こんにちは。


いつも、気まぐれなブログにお付き合い下さいまして、ありがとうございます。



今日お越しくださったあなたは、どこから来られましたか?


今日の話は、「スキージャンプ」です。



長野オリンピックのジャンプ団体の金メダルは、まだ記憶に鮮明な方も多いでしょう。


ソチの前にも、オリンピックの名シーンとして何度も放映されていましたし、


ソチで銀メダルを獲得した葛西選手の悔しい思い出としても紹介されていましたから。


そしてその団体の金メダルは、名もないテストジャンパー達の決死の思いがなければ


決して成し遂げられなかった、と言う話も、後にドキュメント化されましたので、


これまたこのブログにお越し下さる皆さんでしたら、ご存知の方も多いでしょう。




今日と明日は、そのテストジャンパー25人の中の一人、


あの吹雪の中で、一人だけの闘いに挑んだ若者の物語です。


当時、札幌テレビが制作したドキュメンタリー番組「風の音は聞こえない ― 少年竜二・・・空を飛べ」


から書き起こした文章と、僕の思い入れを元に綴らせていただきます。

 

STV様、感謝してお借りします m(u_u)m






日本中が期待に胸躍らせていた。


船木が、原田がヒーローとなるその日。


同じジャンプ台に、TVで放送されることのなかったもう一つの物語があった。



テストジャンパーNO.20。


そう呼ばれた若者の物語。


テストジャンパーは決して名前でよばれることはない。


その姿が放送されることもない。


ただ、頬に受ける風の冷たさを感じて彼は白馬の空へと羽ばたいた・・・






131mの大ジャンプ。


会場がどよめく。


しかし、その拍手は、彼には届かない・・・。



僕は耳が聞こえません。


風の音も分かりません。


彼の名は、高橋竜二






1983年。竜二9歳。


音のない世界に暮らす少年は、いつしかジャンプに夢中になっていく。


巡りゆく季節の移ろいの中で少年は幾たびも空を飛ぶ夢を見た。


鳥になりたい・・・。


沈黙の世界に音を捜し、言葉を求めながら、少年は夢に向かって走り続けた。


これは、15年の歳月に刻み込まれた、少年とその家族の魂の記録。




北海道・札幌。


冬になれば白一色に染まるこの街で竜二は生まれ育った。


三人兄弟の末っ子。


母は十代の終わりに突発性の難聴に襲われた。


1974年、竜二誕生。


だが、幼な子が音のない世界に生きていることを周囲ははじめ気付かなかった。


竜二が言葉を覚えない。ひょっとして・・・。


何よりも恐れていたことがわが子の身に起きているのでは・・・。


竜二4歳の春、その事実がはっきりした。


この子は生まれつき耳が聞こえない。


言い知れぬ思いが父に、そして母にのしかかった。


その日から母は死に物狂いで言葉を教え込もうとした。


そんな生活にストレスがたまり、父は竜二を外に連れ出した。




雪国で子供たちは幼いころからスキーに親しむ。


街の少年少女と同じように言葉が溢れる場所にわが子を置きたい。


父は竜二にアルペンスキーをやらせた。


しかしそこで早くも出会った音の壁。


スタートの合図が聞こえない・・・


でも父は決してあきらめなかった。


ジャンプならスタートの振り下ろされる旗さえ見えれば出来るはずだ。


そして竜二は、空を飛んだ。







難聴の少年がジャンプに挑む。


それは驚きをもって伝えられた。


少年は同じ年頃の仲間とともに
 
外の子供と同じように空を飛ぶ、その刹那。


竜二は彼にしか分からない自由を感じていた。




ジャンプスポーツ少年団の練習で少しづつ飛ぶ距離を伸ばしてゆく。


遠くへ飛べば飛ぶほど彼の世界は広がってゆく。


父の傍らにはいつも父がいた。



「先生が、40mのトライアルジャンプみんなで飛びなさいって」


「怖いから飛べないよ・・・」



父はジャンプを知らない。


だから息子により遠くへ飛ぶ術を教えることが出来なかった。


もうあの日から15年。


ジャンプ少年団の練習場があった荒井山。


小学生の竜二を連れて、父はこの山を何度登った事だろうか・・・。




10歳の時。


スキー博物館で、笠谷選手の金メダルを見て、少年の心に小さな夢が育ち始めていた。


どれか一つでもいいから欲しいなあ・・・。


毎日書き綴られた日記には飛ぶことに魅せられた少年の心の輝きが繰り返される。


もっともっと飛ぶんだ・・・。





1985年。竜二6年生の夏。


高校生が競い合う70mの会場に少年と父がいた。


ジャンプ少年団の誰もが中学に進むと目指す70m級のジャンプ台。


父は、せめてそのハードルまでは超えさせたかった。


それまで40mのジャンプ台しか知らない少年にはその勾配が果てしなく長く見えた。



「怖いよ」


「ジャンプは勇気だよ」



父はいつもそう言い聞かせてきた。


たとえ少年団でジャンプをしていても、70mを前に尻込みし、去ってゆく子供もいるという。


少年たちの誰もが目指す目標。だからこそ父は竜二に70mが拓く新しい世界を見せたかった。


よその子供たちに負けてほしくない・・・。








父は少年団のコーチに子供を託した。


かねてから障害者の指導に心を砕いてきたコーチなら


