さて今回は、「10/29の記事(岩谷時子さんご逝去・・・)」で、少しだけ前フリしておいた作品をさっそくご紹介したいと思います。これでした~()。
「花嫁の耳かざり」(ジュディ・オング)
作詞:岩谷時子、作曲:高田弘、編曲:高田弘
[1973.9.1発売; オリコン最高位92位; 売り上げ枚数0.7万枚]
[歌手メジャー度★★★★★; 作品メジャー度★★; オススメ度★★★★]
まさに“名作てんこもり”といった感じの昭和歌謡ですが、私にとって詞も曲も気に入った“逸品”ということになると、さすがにそれほど大量にあるわけではありません(拙ブログの「お薦めシングルレビュー」のコーナーでご紹介しているオススメ度★4つ以上の作品がちょうどそんな“逸品”に当たると考えてもらえればいいと思います)。
んで、今回ご紹介する「花嫁の耳かざり」が、私にとってはまさに“逸品”という名前に相応しい作品なのです。派手さこそないものの、聴き手を独特の作品世界に誘(いざな)って様々な想いをかき立ててくれる、非常に味わい深い作品なんですよね・・・。
それではさっそく、岩谷時子さんの詞をご覧下さい。
♪ 十五の花嫁が かごで行く麦畑
可愛い頬には 涙がひとすじ
さよなら草ひばり 初恋の男の子
明日の朝から あなたは女よ
お日様よ教えて 幸せの意味を
遠くなるふるさと さよならの声よ
♪ 幼い花嫁の 揺れている耳かざり
今夜は誰かが 外してくれるよ
お日様よ教えて 幸せの意味を
遠くなるふるさと さよならの声よ
♪ 幼い花嫁の 揺れている耳かざり
明日の朝から あなたは女よ
曲全体通して詞はこれだけです。しかもよ~く見るとリフレインがあるので、実質的には最初の8行のみ。ところがたったこれっぽっちの詞なのに、聴き手の眼前には、ある情景がくっきりと浮かび上がってきて、♪ お日様よ教えて 幸せの意味を・・・ と涙を流す娘の置かれた状況に思わず想いを馳せずにはいられないのです。
まだ見ぬ相手の元へかごに乗って嫁ぐというシチュエーションや、花嫁の年齢(15)などから考えると、作品の舞台がかなり昔であることは間違いないでしょう。ところが高田弘センセによるエスニックな曲調(こちらも実に味わい深いメロディで私は大好き)のお蔭で、国の特定がしにくくなっていて(中国・・・日本・・・それとも・・・)、その分、幻想的な雰囲気が醸し出されています。ちなみに、歌詞に登場する「草ひばり」とは、鳥ではなくてコオロギの一種です。
「明日の朝から あなたは女よ」、「今夜は誰かが 外してくれるよ」という2つのフレーズは、いずれも聴き手に“あること”を想像させる婉曲的表現ですが、岩谷時子さんの言葉の選び方が実に上品で美しいです(ジュディ・オングの醸し出す高貴で華麗な雰囲気も一役買っていることは間違いないですが・・・)。この辺りは、まさに“プロの作詞家のワザ”と呼ぶに相応しいテクニックだと思います。
そして、私が思わず「すごい・・・」と唸ってしまうのが、「花嫁の耳かざり」という曲のタイトルです。言うまでもなくこの作品は、耳かざりのことを歌った歌ではありません。”耳かざり”はこの娘の置かれた境遇を婉曲的に表現するための単なる媒介物に過ぎないんですよね。しかし岩谷時子さんは、あえてこの作品のタイトルを「花嫁の耳かざり」とすることで、聴き手にいろいろな想像を膨らませる余地を与えてくれました。また、ここで”イヤリング”ではなく、”耳かざり”としたことで、時代がぐっと昔にタイムスリップして、作品に描かれた風景に実にふさわしくなっている点も見逃せません。
以上に見るような絶妙なフレーズの選択は、日本語という言語の懐の深さと”ひだ”を十分に知り尽くした人しかできないワザだと思います。そんなわけで、この作品のタイトルとして、「花嫁の耳かざり」以上に象徴的で的を射たものはちょっと考えられないのではないかと、私は確信しているのです。
さて、最後に少しだけ余計な話を。この作品をお聴きになった方の中には、”公益財団法人プラン・ジャパン”(http://www.plan-japan.org/girl/?lp_plan)が地下鉄などに出している印象的な車内広告()を思い浮かべて、「花嫁の耳かざり」に描かれた世界はケシカランと考える方が、あるいはおられるかも知れません。確かに「花嫁の耳かざり」に描かれた光景は、発展途上国では現在まさに起こっている話だったりするわけですし、もちろん私だって、こうした状況にある娘たちに対して同情を禁じ得ないのです。
しか~し、ここで私ははっきりと主張しておきたい。「花嫁の耳かざり」が、そういった状況を賛美したりいたずらに助長したりするために作られたわけではないことは明々白々です。であるならば、こうした素晴らしい作品をつまらない「自主規制」などで放送禁止にするという愚を犯すことは断じてやめてほしいと。そういう行為はそもそも“芸術に対する冒瀆(ぼうとく)”だと思うし、薄っぺらい正義を振りかざすあまり、せっかく厚みのある豊かな我が国の言葉文化を自ら壊すようなものなんですから・・・。
「花嫁・・・」に関しては今のところ放送禁止扱いではないようですが、最近のテレビやラジオの製作サイドは事なかれ主義のへっぴり腰ばっかりでいい加減ウンザリなので、念のため書いておきます。
それでは、今回はこの辺でおしまいとします。またお逢いしましょう~