こんばんは^^
現在、手裏剣の稽古場を探すことをしておりまして、なかなか良い場所が見つからないため少々凹み気味です(-"-;A
弓道場などは「弓道意外はだめ!」とか、市民体育館とかは3回程貸してくれたのですが、その後急に「使用不可」となかなか厳しい状態です。
まぁ、手裏剣を理解して貸してくれるところが有る方が珍しいんでしょうけどね・・・。
さて、流儀紹介もなんだかんだで続いております。
手元の資料をほとんど載せてるだけなので簡単ではありますが、良く見ると誤植もあるので注意しながらとなると結構大変・・・(〃^∇^)o_彡☆あははははっ
私の入力ミスもあるだろうし・・・(それが一番多いかも)
そういうのを気にしないでいただけると助かります(^^;)
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天津蹈鞴九鬼神流棒術・・・流祖 大国鬼平重信
流儀解説
当流の起源は元弘二年三月七日北条高時の暴虐により後醍醐天皇が隠岐国に御遷行になった時、出雲武士が守護に駆集した名和一族の大国鬼源太清定、大国鬼三太清澄、大国鬼八郎清近等を祖としている。
大国一族は皆、武道の達人で棒術及び体術に優れていた。
この末裔である大国鬼平重信も武術に優れ、熊野の修験者となって修行中のある時、高木流柔術高木源之進の道場を訪ねた折、源之進病弱のため、乞われて揚心流柔術第四代を継ぎ、主として高木流柔術を教え、併伝として九鬼神流棒術を教えた。後に播州赤穂に住し、以来、代々赤穂藩に高木揚心流柔術とともに伝えるに至った。
第十代大国鎌治英俊の高弟赤穂藩士八木幾五朗久喜は、天保十二年、渡辺崋山、高野長英らの蛮社の獄に連座し、藩を追われて浪人になり、明石魚之棚に住して道場を開いた。
藤田藤五郎久吉、水田芳太郎久喜、高松寿嗣翊翁、上野貴澄水と伝えられたのが本伝である。
六尺の長棒、三尺又は三尺五寸の半棒の技法を伝承している。
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棒術なので、他流儀と動きはそんなに差は無いかもしれませんが、打ち込み時に放り投げるような動作で行うのがあるのが少し違うところかもしれません・・・。
※他流でもあるでしょうが、細かく見てないのでわかりませんw・・・(おぃ)
私の練習用は通常の白樫の六尺棒と、紫檀で出来た物でやってます。
紫檀は少し重いのがいいです![]()
2名でお互いの打ち込み練習をやるのですが、六尺棒の打ち込みの音は迫力あるので楽しいです^^
以上、毎回簡単・・・ではありますが、天津蹈鞴九鬼神流棒術のご紹介でした~。
