【独偏ベストテン 47-1】 いしだあゆみのシングル作品 (6~10位) | 歌謡曲(J-POP)のススメ

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音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 すっかりブログ記事の常套句になってしまって申し訳ないのですが、またまた更新間隔が空いてしまいました。皆さん元気にお過ごしでしょうか… 今回は、前回の相本久美子から何と8か月ぶり()となる「独偏ベストテン」のコーナーでいってみたいと思います。俎上に載って戴くアーティストは、いしだあゆみです。「おー、そうきたか」という声が聞こえてくるような、聞こえて来ないような…(←幻聴)。

 

 

 

 

 


 いしだあゆみのシングルと聞いて、皆さんの頭に最初に浮かぶのはやはり何と言っても、ご当地ソングとして有名な1968年リリースの「ブルーライト ヨコハマ」でしょう。また、昭和歌謡ファンからは、『1970年発売の「あなたならどうする」や、1971年の「砂漠のような東京で」なんかもかなりヒットしたでよー(←昭和口調にしてみた)』なんていう声もあがりそうですよね

 ’70年代というのは、歌謡曲が国民全体の娯楽といって良い時代でヒット曲の息も長く、上に挙げた作品の記憶は、子供時代の私もテレビの歌番組を通じてリアルタイムでしっかり残っています。当時のいしだあゆみ(20歳代前半)に対する私の印象は、“そこはかとなく上品さの漂う細面(ほそおもて)のお姉さん…といった感じ。実を言うと、最初の頃はやはり同時代に活躍していた“ちあきなおみ”と混同していた(←ありがちなご愛敬ですが、ま、歳も事務所も同じですしねぇ…)のですが、他の女性歌手と比べてもひときわ“美人度数”の高い彼女のルックスは、ガキんちょだった私の心に強烈なインパクトを与えてくれました

 それではここで、彼女の経歴を紹介しておきましょう。いしだあゆみは、幼少時から大阪の児童劇団に所属し、子役として芸能活動を開始しました。13歳の時に梅田コマ劇場で初舞台を踏むことになるのですが、彼女が芸能界入りを決意するのは、小6のときにフィギュア・スケートの関西選手権の大舞台で優勝したことがきっかけだったようです。う~む彼女は、“天は二物を与える”、そして、“栴檀は双葉より芳(かんば)し”のことわざをまさに地でいくような存在だったんですね~(感嘆のため息)。

 中学卒業を待たずに14歳で上京し、いずみたくセンセの内弟子となったいしだあゆみは、1964年4月に「ネェ、聞いてよママ」で正式に歌手デビューすると、すぐにドラマやCMで脚光を浴びて人気者になります。しかし、4年間のビクター時代にリリースした23枚(デュエット含む)のシングル曲は、いずみたく、鈴木邦彦、鈴木淳などの有名どころが手がけたものの、デビュー2作目の「サチオ君」(1964.6.?発売、オリコン創業前で順位・枚数データなし)、10作目の「みどりの乙女」(1965.2.?発売、同上)、11作目の「アッチャン」(1965.3.?発売、同上)が小ヒットを記録したくらいで、いずれもそこそこの売り上げ。大きなヒットに恵まれることのないまま、1968年の20歳の時、日本コロムビアに移籍することになります

 その後の快進撃は、皆さんもご存じの通りでしょう橋本淳-筒美京平コンビの手による移籍第1弾シングル「太陽は泣いている」(1968.6.15発売、オリコン最高位18位、売り上げ枚数12.5万枚)が中ヒットを記録すると、さらにその半年後にリリースした「ブルーライト ヨコハマ」(1968.12.25発売、1位、100.3万枚)が彼女にとって初のオリコン1位とミリオンセラーを達成独自のAOR路線を開花させることで、いしだあゆみはついに一線級歌手の仲間入りを果たし、コロムビア移籍直後の約3年半の間に、10万枚越えのヒット作を11枚も量産しています。

 ’70年代の半ばになると、売り上げ枚数が緩やかに下降線をたどるのと歩調を合わせるようにシングルのリリース間隔がダウン。その後は、東宝映画「日本沈没」(1973年)、助演女優賞を受賞した「青春の門」(1977年)などなど、女優業が芸能活動のメインとなります(おっと、’80年代の大ヒットドラマ「北の国から」、「金曜日の妻たちへ」での好演も忘れちゃいけませんね)。しかしその後も、サントリーのCMソング「MILD NIGHT」(1979.6.10発売、86位、1.4万枚)や、カメリヤダイヤモンドのCMソング「羽衣天女」(1985.9.21発売、78位、0.6万枚)のオリコンチャートインや、渡哲也とのデュエットソング「わかれ道」(1986.11.21発売、9位、11.6万枚)の中ヒットで、折にふれて“歌手 いしだあゆみ”としての存在感を示しつつ、現在に至るというわけです

