日本時事評論 2月20日号 〈 天録時評 〉より



国際情勢が一層複雑化、不安定化し、軍事大国化した中国の覇権行動が強まるなど、


憲法改正が急がれる。


にもかかわらず、国民の関心は高まっていない。


改正の最大の課題であり、同時に大きな壁となるのが憲法九条だ。


九条改正のためには、戦争への不安を抱いている人々に、


平和を守るためにこそ軍備が必要なのだということを、丁寧に説明していく以外にない。



漠然とした不安


「わが国を他国が軍事侵略してきても、白旗を掲げて抵抗しない、殺されても仕方がない」


と答える特殊な人々は問題外として、


国防は必要だと思いながら、憲法改正に「反対」「どちらかといえば反対」あるいは「分からない」


と答える人々は、


憲法九条を改正すれば「戦争をするのではないか」「戦争に参加させられるのではないか」


という不安を抱いている。



こうした漠然とした不安を抱えた人々を改正に賛成させなければ、改正は困難ということになる。


しかし漠然とした不安を抱く人々を説得するのは容易ではない。


そこには戦後教育が深く影を落としている。


戦後教育、とりわけ日教組が強い学校現場では、徹底して「戦争=悪」「軍隊=悪」と教えられてきた。


親が自衛隊員の児童、生徒がいるにもかかわらず、


「自衛隊員は人殺しだ」と黒板に大書する教員は珍しくなかった。


戦争の残虐さのみが刷り込まれてしまうと、戦争に対して論理的な思考ができなくなる。


また、大東亜戦争は領土や資源の獲得のために、財閥や軍部が行ったのだという単純化が行われた。


近代以後の国家間の戦争は様々な要因、各国の利害あるいは歴史的経緯などが


複雑に絡み合っている。


戦争を防止するには戦争を知らなければならないが、わが国では十分な研究も行われず、


知識も乏しい。



憲法九条を改正せず、国防の努力もほどほどで平和が保たれれば良いと思っている人々にとっては、


憲法九条の墨守を叫ぴ、「戦争する国にするな」と感情に事える改正反対運動は、


一定の効果を上げている。


これに対抗するには、平和を維持することの難しさを説き、力の均衡で平和が保たれている現実を


説明し、一人ひとりの持つ不安に寄り添うように語りかけること が求められる。



第二次大戦の教訓



ヒトラー率いるナチス・ドイツの侵略や、ユダヤ人に対する殺戮を防止する機会を逸したとされるのが


「ミュンヘン協定」だ。


ヒトラーは、1934年に権力を掌握し、翌年にヴェルサイユ条約を無視して再軍備宣言を行った。


さらに1936年3月にヴェルサイユ条約で非武装地帯と定められていたラインラントに陸軍を進攻させ


駐留させた。


当時、ドイツ軍の軍備はお粗末で、陸軍の反対を押し切っての作戦だった。


もし、1936年にフランス軍がラインラントに進軍すれば


「貧弱な軍備のドイツ軍部隊は反撃できずに、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった」


とヒトラー自身が述べている。


しかし、ヒトラーの読み通り、フランス軍はラインラントへの進軍を行わなかった。



1938年3月、武力による威嚇でオーストリアを併合したヒトラーは、5月に


「チェコスロバキアを地図から抹消する」として 「10月2日までに戦争準備を終了しろ」と命令した。


こうした状況を憂慮した英仏の首相は、ヒトラーにチェコ侵攻を思いとどまらせようとして、


ヒトラーとの首脳会談を繰り返した。


ヴェルサイユ条約でチェコスロパキアに割譲されたズデーテン地方の即時占領を主張する


強硬なヒトラーに対し、交渉は難航した。



期限が追った9月29日からミュンヘンで、仲介役のイタリア・ムッソリーニを加え、


独仏英伊の四カ国の首脳会談が行われた。


この四カ国によって結ばれたミュンヘン協定では、ドイツの要求がほとんど認められ、


ドイツ軍は10月1日にズデーテン地方に進軍し、軍需工場をはじめとする工業地帯を


手に入れたのである。


この交渉の結果、ヒトラーは英仏が戦争に訴えることはないと確信し、


1939年9月にポーランドへの侵攻を開始した。


そして 第二次世界大戦へと拡大していったのである。



ミュンヘン会談の直後の議会で、チャーチルは


「われらは戦わずして敗北したこと、その敗北が後にまで尾を引くことを知れ」


「これは終わりではない。やがてわれらに回ってくる大きなつけの始まりにすぎぬ」


と融和政策を批判した。


英仏が早い段階で軍事行動に踏み切っていれば、ヒトラーの野望は緒に就くこともなかった。


平和を望む英仏の国内世論の強い声のために、英仏政府は戦争を避けようとし、


ヒトラーの条約違反を黙認し、不当な要求を飲んだのである。


しかし 平和のための融和政策こそが、悲惨な戦争を招いたのである。



平和は力の均衡


世界の中で平和という言葉はどういう意味で使われているだろうか。


多くの人の考える平和とは、とにかく何も波風が立たず、そして、戦闘機が飛び回らず、


銃弾が飛び交わない、そういう世界だ。


しかし、これは平和が実現されているたまたまの情景でしかない。


平和の根本は、カと力がしっかり均衡していることだ。


例えば A、B、C、D国があったとき、各国が持つ軍事力をはじめ、情報発信力や経済力、


