「アタリマエ」を疑えってことですよね。
普通してアタリマエじゃん
常識的にアタリマエじゃん
当然そうしてアタリマエじゃん
みんなしてるしアタリマエじゃん

実はアタリマエを最後までやりきる人ってあまり居ないんですよね。
最初だけ「アタリマエ」って異口同音にみなさんおっしゃる。本気で思ってる。
けれど、途中枝葉に分かれて、紆余曲折あって、やりきりたくてもやれなかったり、辞めたり。
最後まで「アタリマエ」で居る人は少数。

このことに気づけば、最初から「アタリマエ」に流されずに
私にとっては「困難だぞ」「出来たとしても人よりくだびれるぞ」「やる気しないぞ」「やる意味あるか?」「やってる風に見せられるならやってもいい」「10くらいの力でできそうなら続けてみよう」
とジャッジできるようになると思うのです。

自分で選びたい。辞めるも続けるも自由だから。
人と一緒に流されると、とたんに辞めるも続けるも不自由になります。