①     『巻頭の言葉』 後藤俊彦氏

右頁の3段目「企業が経営不振に陥ったり、失政により大きな政治不信が生じた時、その任にある人が潔く責任をとって辞職することは当然のことであった。それを様々な自分本位の詭弁を弄して責任を回避し、地位に固執して居すわる人を多く見かけることがある。」

➡自民党のI氏に対して続投を求める(?)老年層に比べ、「うっちゃん総理」を嵌める若者の感覚にまともさを感じました。「うっごかないっ!」などと言って総理の椅子にしがみつかず、潔く負けの責任を取って欲しいものです。恥ずかしい!

②     p.10からの『信じる心が運命の扉を開く』 佐治薫子氏 山田和樹氏

p.14の4段目「やはり指揮者の仕事は、気遣いの連続なんです。オーケストラの団員一人ひとりへのきめ細かな気遣いができなければ、目指す方向や思いを一つにしてよい音楽を創っていくことはできません。松尾先生に鍛えられた気遣いがいま指揮者としての自分を支えてくれていることを感じています。

➡意外な気がしましたが、よく考えたらその通りだと思います。オーケストラの構成員は“人間”ですものね。

③     p.52からの『坂村真民先生に学んだこと』 西澤真美子氏 青山俊董氏

p.55の3段目「君にどうして言いたいことがあって追いかけてきた。終戦直後のいまの日本は、歴史で言えば人の心が荒れた鎌倉の元寇の時期とよく似ている。あの時、鎌倉仏教の祖師方が日本民族を立ち直らせた。いまの日本を立て直すには正しい宗教者の力による他ない。そういう意味で君の出家を私は心から喜ぶ。頑張ってくれたまえ」

➡社会科の先生が自転車で追いかけてきて、かけてくれた言葉です。こういう先生が当時は居たのですね。昔の先生は素晴らしいです。

p.57の2段目「母方の祖母がやってきて「乳飲み子二人だけを連れて、上の三人は養子に出すか奉公に出すかしなさい」と母親を説得するのですが、夜十二時を過ぎても首を縦に振らなかった。幼い真民も部屋の隅に座って、その様子を見ていました。」

➡真民さんは八歳の時にこんな辛い経験をしています。母親への限りない愛が真民さんの幼い胸にふつふつと湧き出てくる様が目の前に見えるようです。

p.59の4段目「天地から授かっている命。その授かりへの命への気づきは自分の器の大きさでしかいただけないわけですから、一年生きたなら生きただけ受け皿を伸ばしていきたい、という思いを深くしたんですね。」

➡青山俊董氏が繰り返し仰る“受け皿の大きさ”をここでも話されました。一日でも長く生きて受け皿を大きくしたいと思いました。

p.60の3段目「この詩にある父の姿は、経典を求めて広大なタクラマカン砂漠を命懸けで渡った玄奘三蔵の姿と私には重なって見えます。広大な砂漠を一歩一歩進んでいった玄奘三蔵のように、父もまた果てしなく遠い道を求めてこつこつこつこつ詩を書き続けていました。」

➡真民さんの“こつこつ”を三女の真美子さんは、こう捉えたのですね。こつこつの大切さを改めて肝に銘じます。

p.60の4段目「一すじに生きたる人の尊さ / 一すじに歩みたる人の美しさ / われもまた / 一すじに生きん / 一すじに歩まん」

➡“こつこつ”そして“一すじ”、真民さんの真骨頂です。

p.61の1段目「亡くなる二週間前、父は色紙に「念」という文字を書いたんです。」

➡“念”もありました!札幌木鶏クラブの記念大会に西澤夫妻を呼びたいという気持ちになりました。

④     p.96の『致知と私』 小学校6年生 山本(みお)

➡妹に致知を読み聞かせをしているという処に仰天、感心しました。