大阪北部地震の長い一日 | フリマママ

フリマママ

「フリマママ」はオリジナル手作り雑貨を作っている大阪のフリマ仲間の名前です。
ブログをかいているママン一家だけの時は「umiña (ウミーニャ)」で
オリジナルなワイヤーや天然石アクセや鉱物雑貨を作っています。
ブログはフリマや家族の近況を書いています。

こんにちはママンです。
 
 
今回の地震ですが、ママンにとっては
 
ニュースに出てくる場所はほぼ見知った土地で、
 
友人や知人が沢山おり、また思い出もあるところです。
 
 
心を込めて、地震で亡くなられた方のご冥福と、
 
怪我をされた方のご快復、
 
被害にあわれた全ての方が、一日も早く日常に戻れることを
 
祈っております。
 
 
そして、地震直後から、友人・知人・アメーバ友さんや
 
他のSNSで知り合った方から、多くのメールやラインが届き
 
どんなにか励まされました。
 
 
ママン一家は無事に暮らしています。
 
優しく温かい言葉かけ、ありがとうございました。
 
 
 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
 
 
18日の早朝、ママンは家事がひと段落したので、
 
ソファーをリクライニングにしてテレビを見ていました。
 
 
そこへドンと体に響く衝撃と、大きな揺れが!
 
 
巨大なママンがソファーの上でピョンピョン飛ぶほどの
 
大きな縦揺れが続き、
 
目の前のテレビ棚の一番上の置物が落ちてきました。
 
 
怖くて声がすぐ出ないのに、
 
「神戸の時と揺れ方が違うな。。。」等と考えたことを覚えています。
 
 
揺れは強いけど短かかったので、
 
揺れがほぼ収まりかけた途端、ソファーから飛び起き
 
遅出で2階にいた娘に「タンターン!大丈夫??」と叫びました。
 
 
「大丈夫やで!」そう言いながら2階から降りてきたタンタンは、
 
仕事先でよく避難訓練をしているのでママンより冷静でした。
 
 
「まずガスの元栓切って!」
 
「電気も消して、テレビはつけて!NHK!!」と叫んだタンタンは
 
「逃げる場所確保するよ!」といい玄関をあけに走り、
 
自分とママンのスニーカーをビニールに入れて持ってきました。
 
 
「風が強くて玄関は閉まってしまうから、
 
玄関を開けっ放しにして逃げるルートとして確保できない!
 
お座敷の窓をあけて庭から逃げる事にするよ!」といい
 
サッシを素早く開け放し、逃げるルート確保。
 
 
さらにママンに、
 
「貴重品を集めてカバンにいれて!スマホある?」
 
 
まだ部屋着のアッパッパのままバタバタするママンをみて
 
「早く、揺れがおさまってるうちにジャージ着て!靴下履いて!!」
 
と、次々に指示をしてくれます。
 
 
あわあわとジャージに着替えたママンは
 
震源地に近い実家と妹の家が心配でしたが、
 
大きな揺り返しが来る前にトイレにいっとこう!と思いつきました。
 
 
ただトイレに入ってる時に揺れてドアが閉まると
 
歪んであけられないかも?と思いたち、
 
タンタンに「ドアあけてトイレするから来ないでね!」とお願い。
 
 
普段なら笑いごとでも、こんな時なので「分かった!」とタンタン。
 
 
トイレに入っているとスマホが鳴りました。
 
大慌てトイレから出て履歴からかけなおすと
 
電話は息子が心配してかけてきてくれたものでした。
 
 
「無事無事!あんたは?もう会社についてた?良かった!
 
今晩会社に泊まって明日帰る?分かった!!
 
あんたも気ぃつけや!!」
 
それだけ話すと電話が切れました。
 
 
後で息子ゴッチュンの電話の履歴を見たら
 
地震が起きてから、これだけ色々やったのに、
 
たった4分しか経ってなかったことに驚きました。
 
 
タンタンがママンのお尻を叩いて指示してくれたおかげです。
 
神戸の震災の時はまだちっちゃくて、
 
わけも分からずパパンとママンにしがみついてたのに。。。
 
 
息子と電話した後、
 
パパンには「家族無事」のラインを入れ、
 
実家に電話しましたがつながりません。
 
妹もラインが既読になりません。
 
 
実家はラインをやっていないし、
 
とりあえずメールを送信して待つ事にしました。
 
 
実家と連絡がつかずオロオロしてるママンにタンタンが、
 
「おばあちゃんたちも色々してるから、落ち着いたら連絡くれるよ!
 
