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On the Dishes ?

 映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。

 アメリカの学生生活のはっちゃけぶりだとか、主人公マーク・ザッカーバーグの早口すぎる喋り方だとか面白い部分は多々あったけれど、どちらかというと人間関係の織り成すドラマとして語られていて、これなら題材がフェイスブックというソーシャルメディアじゃなくても良かったような気もしないでもない。とある若者の起業ドラマ、という印象だった。

 ザッカーバーグはプライバシーという概念を独自の切り口で捉えることによってフェイスブックの着想を全世界的なものへ拡げることに成功したのだと思う。
 プライバシーは隠されるべきものとして扱われてきたが、それを公開することによるメリットを前面に押し出したのだ、というのは、割とどこのブログ記事などを見ても散見される考え方だ。つまり、「リアルを全てネットに持ち込む」という概念。

 フェイスブックに限らず、ソーシャルメディア(人と人とのつながりそのものをコンテンツの一部あるいは全てとして持っているウェブサービスの一形態)という概念は、ある意味で「私はこのような人間です、どう思いますか?」というメッセージを発するシステムであり、少なくとも「一角の人物」ではない、僕のような凡百の一個人に過ぎない「誰か」を、食材の一つとしてネットワークの皿の上に乗せ、世間に向かって提供するキッチンである。

 一人ひとりが自分という食材を調理するシェフなのだろう、という考え方は、僕が新しいソーシャルメディアを使用するたびに「さて、自分はどういう人間なんだっけ?」と無意識に考えていたことから得たものだ。
 企業人や有名人ではなくとも、誰もがセルフブランディングについて考えることが当然となりつつある時代に僕らは生活している。

 情報には評価が付きまとう。自己をネットワークの情報として表現することで得られる評価は「友人の数」「いいね!の数」などで測られるが、いつの間にか僕らは、そういった数字的な評価を受け入れていないか。
 数多の哲学者が命懸けで世界に問いかけた「私とは何者なのか」という人類普遍の命題に対する回答を、眼に見えやすい数字的な評価で、「少なくともこれほど評価されている」という安心感で代替していないか。

 人と人をつなぐ、ということがこれほどまでに簡単になってしまった社会を僕は知らない。
 その結果として生まれる生き物は果たして怪物なのか、はたまた救世主なのか。

 誰もがビッグブラザーになり得る社会でこれから何が起きるのか、もう少し眺めてみようと思う。

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