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前回の続きから。
田歌の祭りは最終的に八坂神社へ集まります。
人の数はまばら。大雨なのだから仕方がない。
鹿の肉は意外と柔らかかった。牛肉や豚肉と比べると、どうしても食感も味も劣るので料理の腕、味付け次第ということになる。
何やら色々やっていたが、関心がなく殆ど見なかった。
太鼓叩きも、あまり引き締まったものではなかった。これも仕方がないと割り切るしかない。集落の人たちが楽しむための祭りなのです。
周囲はこのような感じ。
雨でも構わず遊ぶ子どもたち
1時間ほどで、ようやく終了。
太鼓は帰りは車で運びます。近年は神輿であっても離れた場所に行く時は車に載せて行くようになった。
今から打ち上げがあるらしい。集落の人しか参加させてもらえない掟がある。よそ者は入れさせん。という考え方です。今回は土地を買った人がいるので、そのよしみで参加させてもらえるとのことだったが…。
その前に田歌舎で昼食。
建物は手作りらしい。
あまりにも遠いので滅多に客は来ないのではないかと思う。
田歌舎は京都市内にもある。どちらの店も予約制。
今回、集まったのは、ぬいぐるみ病院の経営者と従業員、神主さん、鹿島流の女流剣術士、時代劇俳優、昆虫博士、ラジオ局など様々な小さなメディアを立ち上げてきた人、そして私の計8人でした。
鷹の剥製
何の鷹が知らないが、本物らしい。
長閑なところです。
変に調味料などは使っていないのだと思う。素朴な味のビーフシチュー。
鹿のカツ。これで確か3000円だったか。奢って貰ったので確かな金額が分からない。日頃から添加物に塗れたものばかり食べて舌が退化しているので、この素朴な味より過度に味付けをした料理の方が美味しいと思ってしまう。都会に住む人たちはブロイラーの鶏のようなものか。少なくとも権力者にとっては、その程度の位置付けでしょう。
合鴨たち。米は合鴨農法で作っている。
あまり可愛くないヤギだった。
いよいよ御神木探しの下見へ。知り合いが東京ドーム9個分と言っていたか、かなり広大な土地を購入したのです。金儲けの為ではなく、自然保護と神道というか、その概念を広めるのが目的です。まあ、このような場所で金儲けなんてできるはずもない。
ジブリの世界がここにある。こだまやトトロが出てきても、おかしくはない。
雨がぱらついていたからか、鳥の鳴き声が全くしなかった。昆虫博士によると昆虫も少なかったらしい。
入り口付近は杉林。植林したところなので、奥の雑木林に行かなければ御神木は見つかりそうにありません。
今日はここまで。雑木林に行くのはまた次回ということになった。
御神木にしたい木が見たかったとしても、行くのが大変な場所だと困るので、拠点とする場所から苦労せずに行くことができる場所にある木を御神木にしなければならない。そんな都合良く見つかるだろうか心配です。
山はいつ来ても癒される。小さい頃は近くに山や川があったので、いつも遊びに行っていたが、いつの頃からか行かなくなった。
自然を破壊してまで北陸新幹線を強引に造ろうとする国はどう冷静に考えても動植物や人間のことなど考えてはいない。金儲けや地位、名誉を中心にして考えているのは明らか。口から出てくるセリフは嘘八百並び立てた綺麗事ばかりで、うんざりさせられます。
岸田は国立公園を潰して外国人のための高級リゾート施設を建設するなどとも言っている。頭が壊れているとしか思えない。
田歌の人たちが自然保護活動をしています。倒した木も再利用するし、増えすぎた鹿も食料にする。
倒木から芽が出ています。新しい命。
ドイツ語みたいな名前のカエルだった。名前は忘れました。
子どもたちが遊ぶ場所としては最適だが、わざわざここまで来なくても他に幾らでもありそうです。
花粉の時期は、果たしてここで過ごすことは可能なのだろうか。
今回は余命3ヶ月の人も参加しました。宣告されてから、この時点で既に3ヶ月をすぎている。京都市内から車で来て、僕らと同じように歩き回っていたが、特にしんどそうには見えなかった。帰りは私は疲れて車の中で寝てしまったのに、この人は帰りも車を運転していた。この日だけで10,000歩は歩いたはずなのに。