私も心配やけど仕方ない!待っとこう!今することしよ!」と言い
 
「防災グッズはどこ!」と聞いてきます。
 
 
「えっとパパンがこないだ点検して詰め替えてた!どこ置いたっけ?」
 
必死で思い出そうとするママン。
 
 
「分かった!ラインでパパンに聞くわ!」とタンタンがラインするも
 
パパンから返事はこず、既読にもならず。。。
 
 
パパンも心配ですが騒いでも仕方ないので連絡を待つ事にして、
 
しかたなく家の中からライターや非常用食料や水を
 
個別にかきあつめてくるタンタン。
 
 
この時ママンは、ご近所の仲の良い独居のご年配の方のうちに行って
 
無事を確かめた事までは覚えてるのですが、
 
その他に何してたかイマイチ思いだせません。
 
 
そこで先ほどタンタンに「そん時、お母さん何してた?」と聞くと、
 
「泣きながら壁の鏡なんかの、家中の落ちたら危ない物を外して
 
床の隅に置いてた。」
 
「あと泣きながら写真立てを何個もリュックに入れてた(半笑い)」
 
 
良かった!少しは役立つ事してたんだ。。。
 
(いやいや、泣いてなかったと思うんだけど?)
 
 
とはいえ、冷静になってから写真立てを10個もリュックに
 
入れてる自分に愕然としました。
 
かさばるもん、そんなに入れてどうするつもりだったんだか。。。
 
 
(落ち着いた時に写真立ては全部出して、
 
子ども達の成長の記録DVDに入れ替えました。)
 
 
そうこうしてると、やっと実家の近くに住む妹から、
 
「みんな無事!実家に避難して皆でいるから安心して!」という
 
ラインがきて一安心できました。
 
妹よ、ありがとう!!!
 
 
ようやくパパンからも連絡がきたのはラインして1時間半後。
 
 
パパンは最寄り駅に電車が緊急停止し、
 
停止場所がずれてたので1時間電車で缶詰になり、
 
やっと降りてから30分かかって歩いて出社していたのでした。
 
 
しかも前の日に充電し忘れていたので
 
会社につかないと家に連絡出来ずにいたという事でした。
 
 
やっとパパンと連絡がつき、防災グッズもみつかり
 
逃げる用意もできたので余震におびえながらも一安心。
 
 
お風呂に水をはったり、2度目の洗濯を干したりしつつ
 
タンタンとテレビを見ていました。
 
 
その間も、ニュースで地震を知った友人・知人
 
また近所のママ友さん達から、
 
ひっきりなしに安否を気遣うラインやメールがきます。
 
 
このやりとりで冷静にもなれるし、
 
情報ももらえるし励まされ感謝しました。
 
 
ここまでで逃げる準備は整いましたが、
 
家の中はまだ物が散乱しています。
 
 
特に2階の廊下の一角のママンの人形コレクションコーナーの
 
バービーや木枯らし紋次郎や名探偵ホームズのフィギュアが落ち、
 
ホームズくんは足と首が折れていました。
 
 
また一階のハンドメイドの作業場も兼ねてるお座敷でも
 
ハンドメイド用の天然石のサザレのボトルが数本落ち、
 
何故かアクアマリン等の高いものに限って落ちて散らばっていました。
 
 
とりあえずサザレは踏むと痛いので拾い集めて
 
また落ちないように机の真ん中にボトル達を集めました。
 
 
 
「このお座敷はタンスや倒れて下敷きになる物がないから安全!
 
ここを待機場所にしたらええよね。」とタンタンが提案。
 
そこでやっとお座敷で、パンとサラダの遅い簡単な朝ごはんを
 
食べる事にしました。
 
 
ですが震源地が近いし、余震も小さいのがあるし、
 
家の外は、ひっきりなしに救急車とヘリコプターの音がするし
 
さすがの食いしん坊のママンも、
 
神経がピリピリして食べ物が喉を通りません。。。
 
 
それにしても、
 
日常って、こんなにも突然に非日常に変わるんですね。。。
 
 
神戸・東北・新潟・熊本など同じような災害に合われた方は
 
どんなにか怖かったことでしょう。。。
 
今回の大阪地震の震度ははるかに小さいので
 
比較したら申し訳ないのですが、
 
途切れることなく聞こえるヘリや救急車の音を聞いていると、
 
改めてその当時の方々の恐怖を考えて何度も身震いしました。
 
 
ここまでで地震から2時間程。
 
自宅待機と言われたタンタンが余震が減ってきたので、
 
仕事先に呼ばれてしまいました。
 
 
「お母さん!大きな揺れがきたら掘りごたつに入って!
 
