思い出してみるとシリーズ「私が経験した挫折2」 | 酒井淑恵のブログ

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年齢を重ねる毎にやる事を増やすのではなく、減らしていく。
どなたも再現できるシンプルで豊かな美しさのレシピを綴ります。

挫折シリーズ2でございます。

With-Bright誕生ストーリー1
With-Bright誕生ストーリー2
With-Bright誕生ストーリー3
挫折ストーリー1

この挫折シリーズを書き始め、色々な事を思い出しております。
考えてみれば、私はイメージコンサルタントになり約25年の間に
そこそこ挫折を経験していた事に気づきました。

立ち直りが早く・・その分反省してないので繰り返したのですが
以外とビジネス展開で誰かと組むと必ずと言って良いほど
上手く行っておりません。

まず、イメージコンサルタント2年目に高松で美容業界の方と
起こしたエールアカデミー半年で失敗!!

その後同じく高松市でかなり著名な先生と設立した
「インテリジェントスクールMuse」
ミューズシステムの名前の由来はここにあります)


その当時私は転勤で広島でしたので、広島から高松市に通い
必死で取り組みました。
息子はまだ小学低学年でこの頃が一番子育てとの両立で苦しみました。


思い返してみれば、、息子は可愛そうでしたね。
今は立派はパパになってますが。。(ごめんね、そして有難う・・)

このミューズはお声をかけて下さった先生がご病気で志半ばで亡くなられ
まだスクールは確立されてなく、私も広島の為閉じる事となりました。

尊敬するパートナーでもあった先生を失う事は非常に辛い出来事でした。

この間ビジネスは失敗しましたが、不思議と生徒さんは変わらず
私を信じて学んで下さいましたね。有難かったです(涙)


さてさて、2001年から取り組んだ着物業界再生プロジェクトの
続きでございます。

このプロジェクト・・今から考えると無謀極まりなく多くの関係各社に
多大なご迷惑をお掛けしました。

プロジェクトはまずプレゼンテーションの連続でございました。
コンサルティング会社の役員・社員
そして全国から集められた呉服店の責任者の面々
呉服問屋の強面・・・

私は美しくなりたい、オシャレを楽しみたい女性が何を望んでいるか、、
着物を最先端ファッションを着こなす女性に受け入れられるには
どうしたら良いか・・

女将さん教育をし、呉服屋にオシャレの情報発信基地である
クチュールサロンを作る事こそ生き残り道~~と説明するわけでございます。


その当時着物業界は男性社会で女性の意見は殆ど取り入れられる
事はない状況でした。

その中でまだ30代の呉服業界を全く理解していない素人の私が
ベテランのおじ様方に物申すわけです!!
それは反感買うでしょう。。当然でございます。

怖かったですが、それを言えるほど甘くはなく覚悟を決めた以上
やり続けるしかありませんでしたね。

来る日も来る日もプレゼンの毎日・・・
そして、台湾で行う企画実現の為何度も台湾に行きました。


その台湾で何故か日本のムービースターに間違われ(笑)
サインを求められたり、写真を撮られたり。
台湾には受けるのね!!と貴重な楽しい思い出でございますね。
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一番大きな事業計画はあのベネッセコーポレーションの新事業と
タイアップでまず会員制の旅行雑誌発行の企画を受け持ったことでした。

 

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私の生徒さんの中には会員になって頂きこの雑誌を読んで下さった方
も沢山おられます。覚えてられるかしら・・・

目的は、呉服業界の持つ富裕層の顧客をこの会員制旅行雑誌の会員
へと誘導する事、会員の共有でございますね。

ここでまたしても、東京へ何度も出向き企画会議に没頭し
今考えたらもう大変!!

タイアップですので私達に2ページ頂き、私がコラムを書いて行き
クチュールサロン認知への作戦でしたね。

 

本当にもう台湾のご関係者を含め本当に多くの方々を巻き込み
あらゆる手を尽くし色々致しました。

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 私は先の事は恐ろしくて考えられず、とにかく今やらないといけない事のみに
集中しておりましたが残念ながら・・・
このプロジェクトの本体であるコンサルタント会社が
不渡りを出し業務停止となったわけです。

私はイメージコンサルタントの卒業生の中からクチュールサロン展開
の為の講師育成の先発チームも作っておりましたので
もう目の前が真っ白とはこのような事を言うのね・・と愕然としました。

こんな事がおこるのね・・ともう思考停止になってしまいましたね。

確か2月だったような・・寒い時期でしたね。
息子は高校受験の真っ只中!!

会議が夜中になる事があり、帰宅すると彼の部屋は明るく
受験勉強しておりました。

「只今、ごめんね。遅くなって・・」と言うと
「おかえり」と言ってくれ暫く話していましたね。

ただ、プロジェクトは木っ端微塵に砕け、多大なご迷惑を
それはそれは多くの方にお掛けした責任の重大さに
息子の受験どころではなかった記憶があります。

ですが、、ですが~~悲惨なはずですが・・皆様ご安心下さい
私は直ぐ立ち直ったのですね!!

その理由は次回にお話致します。

長文お読み頂き有難うございました。