南米旅行・マチュピチュ遺跡 (3日目) | フリマママ

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「フリマママ」はオリジナル手作り雑貨を作っている大阪のフリマ仲間の名前です。
ブログをかいているママン一家だけの時は「umiña (ウミーニャ)」で
オリジナルなワイヤーや天然石アクセや鉱物雑貨を作っています。
ブログはフリマや家族の近況を書いています。

こんにちはママンです^^

 

旅行の3日目ブログです。

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旅の始まり(1日目)

南米旅行・ペルー到着(2日目)

 

久しぶりにベッドでグッスリ眠れ

スッキリ目覚めのママンが

カーテンをあけて飛び込んできたのが

この景色!!

 

切り立った険しい山が眼前に現れ
ここは熱帯なんだー!!と
思い出させる植物群!
 
そう!
ママンが泊まったのはマチュピチュ村。
初代村長が日本人という
温泉もある山里の村でした。
(あんだけ街と前回のブログにかいといて
今さら村かい!とのツッコミ可)
 
雨期なので、少し湿気のある
朝の空気を吸ったら
まずは朝ごはんへGO!!
(ホテル エル・マピのバイキング式朝ごはん)
卵料理は注文で作ってくれます^^
オレンジジュースが濃くて美味しい!!
 
お腹が満たされたら、
集合時間まで朝の散歩に出かけました。
線路わきの保育園(かな?)の後ろも
切り立った山!!
 
駅前にあった凛々しいインカ皇帝の像。
(たぶんw)
インカの象徴であるコンドル・ピューマ
蛇もいます。
 
 
村のゴミ箱がカエルでキュート♡
 
 
日本の温泉街のような景観。
 
どこを撮っても写真映えする村なので
パパンが橋の中央で、
夢中でシャッターを切ってると
橋のたもとで渡らずに、
写真を撮り終わるのを
ずっと村の人が待っててくれたのに
気が付きました!?
慌てて道をゆずり、お辞儀すると
ニッコリ笑顔を返してくれました。
日本人が作った村の村民さんが優しくて
朝から嬉しくなりました^^
 
さて、もっと散歩をしたいけど、
集合時間です!
 
いよいよバスに乗り込んで
空中都市マチュピチュへ出発~o(^▽^)o
 
つづら折りのすごい山道を登るバス!
はるか眼下に見える激流ウルバンバ川と
すれちがいがやっとの山道を登りきると、
ついについに!!
 
マチュピチュの入り口に到着~!!
 
29年前に来た時に、
バスを降りる前に感激で泣いちゃった
若き日のママンを思い出しました(ノ_-。)
 
さぁ~、気合入れて、
いよいよマチュピチュ遺跡を目指します!
 
ここはアマゾンの入り口でもあるし、
けっこう高い山なので、
服は長袖、虫よけも塗ってきました。
(ただし虫よけスプレーは禁止。
生息する蝶がスプレーを嫌がって、
数が減ってきているのだそうです。)
帽子もかぶって、日焼け止めもバッチリ!
しっかりした靴底のある靴で
遺跡に向かいます。
 
ここの標高は2060m。
けっこう段差の激しい石段や
遺跡を作るための石が
ゴロゴロと残っている石切り場を
つまずかないように歩いたりしてると
途中で現地ガイドさんの説明で
立ち止まる時には、
いきが切れてゼーハー状態w
 
それにしても。。。
いくら昔を思い出しても
息が切れた思い出がないんですよ(゚д゚;)
しかも短いキュロットで登ってたし!?
これは歳のせいか体重の違いか。。。
きっと標高のせいですね(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
 
そして遺跡の石段を
ゆっくり上り下りを繰り返したら。。。
ドドーーン!!
これぞマチュピチュ遺跡!
 
この景色を見て興奮しない人は
長旅をしてここへは来ないでしょう!
まさに空中都市と言われてる遺跡
堂々たる威厳とロマンに満ちていました。
 
マチュピチュというのは
この遺跡のある山の名前で、
ワイナピチュは遺跡の後ろの
奥の人の横顔みたいな
山の名前です。
 
マチュピチュとは現地の言葉で
「年老いた峰」
ワイナピチュは
「若い峰」という意味だそう。
 
現地のガイドさんは大変に勉強熱心で
またペルー人として、
ポリシーと誇りをもって
インカ文明やプレインカ(インカの前の文明)の
説明を遺跡の前で
フリップを使って説明してくれます。
 
本物の遺跡を前に土地の人に
歴史を教わる極上の幸せ♡
 
こんな幸せを将来味わえるのだと
高校の図書館で
胸をときめかせてインカの本を
一人読みふけっていた
少女のママンに教えてあげたい(^∇^)
 
ところでマチュピチュを発見したのは、
アメリカ人の探検家で
映画のインディジョーンズの
モデルになったと言われている
ハイラムビンガムさんだと、
一般では知られていますが、
「ビンガムは発見者ではなく
最初に訪れた外国人観光客ではないか?」
という話をガイドさんに教わりビックリ!
 
