もうじき娘が2歳。
1年前に書いた「1歳雑記」が横に表示されていたので読んでみたところ、基本的に何も変わっていなかった私の適当育児。
育児より国際結婚にまつわる感情の方が複雑で面倒くさいので、日々成長する未来ある子供のことは全然問題じゃない。
健康な娘に感謝。
大人は本当に面倒くさいなぁ。
1歳雑記に「キッチンのシンクでお風呂に入れている」ことを書いていたが、1歳の途中からお風呂の洗い場でベビーバスに入れるようになった。
相変わらず一緒にお風呂には入っていないが、ベビーバスに入れなくなってきた頃はどうしようかという疑問に今初めて思い至った。
来年の今頃またきっと何か楽な方法を見つけていると思うけれど。
職場の同じビルの託児所に入っているので、日によって子供が2人〜7人という状態で先生3人栄養士さん1人という恵まれた環境。
これは私の想像なのだけれど、大人と話す機会が多いおかげで言葉の発達が猛烈に早いのではないかと思う。
2歳で二語文とか聞いていたけれど、1歳9ヶ月頃で今日あったことについて「○○ちゃんと○○ちゃんと先生と公園に行ったよ」と言い始めた。
きょうだいのある子も言葉の発達が早いそうだけれど、こういう感じなんだろうな。
先日、お昼寝から起きた直後の娘に出掛ける準備をし始めたところ、大変機嫌を損ねて大変なことになってしまった。
オムツを替えたくない。脱いだら履きたくない。近づくと逃げる。離れると追いかけてくる。終始泣きながら。
こんなの初めてだったので、こちらの都合で振り回して申し訳ない気持ちと、めちゃくちゃな行動に対してちょっと面白い気持ちと、急いで家を出たいのでイライラしながらもなんだか本当にかわいそうなのと、こちらも本当に複雑な気持ちだった。
どうやって解決したのかよく覚えていないので、このこともすぐ忘れてしまいそうだけど。
娘にどう育って欲しいかと思う時、親としては当然できる限りのことはしてあげたいとは思うし、早いうちから能力を開花させられるような何かを!という気持ちもないではないが、周りにいる優秀な人達は皆、英才教育もなにもなしにただ普通に多くの人が持っているものできちんとやってきて、塾や私立だの言わずに一番お金のかからない方法で立派になっている。
あんな風だったらいいのになぁ。
身内に所謂「マイルドヤンキー」(地元指向が強く、内向的、上昇志向が低い、などの特徴が見られる云々)タイプの人が数人いて、子供の頃は年が近いこともあって会えば仲良く遊んでいたけれど、高校あたりから変わってきた。
勉強をすることが必要のない世界に生きている人たちに見えた。
進学する為にとか、将来的に、とかいうことよりも十代で既に知的欲求が低い(ように見える)ことを私はとても軽蔑していたと思う。
だけど今お互い結婚して子供を持つ立場になってあちらの生活を見ると、ほとんど地元から出ずにここまできて、地元の人と結婚して地元に親の力を借りて家を建てて、親の近くで一緒に半大家族でのんびり営んでいるその暮らしになんら問題もない。
人生にあったらいいなを殆どコンプリートして暮らしているように見える。
対する私は東京で苦労しているのだけど、持ち家はないし、車なんて必要ないし、親も近くにいないから自分の時間がないのが当たり前。
働いているのに更なる責任を買って出ないので現金だけはたくさんある。
でもそれがなんだ。
知的好奇心が仇になったかたち? 選択肢は少ない方が幸福度は上がるらしい。
私はマイルドヤンキー気質ではないので、そういう選択はどこにも有り得なかったけれど、大人になって彼女達の人生を知るにつけ、ああプロセスに正解などないのだなと思うようになった。
娘にはただ健康で、幸せでいて欲しい。それだけ。優秀でもマイルドヤンキーでもなんでもいい。
なんていうとちょっと無責任かな。