皆さんは、この女性を憶えていらっしゃるでしょうか。
歌手、シセル・シルシェブーさんです。

今ではもっぱら、「シセル」と呼ばれる事が多いようです。
サラ・ブライトマンやスーザン・ボイル、
ヘイリー(この人も略されてる・・・ヘイリー・ウェステンラ)達と共に、
世界的に有名になった美声の女性シンガーです。
北欧ノルウェー出身の彼女を最初に観たのは、
1994年2月、リレハンメル五輪の開会式の舞台でした。
オリンピックが始まると、いえオリンピックが近づくと、
関連番組を含めて、たくさんの競技を録画するのが僕の4年に1度のルーティンなのですが、
競技と共に、大体、開会式と閉会式も録画してしまいます。
でも、後になって少し浮かされた熱が落ち着いてくると、
競技のビデオは観る事はあっても、
なかなか開会式・閉会式のビデオまで観ようという気にはなりませんが、
僕のライブラリーの中の唯一の例外がこのリレハンメル五輪です。
北欧の、比較的小さな街(村?)で開催されたこのオリンピック。
思い返せば色々な名場面が浮かんできます・・・(///∇//)
スキージャンプ。
今では笑い話として語られる事が多い、「原田の失速」。
西方仁也・岡部孝信・葛西紀明・原田雅彦。
4人で挑むジャンプの団体戦で、各選手2回、計8本で争うこの種目。
7本目まで終わって、日本は、2位のドイツに大差をつけていました。
ドイツのアンカー・バイスフロクが135Mの大ジャンプを見せ、その差は少し詰められたものの、
最後の原田が、105Mを飛びさえすれば、金メダル!という場面。
ラージヒルのK点が120Mですから、普通に飛べば、そのあたりまでは当然飛べる距離。
そんな中、緊張に押しつぶされたか、原田は、何と97.5Mの大失速ジャンプ。
悲嘆にくれる原田のところに駆け寄る3人の仲間・・・。
気丈に語りかけるノリちゃん。
「原田さん、良かったじゃないですか。銀メダルですよ・・・」
今ではほろ苦くも懐かしく笑って話せる場面となりましたが、
当時の僕の落胆はひどく、しばらく仕事も手に付きませんでした。
そこを契機として1998年、長野の歓喜の団体金メダル、
そして2014年・ソチ五輪・葛西紀明、悲願の個人銀メダル・・・
と続く名場面の伏線となっていく訳ですけどね。
この頃のノリちゃん、孝ちゃん、仁ちゃん(友達かー!!)達の、
スキー板と身体が水平になってしまうような飛行フォーム。
勇敢で恰好良かったなー(//・_・//)
まさに「カミカゼ」でした。

スピードスケート。
拙ブログでも、以前に書きましたが、ダン・ジャンセンの物語です。
その8年前のカルガリーオリンピック、
男子スピードスケート500Mと1000Mの絶対本命といわれながら、
スタートの直前に、最愛の姉の死を知らされます。
悲しみをこらえて500Mの競技に臨むも、途中で信じられない転倒。
さらに続く1000Mでもまた転倒。
4年後のアルベールビルでも失速。
最後と決めて臨んだリレハンメルの舞台でした。
500M、快調に跳ばし、誰もが今度こそ金メダルか!と思い始めた後半、
カーブで手を突いてしまいます。またも失速。
この時点で、誰もが「もう彼のメダルを賭けた戦いは終わったのだ」と思い始めていました。
そして臨んだ、競技人生最後の種目、1000M。
その年、記録の伸びていなかった種目。
彼にはもうメダルへの執着は無かったかも知れません。
競技人生の集大成、ただお世話になった人々への感謝を込めて。
何度もふらつきました。それでも彼は滑り切りました。
タイムは・・・当時の世界新記録!
そして・・・悲願の金メダル!
ダンが、会場中が、全世界の視聴者が泣きました。
そして、暖かい祝福の空気が会場全体を包み込みました・・・。
⇒乗り越えられない試練はない ― ダン・ジャンセン物語
そして、フィギュアスケート!
もうほとんどの方は記憶の彼方に忘れ去られているであろう、「ケリガン殴打事件」。
全く下らない醜聞だったのですが、アメリカ女子代表を争う一番手・ナンシー・ケリガンを、
ライバルのトーニャ・ハーディングに指示を受けた関係者が襲い、怪我をさせる・・・
といった馬鹿馬鹿しいスキャンダルでした。
結局、両選手とも、五輪の舞台には登場するのですが、
今思い返しても、当然、金メダルに値するほどの選手ではなく、
その舞台に彗星の如く現れたシンデレラガールが、オクサーナ・バイウル
でした。
いやいや、
マーク、付けてしまいましたが、
1972年のジャネット・リン
様(こちらも当然、
マーク!)に恋をした後、
ずっとフィギュアは観続けてはいたのですが、そこまでの思い入れはありませんでした。
そこで目にした、オクサーナの美しい演技。
不遇な家庭環境に育ちつつも、コーチのズミエフスカヤや、
スケート仲間のペトレンコ、ゴルデーワ
&グリンコフ達からの支援も受け、花開いた才能。
このブログでも、すでに何回か触れている話ではありますが、何度でも書きます!