これは地元の大学の教授が
ビンガム以前にこの遺跡を発見研究した
という説だそうです。
発見時は白人主義が根深い時代だったので
地元民である教授は
学会で相手にされなかったとか?
そういう事情も背景的にはあったようで
第一発見者の話はこの話の他にも諸説色々。
日本に帰ったら、その辺を
調べてみたいと思いました。
 
第一発見者が誰なのか?の話だけでなく
マチュピチュは誰が作ったのか?
なぜ、ここの住民は忽然と姿を消したのか?
色んな諸説があると
今となえられてる説を丁寧に教わりましたが
本当の事はまだ分からないらしく、
そういう謎もマチュピチュの魅力なのだと
改めて実感しました。
 
今のところ、この遺跡を作ったのは
9代皇帝パチャクティが有力らしいです。
(はい!でましたね!!
覚えてましたか?パチャクティさんww)
 
でも、その説をくつがえす発見があったそうで
いま発掘中なので研究成果が楽しみです!
 
 
ここの石積みを見てください。
ものすごく高く精密です!!
 
ここは身分の高い人の部屋だった所なので
石が綺麗に積んであるそうです。
逆に身分の低い人の道の石積みは
簡素な野積みになっていていました。
 
供物を置いたでであろう上の窪みは
めちゃめちゃ高い所にあり、
皇帝は2m近い背の高い人だったのでは?
と想像させるに充分です。
日本人と同じモンゴロイドなのに
そんなに背が高かったなんて驚きΣ(・ω・ノ)ノ!
 
 
ただ、地震がないと言われていたペルーでも
最近も地震があったらしく、
ここの石積みの右側が
痛々しく崩れていて
まだ修復できていませんでした(ノ_-。)
 
マチュピチュ遺跡を痛める脅威は
他にも多くあり、
押し寄せる観光客の重みで
年々下がる土地もですが、
遺跡の石に生えるコケも
遺跡を壊していくそうです。
そういえば遺跡をまわっている間中、
コケをとっている作業員の方を
数多くみました。
 
土地が下がってきたせいなのか
昔は行けた太陽の神殿など
多くが立ち入り禁止になっていて
遠くから眺めるだけになっていました。
 
さて、そんな説明を聞きつつ、
遺跡を歩き回ったら、
もうワイナピチュの入り口。
マチュピチュの端っこです。
ここにはたくさんのリャマがノンビリ
草を食べてノンビリムード。
 
ここで休憩したら小雨がパラついてきたので
入り口のホテルまで戻りました。
 
マチュピチュのレストランでランチ。
ここは種類豊富なバイキング方式。
 
今は好きなものを取ってこれますが
昔ここに来た時は、
レストランの人が入れてくれるので
お肉が嫌いなママンは困って、
「ベジタリアン!」と叫んで
お肉を入れてもらわないように
したのを思い出しましたw
 
右のお皿の奥の、
ペルー名物お魚のマリネのセビッチェと
そら豆料理がホクホク美味しい。
 
デザートもいっぱいあったけど
メインを取りすぎて食べられなかったのが
今となっては心残りw
 
食べてるとフォルクローレの生演奏が!
やったー!
やっと本場で演奏が聴ける^^
曲は「コンドルは飛んでいく」や「花まつり」
「チューニョの花咲くころ」等の人気定番曲。
 
とってもノリノリな演奏だったので、
もっと聴きたかったけどタイムアウト(泣)
おひねりを渡して、
帰りのバスに乗り込みました。
 
さらばマチュピチュ!!
前に来た時も「もう2度と来れない!」と
泣きそうになったけど、
今度こそ3度目はないでしょうね。。。
 
そういえば前回はバスで帰るとき
アンデスのグッバイボーイという
バスの発車時に「グッバイ!」と見送り、
バスより素早く山を駆けおりて
バスがついたらまた笑顔で迎えてくれるという
神業的な体力の少年に会えたのですが、
今回は会えなかったな~。
つか、もし会えたとしたら、
今のグッバイボーイは
あの頃から何代目の少年なのか?
まさか孫とか?(爆)
 
バスを降り山のふもとに着いたら
少しの間お買い物タイム!
 
