【シングルよもやま話 48】 あの有名な歌謡曲作曲家が叶わなかった初恋を歌った佳曲はいかが…? | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 ‘70~’80年代の歌謡曲を主にご紹介している当ブログですが、今回ご紹介するのは、ぐぐ~んと時間を遡って今から54年前のヒット曲になります。いろいろな意味で‘70~’80年代の歌謡曲に通じる要素があるので、しばしお付き合い下さいね 今回取り上げる作品は、40代くらいの方(私もギリギリ入ります)にとっては、リアルタイムでは知らなくても、きっとザ・ドリフターズによるカバーの方で馴染み深い曲なのではないでしょうか。この作品ですね~()。 


「ミヨチャン」(平尾昌章とオールスターズ・ワゴン)
作詞:平尾昌章、作曲:平尾昌章、編曲:平尾昌章
[1960.4.1発売; オリコン最高位-位; 売り上げ枚数-万枚]
[歌手メジャー度★★★★; 作品メジャー度★★★★; オススメ度★★★]




 やぁ、これはこれは、’70年代後半に畑中葉子とのデュエットソング「カナダからの手紙」(1978.1.10、1位、70.0万枚)を大ヒットさせた平尾昌晃センセ、その人なのであります 平尾センセが「平尾昌章」名義で、’50年代後半~’60年代前半あたりにかけて、山下敬二郎(柳家金語楼の息子さん)、ミッキー・カーチスと共に「ロカビリー三人男」の一人として、妙齢の女性達から黄色い声援を浴びていたことをリアルタイムでご存知の皆さんは、もうすでに仕事をリタイアして第二の人生を謳歌している世代のはず・・・ですよね。現在50歳手前の私は当然のことながら、平尾センセの当時のモテモテぶり(←死語)を知る由もないのですが、まぁ、あの男前ぶりと魅惑のヴォイスでロックなんかやられた日にゃぁ、さぞかしいい想いをされたんでしょうねぇ(我ながら、かなり嫉妬入っとるなー)。

 1960年前後にロカビリアンとして名を馳せた平尾センセも、もともとはプロのジャズ・シンガーを目指して音楽の世界に飛び込んだようですが、エルヴィス・プレスリーの登場などが契機となって、我が国の’60年代後半の音楽シーンは、洋楽のゴキゲンなナンバーのカバー合戦・・・という様相を呈しました
。平尾センセもご多分に漏れず、記念すべきデビュー曲「リトル・ダーリン」(1958年1月発売)から始まって、ポール・アンカ「ダイアナ」「クレイジー・ラヴ」、プレスリーの「監獄ロック」「心のうずくとき」など、たった1年間のうちに洋楽カバーシングルを8枚もリリースするというハイペースぶり もっとも「ダイアナ」に関しては、平尾バージョンに先立って“抜き打ち臨時発売”された山下敬二郎バージョンの方が大ヒットしたため、平尾センセはかなり悔しい思いをしたようですが・・・

 ま、それはともかく、平尾センセの非凡なところはココから
なんですよね単に洋楽をカバーする時代が終焉することをいち早く予感して、民謡や童謡をロカビリー風にアレンジしてみたり、オリジナル曲をリリースしたりと、あれこれ試しながらレパートリーを広げる努力をしています。前者については、「五木の子守歌ロック」、「ロック“夕やけ小やけ”」、「ロック“会津磐梯山”」、「ロック”枯れ葉”」、「ロック“おてもやん”」・・・などなど。後者に関しては、オリジナル作品第一弾の「星はなんでも知っている」(1958年7月発売)があっという間に50万枚を超える大ヒットとなりました。その数年後にはロカビリー・ブームもあっという間に消え去り、やがてビートルズが登場するとロカビリーをやっていた歌手が完全に隅に追いやられてしまったことを考えると、平尾センセにとっては、このオリジナル作品をヒットさせたことが歌手生命の延命につながった、と言ってもいいかも知れませんね

 平尾センセの快進撃は、さらに続きます
。ヒットした「星はなんでも知っている」は、確かに詞も曲も日本人の手によるオリジナル作品でしたが、平尾センセはそれだけでは飽き足らなかった「どうしても、自分で作詞作曲した歌を持ちたい そんな想いから誕生したのが、歌手デビューから2年3ヶ月後にリリースされた「ミヨチャン」だったんですね。ふぅ、やっと本題にたどり着きました・・・