おさまったら、避難用品を持ってここから外に出て!」
 
 
「そして何もなかったら、お座敷を片付けておいて!」と
 
1人になった時の為にアドバイスしてくれました。
 
 
「お願いだから、職場についたらラインして!」と約束し
 
もし通勤途中で大きな余震があったら?と
 
心配で心臓がバクバクしながら、
 
自転車で仕事場に向かう娘の背中を見送る時の心境。。。
 
 
しばらくは茫然とTVを見ていましたが、
 
何かしてないと気持ちが落ち着かないので、
 
ようやく部屋をかたずけ掃除機をかけました。
 
 
少しだけでも日常生活をしたから落ち着いたからか?
 
それとも朝からの緊張のせいか?
 
掃除機をかけ終わってお座敷の窓際に座っていたはずが、
 
気が付くとタンタンが非常用に置いてった水とお菓子に囲まれて
 
少しうたた寝をしていました。
 
 
こんな時に寝れる図太い自分に驚きつつ、
 
起きたのは昼過ぎ。
 
 
しばらくは頭が働かず身体も動かしたくなくなったので、
 
テレビの速報をみながら、
 
スマホで友人と情報を交換したり励ましあったりして
 
ずっと座りこんでいました。
 
 
夕方も早くに、ようやくパパンとタンタンが帰宅。
 
家族のそろった顔を見て嬉しかったこと!
 
 
ママンの住むところは揺れは震度5あったものの、
 
ありがたいことにライフラインが無事でした。
 
 
いつ供給がとまるか心配な状況でしたが、
 
この日はたまたま朝から夕飯を作って準備していました。
 
 
それを温めなおして3人で食べようと思ったら、
 
ママ友ラインの1つに、
 
「誰か○○駅の近くにいる人いませんか?」という連絡がきました。
 
 
電車に乗っている所で地震にあったご家族が
 
駅で緊急停止になり、待機になったまま電車は復旧せず、
 
帰ってこれなくなってるとのことでした。
 
 
ママ友の勤め先は遠く、
 
ご家族もスマホの充電が切れていて連絡がつかないず
 
心配でたまらなくなりグループラインに相談したようです。
 
 
ママ友ラインのメンバーで考えたら、
 
ママンがその駅に近いし、家族も皆帰っている。
 
小さな子が家にいないし、被災もしていない。
 
そこでパパンが車を出して迎えに行くことにしました。
 
 
早く迎えに行きたい!そう思うのですが、
 
普段なら車で飛ばしたら片道30分強の距離なのに
 
震源地を通るので車道はどこも大渋滞!!
 
 
普段は人も車もめったに通らない、とっておきの抜け道も
 
今日ばかりは車道は車が渋滞し、
 
その横の歩道もない道を、車とスレスレで歩く人がいます。
 
 
運転してる間、大通りもせまい道も、
 
どの道も一生懸命歩いて帰る多くの人々を見かけました。
 
 
 
裏道を走りながら見た空です。
 
なんだか不気味な色に見えて写メっていました。
 
 
車といえば、
 
うちはワゴンと軽自動車を用途によって乗りかえてますが
 
今回乗ってきたのは抜け道に便利な軽自動車。
 
しかし御年26歳のお婆ちゃんカーです。
 
 
いつもならしんどそうに息切れしつつ走るお婆ちゃんカーが
 
この日に限って絶好調でせまい裏通りを走ってくれました。
 
 
ようやく駅につくという時に
 
ママ友さんから「ごめんね!今自力で帰ってきてん。
 
ほんまにありがとう。」と電話がきました。
 
 
朝から怖くて嫌な事ばかりでしたが、
 
ご家族が無事に家に着いた報告が聞けて良かったです。
 
 
ここでママンの長い一日はやっと終わりました。
 
 
ママンは今、徐々にいつもの生活に戻りつつありますが、
 
まだまだ震源地に近い場所だった所はライフラインも戻らず、
 
昨日の大雨でさらに辛い避難生活を続けられています。
 
 
一日も早く、この地震が終息に向かうことを心から願っています。