3月11日。あの日から、もう4年。


ウィンタースポーツのジャンルでブログを始めたからには、

どうしても書いておきたい物語があります。

多くのスポーツブログでも語られ、メディアでも特集された事もあり、

もちろんご存知の方も多いお話です。

そして、東北の被災地の方々の前に進む元気のために、この物語を紹介させて下さい。



ダン・ジャンセン。

スピードスケート短距離 500m・1000mの選手。

圧倒的な実力を持ちながら、オリンピックのメダルには縁がなく、

悲運のスケーターと呼ばれていました。

(そしてその物語は、のちのスキージャンプ、

われらが葛西紀明選手ともオーバーラップするのです)



最初のオリンピックは、1984年のサラエボでした。

若き才能は、500mで4位となり、惜しくもメダルは逃しましたが、

次の五輪に向け、期待を集めました。

しかし、そのあと続くいばらの道をこの時、暗示されていたのかも知れません。



1988年のカルガリーでは、500m・1000mとも金メダル最有力候補と言われるまでに

成長して臨みましたが、

500mの試合の前日、白血病で入院中だった最愛の姉の死を知らされました。

憔悴しきった表情で臨んだ試合、彼は第一コーナー付近で転倒。

続く1000mでも、中盤までトップタイムで通過しながら、残りわずかの直線コースで、

まさかの転倒。

本来の力は発揮できず、メダルどころか記録も残らないという悲運に泣きました。



1992年のアルベールビルまでの間もワールドカップでの圧倒的な実績を重ねて臨みましたが、

500mではバランスを崩して失速、

1000では前半をトップで通過するも、その無理のせいか後半ペースを大巾に落とし、惨敗。



そして、1994年、リレハンメル。

夏冬のオリンピックの開催が交互に行われる制度の変更があり、

2年後にまたチャンスが訪れました。

既に28歳となったダンにとって、これがラストチャンスとなる大会でした。



決死の覚悟で臨んだ、得意の500m。

順調な滑りで前半を乗り切るも、最後のコーナーでバランスを崩し手を付いてしまいます。

またも最後に失速、結局8位に終わりました。



残された競技は、1000mのみ。しかし、500mにくらべれば精彩を欠く種目。

この時点でもう、周囲はダンのオリンピックは終わったのだと思いかけていました。

本人も500mで勝てなかった事で、自分はメダルには縁が無かったんだと諦めかけていました。

そして最後のレースは、応援してくれた家族やファンへの感謝のために滑ろうと考えました。

しかし、それで気持ちの切り替えが出来たのかも知れません。



1000mのレースが始まります。

この種目を得意とする、先行の優勝候補の選手がオリンピック記録を叩き出し、

その後、誰もこの記録を抜けないまま、ダンの順番を迎えます。

ダンはペース配分を忘れたかのようにスピードに乗って飛ばして行きます。

600mの通過タイムでトップの選手のラップタイムを上回り、場内は大歓声に包まれます。

しかし、直後のコーナー付近でバランスを崩し、手を付きます。それも二度・・・。

歓声は悲鳴と変わり、事情を知る多くのスケートファンの脳裏に

過去の悪夢がよぎります・・・。



しかし、会場は一体となって彼を後押しします。

「頑張れ、ダン!」

あきらめてはいけない。お前はいつだって強かったじゃないか・・・。



もう、体力は残っていなかったのかも知れません。

それでも彼は残りの距離を、歯をくいしばり、もがくように滑り切りました。

タイムは、1分12秒43、世界新記録!

最後の最後に歓喜が訪れた瞬間でした。

会場全体が、そしておそらくTVを通じて応援していた全世界のファンが彼を祝福しました。



He Did It !  天国のお姉さん。彼はやったよ!

人生、諦めてはいけない。乗り越えられない試練は、無い・・・。

ありがとう、DJ。





この物語の映像は、ほとんどIOCの管理下にあり、共有することが出来ませんが、

カルガリーからリレハンメルまでをコンパクトにまとめて下さったYouTube映像を

見つけました。感謝して使わせていただきます。

そして、東北の皆さんも、まだまだつらい事も多いかも知れませんが、

元気を出して、少しずつでも前に向かって進んでいって下さい。