物心ついて、僕が初めて親にねだって買ってもらった音楽のレコードは、

タイガースの「シー・シー・シー」。

小学3年生、1968年の事だった。





小学校低学年でタイガースという、かなり「マセガキ」だった僕は、

その後もこの一世を風靡したアイドルグループが大好きだった・・・。

このバンドもまた、フォークルと同じく、京都で生まれた。


1965年、岸部修三(現在の岸部一徳!)、森本太郎、瞳みのる、加橋かつみにより、

沢田研二を除くタイガースの原型「サリーとプレイボーイズ」が結成される。

岸部、森本、瞳の3人は市立北野中学の同級生。

そして瞳の山城高校に加橋が編入、4人は四条河原町界隈でバンド活動を始める。


当初、エレキのインストバンドであったが、次第にボーカルの必要性を感じ、

同時期、別のバンドでボーカルをしていた沢田研二と

四条河原町のダンスホール「田園」で出会い、「ファニーズ」を結成。

(今は無き岡崎の)京都会館で開かれた「全関西エレキバンド・コンテスト」に

ローリング・ストーンズの「サティスファクション」で参加して優勝。

関西を拠点とした活動で知名度を上げていく。


その後、内田裕也の誘いで上京が決まり、

渡辺プロとの契約で、「タイガース」と名前を変え、ポリドールレコードからデビューをする。

デビュー曲は、1967年の「僕のマリー」


しかし、すでにこの時から、本格的バンド志向の強かったメンバーは、

プロダクションの意図するアイドル路線に違和感を持っていたようだ。

そんなメンバーの思いに反し、出す曲は次々と大ヒットし、

タイガースは一躍スターダムのトップに駆け上がる。

そして・・・


既定路線で活動を続ける沢田と、それに疑問を感じる加橋、瞳との間の溝は大きくなり、

1969年、加橋かつみ脱退。新メンバーには岸部の弟、四郎が参加する。

しかし同年、音楽界の多様化やフォークソングブームの台頭などで、

急速にGS(グループサウンズ)ブームは翳りを見せる。

そして彼らは、1971年、「ビューティフルコンサート」を最後に解散をする。

実質4年の活動期間・・・。


解散後、タイガースは、瞳を除くメンバーで何度か再結成され、コンサート活動も行った。

1981年、東京・有楽町の日劇が取り壊されるのを前に、

「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、

ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツなどのGSが再結成して集結。

瞳以外のメンバーが結集し、ザ・タイガースも再び活動を始める。


翌1982年には「ザ・タイガース同窓会」と銘打って本格的に始動。

ただし、瞳みのるに配慮して「来たい人だけ来ればいい」という意味合いから、

一貫して「同窓会」の語を用い、自分たちは「再結成」とは決して称しなかった。

そして『THE TIGERS 1982』やシングル「色つきの女でいてくれよ」をリリースし、

ヒットとなる。


解散後、一切の交流を絶っていた瞳に捧げる曲が、2003年、沢田、岸部、森本によって作られ、

2008年の「SONGS」でも沢田が歌った。

そして2013年、44年の星霜を経て、フルメンバーがそろった復活コンサートは実現した・・・。


晩年の活動はともかく、絶頂期のタイガースは、子供の僕にとって、光り輝く存在だった。

本人たちが望まなかったとしても、これだけ多くの人を熱狂させたという事は、

それに相応しい耀き、価値があったということの証。

これもまた、京都に生まれた音楽界の出会いの奇跡といえる・・・。

当時の彼らを見られるYoutubeは数少ないし、また消えてしまうかも知れないが、

少しでも当時の熱気が伝わればいいなと思う。


僕のマリー


花の首飾り


シー・シー・シー