①     『巻頭の言葉』 青山俊董氏

左頁の1段目「聖徳太子が「十七条憲法」の第十に、「忿(ふん)(こころのいかり)を絶ちて、(じん)(おもてのいかり)を棄て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおの()れることあり。かれ是とすればわれ非とす。われ是とすればかれ非とす。われ必しも聖にあらず、かれ必しも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ」

➡左巻きの政治家に対していかり、謙虚さに欠ける某出版社社長に対していかる。そんな自分が凡夫であることを思い出させていただきました。聖徳太子様、ありがとうございます。

②     p.12からの『希望は失望に終わらず』 鈴木秀子氏 佐治晴夫氏

p.15の2段目「カトリック教会の司教で哲学者だったアウグスティヌスは「現在イコール永遠」と定義しました。僕たちは過去を過ぎ去ったものと考えますが、そう考える自分は現在にいる。先のことを考える自分も現在にいる。つまり過去も未来も現在に含まれ、それが永遠に続くというんです。」

➡禅でいう「いま、ここ」と同じ!禅とカトリックの親和性をまた一つ見ました。

p.18の2段目「慈悲の慈とは「人に安らぎを与えてあげられたらいいな、と心から願うこと」、悲とは「人の苦しみや悲しみを和らげてあげられたらいいな、と心から願うこと」です。

➡「慈悲」が色々な宗教に共通する基本的な要素だそうです。しかしこの「慈悲」の解釈はいいですねー。

p.20の2段目「いま世界のいろいろなところで戦争が起きていますね。戦いを早く終わらせる方法もまた宇宙は教えてくれているんです。紛争のきっかけは自他の区別にあります。そこに相互依存という認識が芽生えてくれば、少なくとも紛争は減っていくはずです。」

➡「自他一如」に気づく(見性)ひとが増えれば世界は平和になりますね。

③     p.30 からの『ラーゲリからの遺書 山本幡男の生涯が教えるもの』 岡田昌平氏

p.33の2段目「君たちはどんな辛い日があろうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化――人道主義を以って世界文化再建設に寄与し得る唯一の民族である。……どこまでも真面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである」

➡ラーゲリ(シベリアの強制収容所)で、喉頭癌性肉腫の末期を告げられ、一か月後に死に行く身となった山本幡男氏が子供らに宛てた遺書の一節です。この方の後輩としてこの方を誇らしく思い、この方に恥じぬような生き方をしたいと思います。

④     p.38からの『理想に向かって歩む自分を喜べ』 吉塚公雄氏

➡平地ではなく山地で牛の放牧を行う“山地酪農”。飼料を与えず放牧地の牧草だけを食べ、広大な放牧場に残された糞尿は肥料となる。牛は適度な運動と無農薬の牧草だけを食べて健康になる。一人で木を切るところから始めたそうです。50年経って牛乳の美味しさは評判になり、チーズはイギリスで賞をとるまでになりました。そのチーズを食べました。今までのモッツアレラには無いコクがあり最高に美味しかったです。価格も最高でした…。

⑤     p.50からの『夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある』小早川由紀子氏

p.52の4段目「決断できたのは夫の言葉が大きかったですね。あんな夫の姿を見たのは初めてでした。「もしこのまま死なせたら、今後『あの時本当助けられたかもしれない』という十字架を背負って苦しみながら生きていくことになるその苦しみがどれほどのものか…」と泣き叫んでいて…。その夫の深い愛情に心を打たれました。高校生になっていた娘も「ただ生きていてくれるだけでいい」と泣きながら言ってくれて(後略)」

➡一度目は母親の肝臓移植を受け、その後再び容態が悪化して死期が近づき、夫から肝臓移植を受ける時に葛藤していた時の夫と娘の言葉です。今文章をパソコンに打っていても涙が滲んできます。

⑥     p.54~の『大災害との闘い 我が社はこうして立ち直った』佐々木孝寿氏 上村晋一氏

p.60の2段目「そして残った三十人で作業を始めたんですが、建物は大量のヘドロで埋まっているし、魚が腐って悪臭とハエがものすごいし、あれは本当に過酷な作業でした。ところがそこへ、解雇した社員たちが一人、また一人とボランティアで来てくれるんですよ。私はもう「ありがとう」「申し訳ない」と頭を下げるしかありませんでしたけど、彼らは「いや、自分よりも彼のほうが頑張っていますから」と、自分たちの行いを鼻にかけるところは微塵もない。もう涙が出てきましたよ、本当に。」

➡東北大震災で被害を受け、従業員を大量に一時解雇せざるを得なかった社長の話です。胸を打たれます。

⑦     p.64からの『挑戦する心が無限の可能性をひらく』 臼井二三男氏 鈴木徹氏

p.68の2段目「呼び掛けには数人の患者さんが集まってくれたのですが、皆足を失ったことで自信を無くし、始めは「走れるわけがない」と諦めムードでした。でも競技用義足を着用し、バン、バン、バンと力強く大地を踏みしめて走ることができると、たちまち笑顔が溢れるんですよ。(後略)」

➡その場に居た、障碍者スポーツを支える臼井氏の感慨がこちらにも伝わってきます。

⑧     p.100からの『おにぎりは心と心を繋ぐもの』 右近由美子氏

➡“おにぎり道”を作り上げたと言っても良いと思われる右近氏ですが、取り上げるのが如何にも遅いと思います。

⑨     p.120からの『人生百年時代』 田中真澄氏

p.120の4段目「いまも報徳思想を建学の精神に据えている高校が全国に二校あります。岩手県花巻市の花巻東高等学校と兵庫県西宮市の報徳学園中学校・高等学校です。」

➡大谷翔平選手の秘密はこんな処にもあったのですね。

⑩     p.130からの『風の便り』 占部賢志氏

p.131の1段目「福島県への御巡幸では、摂氏四十度にもなる常磐炭鉱の地下四百五十メートルの坑内まで下りて作業員を激励。石炭産業の発展が復興には欠かせないとのお考えからでした。」

➡昭和天皇にはただただ頭が下がります。