きっと竜二をより高い空に導いてくれるはずだ。


竜二の抱えるハンデをコーチは呑み込んでいた。


真っ直ぐ向き合ってしゃべる。


その唇を読むことが出来れば補聴器の助けはいらない。


聴力に障害を持つものは、平衡感覚を保ちにくいと言われる。


ジャンプは何よりもその平衡感覚を必要とする競技だった・・・。



コーチは、自らカメラで竜二のジャンプを撮影した。


映像を使えば理解も早くなる。


真綿が水を吸収するように、竜二は空を飛ぶ技術を身に着けていく。


まるでわが子のようにコーチは指導に熱中していった。


話しかけるときは真っ直ぐ向き合って唇を読ませることを忘れない。


竜二が風に乗って空に登る。


少年の向こうにふたりの男が同じ姿を夢見ていた。





北の国をいくつかの季節が渡って言った。


沈黙の世界に竜二を送り出したと知った時、


父と母に襲い掛かった言い知れぬ恐れは、


巡る季節の中で徐々に驚きに代わっていった。


ジャンプは少年と世界を結ぶただ一つの扉。


その扉を少年は自分で開こうとしていた。







1987年、竜二中学1年の冬の朝。


70m級に挑む竜二を母が励ます。



「難しくないよ。思い切ってビューって飛んでおいで」


「荒井山と宮の森とは別・・・。」



いつの頃からか母は竜二のジャンプを見にこなくなくなった。


もしも空中でバランスを失ったら・・・。


ハンデを克服するために選んだ道はいつも息子を気遣う母の不安と隣り合わせにあった。




この日、コーチは別の思いで見ていた。


自分が教えられるのはこの70mまで。


障害を持つ者にとってそれは十分すぎるゴール。


竜二は無事に飛べるのか・・・


少年は未知の斜面を滑り降りる・・・。







飛んだ!


コーチの不安を裏切って。


コーチはこれがゴールと思っていた。


そして、安堵し、満足していた。



しかし、飛び終えて竜二はもう次の目標を決めていた。


僕は90mを飛ぶ!


これまで難聴でありながらその斜面に踏み込んだものは一人もいない。


目もくらむ大倉山のスロープが少年を待っていた・・・。







1990年春、


中学校を卒業した竜二は、初めて親元を離れて小樽の高等聾学校に進んだ。


荒井山に雪が降るころになると週末を利用して竜二は欠かさず家に戻っていた。


竜二は90mをあきらめてはいなかった。


「今夜が最後の練習です。明日は大倉山に挑戦だ」


そこにコーチはもういない。


ジャンプを知らない父と二人だけで育んできた90mの夢。


竜二はただ黙々と飛ぶ・・・。


仕事を終えた父が荒井山に着く頃には、もうとうに日は暮れている。


独学で二人三脚。二人は大倉山に執念の様にこだわり続けてきた。


家に戻っても特訓は続いた。


シーズンは終わりを迎えようとしていた。


明日を逃せば、また一年待たなければならない・・・。






母は、練習を重ねる二人に怯えてさえいた。


「お父さん、もういいじゃないですか・・・」


難聴でありながら大倉山を飛んだものは一人もいない。


70mを飛んだ頃から父はいつも保険証を携えていた。


万が一の時に備えて・・・。




翌朝二人は大倉山ジャンプ台に向かった。


そこは選ばれたものだけを受け容れる山。


スロープの先に身を躍らせる事ができるのは、ジャンプに挑戦する高校生でも5人に1人という。


竜二の前にそびえる傾斜角度35度のアプローチ。


滑り降りる斜面を見下ろして足がすくむ・・・。


恐怖に打ち勝った者だけが空に羽ばたく翼を持つことが出来る。


竜二はどうしても鳥になりたかった。


その思いは父も同じだった。


出来ることなら変わってやりたいと叶わぬ夢が浮かんで消えた。



札幌の金メダリスト笠谷幸生は言っている。


「風の音が頼りのジャンプを耳の聞こえない竜二が飛ぶ。


私はその姿に驚嘆した。」と。






わずかにバランスを崩しながらも、竜二は飛んだ。


飛び終えてなお納得がいかないかのように首をかしげた。


その顔が不満気にさえ見えた。


ひょっとすると恐怖は父の方が遥かに勝っていたのかもしれない。


空に舞うその瞬間は、身に受けた宿命からの解放、自由。



「少年時代は耳が聞こえないということに他の人が理解してくれなかったんですよね。


ますますミジメっていうか、孤独感が強くなっていった。


でもジャンプをはじめてから周りの人も理解してくれますよネ。


心も何か開いていくような感じで・・・。


「耳が聞こえないこと」を恐れないで、自分が他の人と同じと思って行動すれば、


周りの人も認めてくれるっていうか、わかってくれますよネ。」



その日から幾度も飛んだ。


各地の競技会で竜二はめきめきと頭角を現した。


一つ年下の船木和喜と同じ表彰台に立ったこともある。


すでに船木は広く名を知られていた。


恐らくは恵まれた環境でトレーニングを積んでいたに違いない船木。







相変わらず週に一度、荒井山で練習を続ける竜二の記録が伸び悩み始める。


父と二人でやって来た我流ゆえの限界なのか・・・。


竜二は空に祈る。


僕はもっと飛べるはずだ。 


飛ばなければいけないんだ・・・。






           (明日に続きます・・・。)