それぞれが結び合う同盟条約など、ありとあらゆる力が関わって、


広い意味での力と力が拮抗している場面では平和が達成される。


例えばD国が力を失い、バランスが崩れると、


A、B、Cの各国とも安全確保のために、D国に対して様々な介入を行う。


D国の利権を巡って対立が生じ、新たな秩序が回復できなければ各国が出兵する。


そして、紛争や戦争に発展する。


つまり平和は、力とカが均衡を保ってこそ維持できるのである。


そのためには軍事力のみならず、


他国との同盟条約などで自分の力を充実させておかなければならない。


これは、世界各国すべての国がそういう論理で動いている。


さらには軍事力というのは、絶えず訓練をし、最新の装備を整えていてこそ有効な力となる。


世界の 平和というのは、実は「力の均衡」によって成り立っているのが現実だ。



わが国が戦後、平和を保てたのは、憲法九条があったからではない。


米軍が存在したからだ。


七十年前の敗戦で日本軍が解体された後は、米軍の存在によって 力の空白地帯が生まれず、


力が均衡していたからこそ独立と安全が保たれてきたのである。


米軍が存在していなければ、ソ連や中国によって分割占領され、


チベ ットやモンゴルのような植民地となっていたことだろう。


そうなれば、九条どころか日本国憲法自体が存在していない。



国民を愚弄


憲法九条改正反対の理由も少しずつ変わっている。


かつては、わが国が再びアジアの国々を侵略する戦争を起こしてはいけないと言って反対してきた。


さすがに現在では、わが国が領土拡張などのために、中国や朝鮮に軍隊を送って、


侵略戦争を起こすと批判しても、国民の共感を得られな くなってきた。


そこで、憲法九条を改正すれば、米国の手先になって、


海外での戦争に参加させられると言って反対している。


この前提は、米国は悪い戦争をしているということになる。


確かに、米国が行ってきた戦争はニ面性を持っている。


自国の利権・国益を確保するため、手段を選ばず、相手を叩きつぶそうとする戦争と、


自由、民主、人権尊重などの高い理想を実現するための戦争だ。


大東亜戦争でのわが国との戦争には大義はなく、米国の利権確保、国益のための戦争であった。



しかし、第二次世界大戦から後の米国の戦争は多くの場合、この二つの側面を伴っていた。


共産主義との戦いだった朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ、米国が戦後の世界秩序を維持してきた。


もちろん、米国の指導者も間違えるし、様々な利害が絡んでいるから、理想を掲げて戦っても、


イラクやアフガニスタンに見るように、その理想が実現せず、混乱と無秩序を拡大することもある。


しかし、米国が戦わなければ、自由を奪われ、人権を抑圧された人々はもっと多く、


不正義が横行する世界であったことも事実だ。


それは、今のシリアを見てもよく分かる。


シリア軍が毒ガスを使った段階で、米国が実力でアザド政権を倒しておけば、


ここまで泥沼の内戦になり、イスラム国と称するテロ組織が支配地域を拡大することもなかった。



もし、再ぴ、ヒトラーのような人物が権力を握り、侵略行動を行った時、


わが国は平和主義で指をくわえて見ているのであろうか。


世界の国々と共に、軍事力を行使して独裁者を倒すことが正義であり、わが国の平和を守ることになる。


要するに、正義のための戦いであれば、わが国も米国と共に戦うべきである。


米国の利権のための戦いであれば、参加しなければよい。



シリアで明らかなように 米国ですら他国のため、世界秩序の維持のために戦争を遂行することは


困難になってきた。


不正義の戦争を行えば、政権は維持できない。これはわが国でも同様だ。


米国の手先になって不正義の戦争に参加すれば、国民から拒絶され、政権を失うのは明らかだ。



護憲派の主張は国民への不信の表明


九条改正に反対する「九条の会」は、自衛隊が米国の手先になるとして、


集団的自衛権の行使にも反対している。


あたかも、国民が騙されて戦争に参加させられると決めつけている。


要するに、九条の会の人々は、多くの国民が愚かであり、


権力者に騙されるに決まっているから、九条を改正してはならないと主張しているに等しい。


九条を改正したら、戦前のような軍国主義が復活するほど、日本国民は愚かだろうか。


戦後70年、多くの犠牲を出した敗戦の教訓は決して忘れられていないどころか、


わが国の国民ほど戦争への忌避感情の強い国民はいない。


もともと戦いを避ける平和的で、温和な国民である。


むしろ戦争を忌避するために、国防努力すら行わないことこそが、戦争を誘発するのである。


米国はいつまでもわが国を守ってはくれない。


わが国が、価値観を同じくする国々と手を結び、協力し合って、力の均衡を保ち、


平和を維持するために憲法九条の改正が必要なのである。


国民の生命や財産を守り、独立と平和を守るためにこそ、九条の改正が必要なことを、


丁寧に説明していく努力が今こそ求められている。



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