昆虫博士はずっと川にいた。ほっといたら一日中、山や川にいるのだと思う。私が本を読み漁り、本を書き、寺社巡りや町の探索などをするようなものなのだろう。好きなことなら時間を忘れて、いつまでもやっていられる。
鹿島流の人は人当たりが良かった。剣を持つと一変してしまうのだろうが。鹿島流は日本一、本物の日本刀を振る流派らしい。
日本刀は見るだけなら良いが、振るとなると流石に躊躇する。抜刀と納刀の時に刀身で手を切る人たちがいることを聞きました。あまりやりたいとは思えない。
時代劇の撮影で日本刀を使ってしまい、誤って斬り殺してしまった事故が起きたことがある。そのエピソードを時代劇俳優さんから聞きました。刀を上に向けるシーンの撮影で、模造品とは異なり重量があったことから、重みで刀が上に行かず、刀が真後ろに行ったらしい。そして不運にも後ろにいた人に刺さってしまったとか。その刀が本物であることを知っていたのは、刀を持った人や監督くらいなもので、周りの人たちには知らされていなかった。それでは対応できないでしょう。
左の方が鹿島流の剣術士。
川で溺れることはなさそう。
初めて見た。犬の家系図。鹿の肉だけではなく、ハクビシンの肉も売っていた。珍しいので買えば良かったと後悔している。
ここが田歌。美山のかやぶきの里とは、また趣きの異なる雰囲気。
行きは、ぬいぐるみ病院の人の車に乗り、帰りは余命3ヶ月の人の車に乗りました。次会うのは1ヶ月半後、まだ元気でいてくれたら良いが。
きな粉のソフトクリーム
結局、打ち上げは土地を購入した人だけが公民館に入ることが許され、他の人たちは拒絶されました。雰囲気的に非常に入りづらく、受け入れて貰える雰囲気ではなかったので、拒絶された時はみんな安堵したと思う。
中では女性や子どもがいるのに、お構いなしで喫煙をしていたし、何だか昭和の時代を見るかのようでした。
山を購入する時には山を案内してもらったようで、案内人は草木が覆い茂る山の斜面をいきなり登って行ったとか。頂上まで一度も振り返ることはなかったと聞きました。その人は数十年も経験のある人、山を購入した人は女性であり素人です。死に物狂いで付いて行った結果、当然ながら足は血だらけ。本当に山を管理することができるのか試したのでしょうが、これは全く意味の分からない行動です。その行動と山を管理する意思の力はイコールで結ぶことはできないはずなのです。
医療の現場でも、根性論を掲げて生徒や実習生、新入社員などを痛めつけるパワハラ行為が蔓延している。「そのパワハラに耐えることができなければ、立派な医療職員になることはできない」といった意味不明な考え方から来るものですが、これも当然成立しません。
美山には田歌の他にも集落が幾つもあります。美山に住む人と話をして思ったのは、他の集落とは一切関わり合いたくはないと言う気持ちが強いことです。他の集落の話題に及ぶと途端に口をつぐんでしまう。お互いに尊重しているように見えるが、実は蔑んでいる。
都会でも組織内で小さいグループを形成しては他者を排斥し、時には攻撃的になる人たちがいる。結局は都会に住む人も田舎の人も似たようなものなのでしょう。被害を受けないようにするには、その人たちが気にいる行動を取るか、もしくは逃げるかのどちらかしかない。
私の職場にも、この手の人間が存在します。辞める気がないようなので、どこかのタイミングで会社を離れることになると思います。
よく都会の人が田舎に引っ越した時、村八分の目に遭うなどの被害を受けて逃げ出す話を聞きます。これは実際に起きていることですが、当たり前のような気はする。自分たちを守るための行動なのです。よそ者を受け入れる時は何らかのメリットがある時のみ。そうでなければ受け入れるはずはない。人間とはそういうものです。多くの人間は善悪で生きてはいない。損得勘定で生きています。
自分たちが認めた者だけを仲間として受け入れる。これだと発展させていくことは難しい。受け入れたら自分たちの地位を脅かす存在になりかねないし、文化も破壊されかねない。
衰退の途を遂げるのは仕方のない話なのだと思います。発展させるには何らかの既存のものを破壊するしかありませんが、その破壊しなければならないものは、恐らく今後不必要になってくるものです。その見極めが大事になってくるかと思います。