は、
毎回ほんと肩の力を抜いてくれた。
力が抜けると、
そこで初めて悩んでたことが悩みでなくなるというか。



ジェシカに抱っこされるとたちまちゆるゆる~

面白がるって
しんどいことが起こらない
とか
しんどいと感じなくなる
とかではなくて、
(夜は赤ちゃんによっては夜泣きはあるし、やろうと思ってることは中断されるし、一人にならしてくれーっ!て全て投げ出したくなる日も当たり前にある)


けど
しんどいことも、
しんどいと思うことも、
そう感じること事態を豊かだなぁと
感じられるということ。


子育てを面白がるって
いつも
笑ってあっけらかんと過ごすってことでなく、
どんな自分も面白がれるというか、
そんな自分が【今そこにいる】ということを感じて、
自分が自分を受け止められるようになるということ。


そしたらきっと
どんな我が子の【今】も
面白がってみれる、
受け止められるんやなぁって。






早く大きくなってほしい
とか
大きくならないでほしい
とか
こちらの都合ではなく、
ただただシンプルに
目の前の我が子の【今】

母である私の【今】を感じて
お互いが心地よい状態を探ること。



それが
赤ちゃん期では
リセット抱っこや
触れること
ゆるめることで確認(繋がること)が出来て、
そこに言葉での対話が年齢と共に加わっていくだけ。



森の中でのリセット抱っこでグッスリ。
私も心地良いんだな~

ベースはやっぱり
見て、感じて、触れることなんだなぁ。

そして
その子の育つ、育っていく道筋を知る。


何もトラブルが起こらない親子になるんじゃなくて
何かトラブルが起こっても大丈夫な
私、親子になれるんだなぁ。



子育てを面白がるって
このプロセスを楽しめるということ。




ゆきふみ(姉2人)の赤ちゃん期には
気づかなかったこと、出来なかったこと。なかった視点。



もう遅い?
それが、そんなこと全くなくて。
本質は一緒。


今からでも出来ることしかない。
ほんとシンプル。


目の前の我が子を
見て、感じて、触れて。
その子の【今】を知る、気づくこと。



これをを知っていると
周囲と比べることや、
○ヶ月になったら~という見方が、何てナンセンスなんだと気づく。






赤ちゃんはその反応がすぐに出るから特に面白がれるし、実験~検証がしやすい。



ベビnaCHUって
噂通り
子どもをもう一人、
生みたくなる場所でした。



私の子育て(自分育て)は、まだまだ続く🎵

この人たちと共に。


子育てを楽しむアイテム(在り方、捉え方、見方)をベビnaCHUでたくさん得ることが出来ました。



ありがとうございました。