ここの駅近に
たくさんのお土産屋さんが
まるで迷路のように所狭しと集まっています。
 
雑貨・変な柄Tシャツ・楽器・アクセサリー
天然石・バックやポーチ!
アンデス柄のブーツやキッチン用品。
全てがアンデス柄で色とりどり☆彡
 
ママンは趣味で
アンデス音楽を演奏してるので
日本のアンデスイベントで、
けっこうアンデス雑貨は見慣れてますが
それでもここは心躍る!
 
何故か横向けに撮っちゃたので、
見にくいのですが、
動画でカラフルな雑貨達と
雰囲気を味わってもらいたいですw

 
ここのお土産屋さんは、
小さい子もたくさんいて、
みんなお店の前で遊んでいて
それもたまらなく可愛い^^
 
あるお店では、
ここはペルーなのに
カスカスの名曲「ボリビア」がかかっていて
思わず「ボリビア~あ~♪」と
一緒に口ずさんじゃいました。
遺跡帰りなので
よけい浮かれてましたねw
 
30分お買い物タイムだったけど
ポーチやエプロンにバッグ
お値段交渉もバッチリできたし
欲しい物がけっこう買えました^^
 
パパンは集合場所で
イケメンの若い絵描きさんから
マチュピチュの絵を買っていて
それが今いい思い出の品になっています^^
 
そういえばここで不思議なことが!
観光地でよくある集合写真を撮って
後で気に入ったら買うというお商売。
マチュピチュでもあったんですが、
撮った写真屋さんが、
その後遺跡の中でも、
レストランでも現れない。。。
 
こっちがすっかり写真の事を忘れた頃、
おみやげ屋さんの前でいきなり
写真を持った写真屋さんが
ニコニコと現れるのです!
これには驚いた∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
バスに乗って遺跡から離れてるのに
良く見つけれたもんだと
ツアーのみんなで感心しきり。。。
思わず安かったし買いましたww
 
さて、マチュピチュみやげも
たくさん買い終えたママン達は
昨日と同じペルー鉄道で
本日泊まるクスコへと移動です。
(本当は列車はペルーレイルという名前)
 
列車は昨日の晩とは
車窓が明るいので違う雰囲気。
車内も明るく、
息子のゴッチュンに似た添乗員さんも
(顔の隠してある人ですw)
ノンビリと売店横で談笑中。
 
しかし、この旅では
最低5人の息子激似さんを見ましたが
前回アンデスで浮気でもしたかなあ?
新婚旅行なのに。。。ww
な~んてねw
息子は生粋の日本人で
間違いなくパパンとママンの子。
なのに。。。
スタバでは英語のメニューを出される人なので
アンデスにソックリさんがいても
不思議ではないのですw
 
ちなみにポルトガルにも
息子のソックリさんがいたらしく、
ポルトガルに旅行中の友人が
わざわざメールで隠し撮り写メを
現地から送ってくれましたw
娘は外国人と間違われたことないのに
息子だけ何でなんかなぁ?
 
あかん!
話題がそれてしまったw
 
列車に話題を戻してww
車窓はどこまで行っても
「左はうっそうとした緑と時々見える畑、
右は激流うずまくウルバンバ川」
「それにしても、この列車。
妙に遅く感じます。。。
それもそのはず、なんと
ペルーレイルはバスより遅いのです。」
と世界の車窓からの
ナレーションの石丸謙二郎なら言いそうww
 
一般人より10%程鉄分の高い
ママンとパパンは、
(つまり鉄道マニア度が10%少々)
朝の散歩時に、
この鉄道の線路を見て、
計ったわけではないけど
かなり線路幅が狭いことと、
線路の整備が万全でなさそうだなぁと
話していました。
(あくまで素人の感想ですが)
 
なので2人で、
線路が狭いわりに列車幅が大きいので
スピードが出せないのでは??
または観光列車だから
景色をゆっくり見せるため??
勝手な推理していましたが
もし真実をご存知の方は
せひ教えて下さいませm(__)m
 
と、マチュピチュ観光までかいたら
えらく長くなったので、
この後のクスコ観光は
次のブログにしたいと思います。
いつも長いブログにお付き合いいただき
ありがとうございます^^
 
次の「ママンのクスコ観光」もお楽しみに♪