 彼女の場合、歌手や女優業で見せる“真剣なオトナの顔”と、バラエティ番組で時おり見せる“天然ボケ”ぶりと“可愛らしい笑顔”とのギャップがなんとも魅力的な女性で、お茶の間(←いかにも昭和的なフレーズだ)でも、非常に好感度の高い人気者でしたよね。 ちなみに、これまでに彼女が残したシングル作品は全部で57曲(デュエットを含む)。’70年代以降、我が国における旧来の歌謡曲がポップスとして展開していく上で、その橋渡しとなった最重要歌手の一人であることは、もはや言うまでもないところでしょう

 …さて。例によって長~い前振りが続いたところで、ようやくwishy-washyの独断と偏見による「いしだあゆみのシングルA面ベストテン」の順位発表に入ることにしましょうか。なお、記事の方は、6~10位、1~5位、資料編の3回に分けてお送りしたいと思います。

 ここでちょっとだけ予告しておくと、今回の独偏ベストテン上位はすべてコロムビア移籍後(つまり1968年6月以降)にリリースされたシングルばかり(レコード会社はコロムビア以外も含まれますが)…と、かなり偏った結果となりました。これはひとえに、ビクター時代(1968年2月以前)の作品群がおおむね“いしだあゆみならではのウリ”を今ひとつ打ち出せていなかった印象が強い一方で、コロムビア時代の作品群が、いわゆる“筒美マジック”のお蔭で超強力な作品揃いであることによるものです…多分ね

 それでは、第10位から第6位までの5作品を降順でどうぞ~


第10位 赤いギヤマン 【オススメ度★★★】
作詞:岩谷時子、作曲:滝沢洋一、編曲:井上鑑
[1981.11.21発売; オリコン最高位-位; 売り上げ枚数-万枚]


 独偏ベストテンの一角に食い込んだのは、歌手活動よりも女優業の方が充実して、オリコンチャートからも遠ざかった時期に発売された55作目のシングル「赤いギヤマン」でした~ リリース元はアルファレコード、15作目「若い野ばら」以来16年振りに岩谷時子センセの作詞登板…と、いしだあゆみのシングルA面としてはかなり例外的な位置づけの作品と言っていいでしょう
 作曲の滝沢洋一センセは一般的な知名度は今ひとつですが、シティポップスファンやAORマニアの間で評価の高い’70年代後半のシンガーソングライターです。サーカスの「アムール」(1978.11.25発売、60位、6.0万枚)や、ハイ・ファイ・セットの「メモランダム」(1977.7.5発売、45位、3.8万枚)の作曲者として知られるほか、’80年代には、白石まるみ、山本陽一、富田靖子などのシングルも手がけていますが、惜しくも数年前に若くして(60歳くらい)亡くなっています

 曲の構成は、A-A’-B-C(サビ)-A-A’-B-C(サビ)-C(サビ)大きな仕掛けのサビやドラマティックな展開があるわけでもなく、終始抑え気味のメロディが淡々と進む作品ですが、大人向けの歌詞を載せた(いかにも滝沢氏らしい)さりげなくお洒落なサウンドがしみじみと心に沁みる佳曲なんですよねぇ…。 

 イントロのやや古茶けた音色と“ギヤマン”という古風な響きのフレーズの相性がとにかく抜群 この“ギヤマン”というのはもともとダイヤモンドという意味の言葉ですが、♪ 赤いギヤマンのお酒で 一人酔いましょうか~ という歌詞からすると、ここでは“(ダイヤモンドで加工を施した)カットグラス”の意味なんでしょうね。その一方で、♪ ツッチャッ ツッチャッ ツッチャッ ツッチャッ…という軽いレゲエ調のリズムとアレンジはむしろ’80年代的で、いしだあゆみのシングルとしても非常に新鮮な試みの佳曲だったと思います。

 

 

 



第9位 恋は初恋 【オススメ度★★★】
作詞:なかにし礼、作曲:加瀬邦彦、編曲:森岡賢一郎
[1974.4.25発売; オリコン最高位54位; 売り上げ枚数4.8万枚]