「好きなものは好き!」 「ネタが尽きたら繰り返し!?」 (=◇=;)
SPの「黒鳥」を滑り、2位に着けます。
しかし、フリー前日の練習時に他の選手と激突事故を起こし、
(羽生君とハンヤンの、あれです・・・)
足を3針縫う怪我。
痛み止めを打って出場した渾身のフリー「ミュージカルメドレー」。
滑り終えた安堵で涙顔。(僕も・・・)
キスクラで、そして、金メダルが決まった後の号泣。(僕も・・・)
そして翌日、重圧から解き放たれたEXの美しい「白鳥」。
何度観ても飽きることはありません。
⇒リレハンメルに咲いた花 ー オクサーナ・バイウル
さてさて、今日の本題に戻ります。
そんな、素敵なオリンピックとなったリレハンメル。
その開会を告げる舞台は、後日、激闘の場となるジャンプ会場でしたが、
そこで高らかに披露されたのが、彼女の「オリンピック讃歌」でした。
オリンピック讃歌は、それまでも何度か聴いている曲のはずですが、
こんなに美しい曲だったのかと、改めて聞き惚れてしまいました。
そして、このオリンピックの感動を、その時すでに予感させてくれていたのかも知れません。
Sissel - Hymne Olympique
この年は、羽生結弦君が生まれた年。
オリンピックに愛されたこの青年が誕生するにふさわしい年だったかも知れません。
そして、余談ですが、僕の次男が生まれた年でもあります。
プライベート情報ですのでこれ以上詳しくは話せませんが、
次男には、このオリンピックにちなんだ名前を付けました。
ヒントは、高橋真梨子さんのこのオリンピックにちなむ名曲。
そして、当時はあまり聞かなかったけど、今ではとても多い男の子の名前の「読み方」。
ほぼ、分かってしまいそうな気もしますが、まあいいか。
気が向いた方はクイズにチャレンジしてみて下さいね~
当っても「いいね」10個ぐらいしか出ませんが・・・ (Θ_Θ;)
ハイドロの練習中ですが、何か?
歌手、シセル・シルシェブーさんです。

今ではもっぱら、「シセル」と呼ばれる事が多いようです。
サラ・ブライトマンやスーザン・ボイル、
ヘイリー(この人も略されてる・・・ヘイリー・ウェステンラ)達と共に、
世界的に有名になった美声の女性シンガーです。
北欧ノルウェー出身の彼女を最初に観たのは、
1994年2月、リレハンメル五輪の開会式の舞台でした。
オリンピックが始まると、いえオリンピックが近づくと、
関連番組を含めて、たくさんの競技を録画するのが僕の4年に1度のルーティンなのですが、
競技と共に、大体、開会式と閉会式も録画してしまいます。
でも、後になって少し浮かされた熱が落ち着いてくると、
競技のビデオは観る事はあっても、
なかなか開会式・閉会式のビデオまで観ようという気にはなりませんが、
僕のライブラリーの中の唯一の例外がこのリレハンメル五輪です。
北欧の、比較的小さな街(村?)で開催されたこのオリンピック。
思い返せば色々な名場面が浮かんできます・・・(///∇//)
スキージャンプ。
今では笑い話として語られる事が多い、「原田の失速」。
西方仁也・岡部孝信・葛西紀明・原田雅彦。
4人で挑むジャンプの団体戦で、各選手2回、計8本で争うこの種目。
7本目まで終わって、日本は、2位のドイツに大差をつけていました。
ドイツのアンカー・バイスフロクが135Mの大ジャンプを見せ、その差は少し詰められたものの、
最後の原田が、105Mを飛びさえすれば、金メダル!という場面。
ラージヒルのK点が120Mですから、普通に飛べば、そのあたりまでは当然飛べる距離。
そんな中、緊張に押しつぶされたか、原田は、何と97.5Mの大失速ジャンプ。
悲嘆にくれる原田のところに駆け寄る3人の仲間・・・。
気丈に語りかけるノリちゃん。
「原田さん、良かったじゃないですか。銀メダルですよ・・・」
今ではほろ苦くも懐かしく笑って話せる場面となりましたが、
当時の僕の落胆はひどく、しばらく仕事も手に付きませんでした。
そこを契機として1998年、長野の歓喜の団体金メダル、
そして2014年・ソチ五輪・葛西紀明、悲願の個人銀メダル・・・
と続く名場面の伏線となっていく訳ですけどね。
この頃のノリちゃん、孝ちゃん、仁ちゃん(友達かー!!)達の、
スキー板と身体が水平になってしまうような飛行フォーム。
勇敢で恰好良かったなー(//・_・//)
まさに「カミカゼ」でした。

スピードスケート。
拙ブログでも、以前に書きましたが、ダン・ジャンセンの物語です。
その8年前のカルガリーオリンピック、
男子スピードスケート500Mと1000Mの絶対本命といわれながら、
スタートの直前に、最愛の姉の死を知らされます。
悲しみをこらえて500Mの競技に臨むも、途中で信じられない転倒。
さらに続く1000Mでもまた転倒。
4年後のアルベールビルでも失速。
最後と決めて臨んだリレハンメルの舞台でした。
500M、快調に跳ばし、誰もが今度こそ金メダルか!と思い始めた後半、
カーブで手を突いてしまいます。またも失速。
この時点で、誰もが「もう彼のメダルを賭けた戦いは終わったのだ」と思い始めていました。
そして臨んだ、競技人生最後の種目、1000M。
その年、記録の伸びていなかった種目。
彼にはもうメダルへの執着は無かったかも知れません。
競技人生の集大成、ただお世話になった人々への感謝を込めて。
何度もふらつきました。それでも彼は滑り切りました。
タイムは・・・当時の世界新記録!
