去年から、2020年はリーマンショックを超える世界同時不況が来るという説の信者だったのですが、割と配当が良かったりして欲をかいて売るタイミングを逸したまま大暴落している株とか、コロナの影響をもろに受けて会社でイベントが中止になって仕事が増えたり、人々の不安を煽って再生回数を稼ぐのがお得意の経済評論家の予言通りの憂鬱な春です。
このままオリンピックが中止になったり無観客試合になったりしたら、日本はどうなるんだろう。
日本なんてもはや時間の問題なので日本がどうとかでなくて、自分の仕事はどうなってしまうのかと考える。
少子化も温暖化も世界大不況も、人類がまだ経験したことのないことなんて今後いくらでも起きるのだろうな。
今のうちに好きなことを好きなだけやっておいた方が!!と思っても、もうやりたいことがない。
独身の時に十分お金を掛けて遊んで勉強して旅して満足しているのと、今はやらなきゃいけないことに圧されてやりたいことがなくなっている感じ。
育休から仕事に復帰して早1年が経とうとしている。
時短の母だというのに仕事の責任が重くなってきた。
同じワーキングマザーの同僚は私よりずっと短い時短勤務なので、とっくに役職を捨てている。
自分に出世欲はあるんだろうか。
夫が外国人であるがゆえ、何があっても私の収入は死守しないといけないと思っている。
得られるものは努力して得た方がいいのだけど、復帰1年、一周回ってキツくなってきた。
今の生活自体はキツくはないのだけど、心の余裕を生み出す余裕がないのが面白くない。
一度夫の国へ行って、一ヶ月くらい毎日ビーチへ行ってのんびり暮らしたい。
そうしたら大事なことがなんだかわかりそう。
ライフの方に重点を置こうと思うかもしれないし、こんなのんびりした生活じゃあ張り合いがないからみっちり働こう!と思うかもしれないし、どっちも大事だからもっと工夫しようと新しいアイディアが生まれてくるかも。
娘を産んでから2年以上経ち、正真正銘二人目不妊で不妊治療も受けている。
先日初めて妊娠検査薬が陽性になり、そして8週で稽留流産になった。
はじめから成長の具合いが思わしくなかったので、もしかしたらだめなんじゃないかなという気がしていた。
しばらくして自然排出された胎嚢を見ていろいろ思った。
流産の宣告を受けてからしばらく経っていたので、「ついに!」という気持ちと、自分の体が女であって、生殖機能があるという事実を目の当たりにした気持ち(前回の妊娠出産とは全く違う角度から)と、娘も自分や夫やまわりの全ての人たちがこの小さな水風船のような袋の中の肌色の小さなもの(開けていないので全貌は未確認)から育って、いま人として暮らしているんだという不思議な感動とが入り混じっていた。
少し前まで、少しの間だったけど鼓動を打っていた小さな肌色の胎芽の入った胎嚢。
全部うまくいっていたら絶対にこの手で触れて、見ることはなかった最初の段階。
エコーで言われた「胎嚢5cm、胎芽1cm」がどんな状態なのか、手の平に載せていろんな角度から観察した。
育たなかったのに、排出されてしまったのに、その後は産後の産褥期のように子宮をリセットする機能が働いて下腹部が痛んだ。
私はこの経験を、育たなかったあの小さな胎芽に対してどんな気持ちを持って生きていけばいいのだろうと、まだ考えているけれど、これから母になるであろう身内や友達や娘に、私は流産したことがあると話すと思う。
彼氏が欲しいとか、結婚したいとか子供が欲しいとか、二人目以上も欲しいとか、その先をいっている人を羨む気持ちはいつでもあるけれど、先には先の苦労や新しい問題があるんだねっていうことをオープンにしたい気持ち。
これはいったいどんな気持ちなんだろう。
実際多くの人が経験しているであろう流産。私にも起こったんだよって、なぜか言いたい。
いま2歳になった娘も、私の子宮の中であの真っ白な水風船のような胎嚢の中に浮いて、肌色の小さな胎芽から人の赤ん坊にまで育ったんだという実感を得て、もうただの子供に見えない。
よその子供たちも大人もみんな、私はみんなが完全な人の姿になる前の様子を知ってしまったんだよ!と思うと誰も彼もが尊く感じる。
正直妊活が振り出しに戻ること自体はとても面倒くさいし、また妊娠出来るのか出産までたどり着けるのか不安しかないのだけれど、短い間妊娠していた期間に考えた人生や生活のことも、妊婦としてでないと考えつかなかったことが多かった。
そんなことも糧にして、引き続き妊娠出産を目指さなくては。
この先の日本や世界や地球の未来が明るいのかどうかもわからないのだけれど。
でも幸せに出来ると思っているんだよなー。