 第9位に入ったのは、今年の4月に残念ながら自死された元ワイルド・ワンズの加瀬邦彦センセ作曲による43作目シングル「恋は初恋」でした…(加瀬センセの悲報は私も大ショックでしたが、完全にタイミングを逸したためブログ記事で触れるのはこれが最初です)。加瀬センセがいしだあゆみに提供したシングルA面は、他に「幸せだったわありがとう」(1974.1.25発売、42位、4.3万枚)、「美しい別れ」(1974.8.1発売、74位、3.0万枚)…と全部で3曲あって、私はこの「恋は初恋」が一番メロディ展開に変化と広がりがあって好きですね。

 

 


 タイトルの「恋は初恋」はどういう意味かって言うと、要するに、恋を“一日”になぞらえて、どんな恋も必ず夜(=別れ)を迎えるのだから、終わった恋のことは忘れて毎回が“初恋”のように新しい恋に向かうのがいい…ってことですね。ひねくれ者の私なんぞは、♪ 私の恋はいつでも初恋だから~ なーんてシレッと歌われちゃうと、“そりゃいくら何でも自分に都合が良すぎやしませんか…”なーんて、つい言いたくなったりするのですが、ま、人生いろいろあるんだから時にはポジティブな思考回路も必要だってことですかね




第8位 時には一人で 【オススメ度★★★】
作詞:喜多條忠、作曲:筒美京平、編曲:森岡賢一郎
[1975.11.10発売; オリコン最高位83位; 売り上げ枚数2.0万枚]


 第8位は、ちょっと気軽に口ずさめる感覚の歌謡演歌風ポップスにして47作目シングルの「時には一人で」でした~ この曲、私はテレビ番組を通じてリアルタイムでよく耳にした印象が強いのでもっと売れたかと思ったら、たった2万枚とは意外でしたねぇ。まぁ、この作品がリリースされたのは、いしだあゆみのシングルがオリコン100位以内に届かなくなってから一年半後のことなので、もし最盛期(1968~71年)に出ていれば、間違いなくヒットしていたのでは…。つい、そんな風に思えてしまうほど、都会的センスの持ち主で少し物憂げな感じの彼女のイメージにピッタリの佳曲ではないでしょうか

♪ 男なんて女なんて 顔に出さない嘘つきばかり
  揺れるろうそくに 影をうかせて
  踊ってみようか キャンドル・ナイト
  あなたと出逢った 乃木坂あたり
  踊り明かそう 赤坂ナイト
  恋なんて愛なんて 名付けたところでどうなるの
  追いかけて捨てられて 涙をこらえてどうなるの 



 ♪ 男なんて 女なんて 顔に出さない嘘つきばかり~ というキャッチーなフレーズを冒頭に持ってくるとは、なんとも心憎い限り…
 このワンフレーズだけで、歌の主人公のおおよその年齢、人生経験や現在の状況を聴き手にほぼ伝えてしまうというのは、すごいワザだと思うのです。…で、この曲、たぶん“詞先”だと私は思っているのですが、筒美センセはちゃんと冒頭のフレーズに頭サビをあてがってアクセントをつけている…これって昭和歌謡の職業作家2人による見事な連携プレイではありませんか。ってことで、昭和歌謡は“宝の山”これだから一生やめられないんですよね~



第7位 あなたならどうする 【オススメ度★★★】
作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平、編曲:筒美京平
[1970.3.25発売; オリコン最高位2位; 売り上げ枚数40.4万枚]


 いしだあゆみにとっては、1968年にリリースされた代表作「ブルーライト・ヨコハマ」に次ぐ大ヒットとなった30作目のシングル「あなたならどうする」が、第7位にランクインしました~

 本作は、筒美京平センセが橋本淳センセ以外の作詞家と本格的に組んだ最初の作品です。「京都慕情」(ザ・ベンチャーズ)(1970.2.25発売、19位、19.4万枚)がヒットすると、渚ゆう子の同曲カバー(1970.5.25発売、1位、85.1万枚)に先駆けて「あなたならどうする」に京都テイストを取り込んだ筒美京平センセの”機を見るに敏”な動きもあっぱれなのですが、新パートナーのなかにし礼センセが、これまたいきなりホームランをぶちかましてくれましたよねぇ。ンパクトのある言葉の使い方はこうあるべしという、まさにお手本のような曲だと思います。リリース当時まだ5歳だった私にとっても、その“強烈な歌詞”に心を揺さぶられた、非常に想い出深い作品だったりするのです