そして・・・悲願の金メダル!
ダンが、会場中が、全世界の視聴者が泣きました。
そして、暖かい祝福の空気が会場全体を包み込みました・・・。
⇒乗り越えられない試練はない ― ダン・ジャンセン物語
そして、フィギュアスケート!
もうほとんどの方は記憶の彼方に忘れ去られているであろう、「ケリガン殴打事件」。
全く下らない醜聞だったのですが、アメリカ女子代表を争う一番手・ナンシー・ケリガンを、
ライバルのトーニャ・ハーディングに指示を受けた関係者が襲い、怪我をさせる・・・
といった馬鹿馬鹿しいスキャンダルでした。
結局、両選手とも、五輪の舞台には登場するのですが、
今思い返しても、当然、金メダルに値するほどの選手ではなく、
その舞台に彗星の如く現れたシンデレラガールが、オクサーナ・バイウル
でした。いやいや、
マーク、付けてしまいましたが、1972年のジャネット・リン
様(こちらも当然、
マーク!)に恋をした後、ずっとフィギュアは観続けてはいたのですが、そこまでの思い入れはありませんでした。
そこで目にした、オクサーナの美しい演技。
不遇な家庭環境に育ちつつも、コーチのズミエフスカヤや、
スケート仲間のペトレンコ、ゴルデーワ
&グリンコフ達からの支援も受け、花開いた才能。このブログでも、すでに何回か触れている話ではありますが、何度でも書きます!
「好きなものは好き!」 「ネタが尽きたら繰り返し!?」 (=◇=;)
SPの「黒鳥」を滑り、2位に着けます。
しかし、フリー前日の練習時に他の選手と激突事故を起こし、
(羽生君とハンヤンの、あれです・・・)
足を3針縫う怪我。
痛み止めを打って出場した渾身のフリー「ミュージカルメドレー」。
滑り終えた安堵で涙顔。(僕も・・・)
キスクラで、そして、金メダルが決まった後の号泣。(僕も・・・)
そして翌日、重圧から解き放たれたEXの美しい「白鳥」。
何度観ても飽きることはありません。
⇒リレハンメルに咲いた花 ー オクサーナ・バイウル
さてさて、今日の本題に戻ります。
そんな、素敵なオリンピックとなったリレハンメル。
その開会を告げる舞台は、後日、激闘の場となるジャンプ会場でしたが、
そこで高らかに披露されたのが、彼女の「オリンピック讃歌」でした。
オリンピック讃歌は、それまでも何度か聴いている曲のはずですが、
こんなに美しい曲だったのかと、改めて聞き惚れてしまいました。
そして、このオリンピックの感動を、その時すでに予感させてくれていたのかも知れません。
Sissel - Hymne Olympique
この年は、羽生結弦君が生まれた年。
オリンピックに愛されたこの青年が誕生するにふさわしい年だったかも知れません。
そして、余談ですが、僕の次男が生まれた年でもあります。
プライベート情報ですのでこれ以上詳しくは話せませんが、
次男には、このオリンピックにちなんだ名前を付けました。
ヒントは、高橋真梨子さんのこのオリンピックにちなむ名曲。
そして、当時はあまり聞かなかったけど、今ではとても多い男の子の名前の「読み方」。
ほぼ、分かってしまいそうな気もしますが、まあいいか。
気が向いた方はクイズにチャレンジしてみて下さいね~
当っても「いいね」10個ぐらいしか出ませんが・・・ (Θ_Θ;)
ハイドロの練習中ですが、何か?