 「ミヨチャン」の大ヒットによって作曲に自信がついた平尾センセは、’60年代中盤からは、歌手としてよりも他のアーティストに曲を提供するコンポーザーとしての活動がメインとなりました
。’70~’80年代にかけて、「恋のしずく」(伊東ゆかり)(1968.1.20発売、オリコン最高位1位、売り上げ枚数77.0万枚)、「よこはま たそがれ」(五木ひろし)(1971.3.1、1位、64.2万枚)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)(1971.4.25、1位、134.3万枚)、「草原の輝き」(アグネス・チャン)(1973.7.25、2位、34.0万枚)、「二人でお酒を」(梓みちよ)(1974.3.25、11位、48.6万枚)、「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)(1974.3.25、14位、23.8万枚)、「カリフォルニア・コネクション」(水谷豊)(1979.4.21、3位、65.6万枚)・・・(あーきりがないや)などなど、幅広い作風のヒット曲を数多く世に送り出していることは、皆さんもすでにご存知のことと思います。それにしても、天は二物どころか三物も四物も与えるものなんですねぇ。イケメンで歌も上手くて、おまけに作曲までこなしてヒット作てんこ盛りだなんて、ブツブツ・・・(←さすがにシツコイ)。

 閑話休題。それでは、作品の中身に触れていきましょう。まずは歌詞の方をどうぞ~


  ♪ ぼくのかわいい ミヨチャンは
    色が白くて ちっちゃくて
    前髪垂らした 可愛いコ
    あのコは 高校二年生
    ちっとも美人じゃ ないけれど
    なぜか僕を 魅きつける
    つぶらな瞳に 出逢うとき
    何にも言えない 僕なのさ

 「ミヨチャン」と言えば、私の頭の中にはどうしてもカトちゃん(加藤茶)のとぼけた歌いっぷりが浮かんでしまいます
(ちなみにザ・ドリフタ-ズの「ミヨちゃん」は1969.5.1発売、オリコン最高位11位、売り上げ枚数25.4万枚)。でもって、歌詞に登場する“もてない僕”があまりにカトちゃんのイメージそのまんまなもので、最初はまさかカバーだとは思わなかったんですよねぇ・・・。そこへいくと、平尾センセのオリジナルバージョンはいかにもお行儀の良い歌い方ですし、間違いなくモテ男だったはずの平尾センセが 「そんなわけで僕の初恋は見事失敗に終わりました。こんな僕だから、恋人なんていつのことやら・・・」なーんてセリフを情けなく呟いても、あんまりピンと来ないわけですが

 それにしても、またなんてピュアな歌詞なんでしょうか
。私が高校生だった'80年代ならともかく、この平成のご時世の高校生だとさすがにちょっと考えられないシチュエーションじゃありませんか・・・平尾センセによれば、この「ミヨチャン」は中学二年生の時に初恋して振られてしまった相手がモデルになっていて、「今に見ていろ、僕だって」という歌詞に激励の気持を込めたメッセージ・ソングなんだそうです。そう、単なる失恋の歌じゃないんですね。平尾センセくらいのイケメン売れっ子ロカビリアンなら、もっと自分をカッコ良く見せるようなスカした作品を書くことだってできたはずだと思うんですが、あえてそうしなかったところに“親近感”と“プロとしての矜恃”のようなものを感じますよねぇ。・・・ほら、平尾センセの爪の垢を煎じて飲んだ方がいいロックミュージシャンが何人もいるじゃありませんか(誰とは言いませんケド)。

 曲の方はいわゆる“サビ”の部分がなく、歌謡曲の定型を外した形式になっています。むしろ童謡に近いというべきでしょうか
リズムを8ビートにしてあるのも、曲全体にわたって音域が異様に狭いのも、すべては平尾センセが「みんなが簡単に口ずさめる歌」を目指した結果だと思います。それでいてベースラインがロカビリー風というのがちょっと笑ってしまうのですが(失礼)、時代の風向きを鋭く読んだ平尾センセの苦心の賜物・・・という意味で、私としては謹んで高い評価を差し上げたい気分ですねぇ

 それでは最後に、平尾センセのオリジナルバージョンと、ザ・ドリフターズのカバーバージョンの動画をアップしておしまいとします
。またお逢いしましょう~