 曲の構成は、A-B-A-C(サビ)-B-A-C(サビ)。歌詞をひと通り書き下してみると、こんな感じです。


(Aメロ) ♪ 嫌われてしまったの 愛する人に
        捨てられてしまったの 紙クズみたいに
(Bメロ)   私のどこがいけないの それともあの人が変ったの
(Aメロ)   残されてしまったの 雨降る町に
        悲しみの眼の中を あの人が逃げる
(Cメロ)   あなたならどうする あなたならどうする
        泣くの歩くの 死んじゃうのあなたなら あなたなら

(Bメロ)   私のどこがいけないの それとも誰かを愛したの
(Aメロ)   忘れられてしまったの 愛した人に
        何ができるというの 女がひとりで
(Cメロ)   あなたならどうする あなたならどうする
        泣くの歩くの 死んじゃうのあなたなら あなたなら



 一番の技ありポイントは、「死んじゃうの」というフレーズを持ってきたことですね。「死ぬ」という言葉は、段階としては「泣く」、「歩く」よりも一歩も二歩も進んだ選択肢ですが、曲の歌詞にそのまま使っちゃイマイチつまらない「死んでしまう」として初めて“思いきってやるニュアンスが出てきて、これをさらに「死んじゃう」とアレンジすることで、愛する人が自分から離れていく女性の哀しみと無力感を、過不足なく実に巧みに表現しているのです。また、「紙クズみたいに捨てられてしまった」という歌謡曲としては大胆な表現も、いかにもなかにし礼センセらしい思い切ったフレーズ選びで、インパクト抜群ですよね 



第6位 愛の氷河 【オススメ度★★★】
作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫、編曲:高田弘
[1973.9.10発売; オリコン最高位42位; 売り上げ枚数4.5万枚]

 独偏ベストテンの第6位にランクインしたのは、41作目のシングル「愛の氷河」でした~。この作品は歌詞の半分以上がセリフという異色作で、初めて聴く人は“大人向けの恋愛模様を描いたドラマか何かの主題歌”だと勘違いしてしまいそう…。この手のシングル、実は女優さんには結構見られるパターンですが、さすがに阿久-井上(忠夫)という一流どころの仕事だけあって、決して“企画物”的な安い出来に成り下がることなくきっちりした仕上がりになっているのが素晴らしいです

 この作品に関しては、歌詞よりもスキャットに載せて展開されるセリフ部分の方が心にズシンと響くものがあるので、ここではセリフのみ引用しておきましょう


 あなた…とても悲しい噂が 私の耳に入ってくるのです
 それはまるで 氷のナイフのように
 弱ってしまった私の心を 切り裂くのです
 人々は愛を信じることの愚かさを 私に教えます
 待つということの空しさを 私に教えます
 透明な しかし薄くなった空気の中で
 季節の終わった蝶のように 私は生きているのです…

 あなたに抱かれて 海の音を聞き
 空いっぱいの カモメの群れを見たとき
 死んでもいいとさえ感じた幸せを やはり忘れられないのです…

 突然の別れは 怖くないのです 耐えていけるのです
 でもなぜか だんだん遠く
 だんだん薄くなっていく感じが つらいのです
 たぶん私が 女だからでしょう…



 ラストのフレーズがとてつもなく重く、切なく、そして悲しいです。…で、この一連のセリフ、いま聞くとどうしてもショーケンとの一件を予見しているように聞こえる(2人が結婚&離婚したのは’80年代なので明らかに無関係なのですが…)のは、やっぱりゲスの勘ぐりでしょうかねぇ…

 曲の方は、井上忠夫(大輔)センセの手によって、美しくて親しみやすいメロディに仕上がっています。スキャット部分とAメロに登場するメロディが、ポール・モーリアの「涙のトッカータ」のイントロ部分をそのまんま拝借しているのはご愛敬と言ったところでしょうか(テンポだけは少し変えてますが主旋律とコード進行は同じストリングスとハープを駆使したクラシック調のアレンジは、高田弘センセの超お得意分野であり、こちらもソツのない仕上がりになっています。

「愛の氷河」(いしだあゆみ)

「涙のトッカータ」(ポール・モーリア) [イントロの部分をチェック!


 …と、こんなところで、今回の発表はおしまいです。12月の定期メンテナンスを一回挟んで、次回はいよいよ上位5作品をぱんぱかぱーんと発表したいと思いますので、皆さんどうぞお楽しみに~