進撃の巨人 END OF THE WORLD
いやもうここまで否定的な意見が多い映画って、あの伝説のデビルマン実写版ぐらいじゃないかっていうほど叩かれまくりの進撃の巨人実写版2部作。まあ両方に共通するのは超有名名作コミックが原作で、ある程度力量のある監督・スタッフが製作に参加してる分だけそれなりの期待感があったってことぐらいだけれど、それにしてもこの酷評・悪口・文句の嵐。いやまあ配給会社的にはそれでも話題になるぶんだけお客さんは入るわけで、別に叩かれようが知ったこっちゃないだろうし、監督にしても脚本家にしてもこれで干されるような心配もないわけで(しかも監督は次回作ゴジラって、この手の人のしてみればある意味頂点を極めるわけだし)、正直別段気にしちゃいないだろうけれど(こんな酷評で精神的に参るよう人たちじゃ映画製作なんてできません。いやでもいろんなものを読んでると結構気にしてる感もあるかな。特に町山)、こういう鳴り物入りで製作・公開されたSF大作がこういう状況に落ちっていること自体がこれからの邦画SFにとって与える影響についてはきっちり責任を取るべきだとは思います。
前作に関しては思いっきりハードルを下げればそれなりに見所もありました(詳しくは前作ブログをご覧下さい)。結構なスプラッタ描写とか、巨人の侵攻による絶対的な絶望感はホラー映画としても、目指してたであろうおバカでカルトなB級映画のテイストもそれなりに表現されてたとは思います。まあそれ以外見るべきところがゼロっていう事実もあるんですが、それでも怒りを感じるほどのこともなく、人に聞かれりゃそれなりに観れた(上から目線で偉そうですが)って答えてたんですが…
いやー後編。ごめんなさい。どれだけ好意的に、どれだけ優しく、どれだけハードル下げても無理です。
これほんとひどいです。
まず、根本的な質問。なんで2部に分けたんでしょう。いや純粋に映画として長いとか、物語の構成上2部じゃないと語れないとかっていうんならわかります。でもね、これそうじゃないですよね。正直物語的には2時間弱で語れるようなシンプルなストーリーなのに、引き延ばし感が半端ないというか、敢えて理由があって2部作にしたとしか思えないほどのスカスカシナリオなのはもう配給会社のあざとい計算が見えまくり。それならそれでもっと踏み込んでいろんな要素を詰め込めばそれなりに深みが出るはずなのに、それを一切やらずそれぞれのシーンを無駄に引き延ばしただけだから90分もない上映時間なのにやたら退屈。役者たちの演技も学芸会レベル(っていうかそういう演出しかされてないからしょうがない)で観てるこちらが恥ずかしくなるような稚拙さ(特に石原さとみのハイテンションと長谷川博巳のイヤイヤ感はほんと恥ずかしい…)。これなら戦隊ヒーローものや仮面ライダーの方がよっぽど観れます。そして売りの特撮。今回ひどいです。前作にあった巨人の絶対的な恐怖感が今回はゼロ。ただの着ぐるみプロレスにまで成り下がってしまいました。いや、サンダ対ガイラをやりたいのはわかるんですよ。でもね、散々ハリウッド製のCGを観てきた今の観客に訴えかけるのに、ここまでセンスのないザ・特撮をひけらかすのは自己満足以外の何物でもないでしょう。最近ネットで評判になったウルトラマンのCGムービーがあったけれど(これは最高です)、あっちにあって進撃にないの見せ方のセンス。平成ガメラであれだけ爆発してたセンスがなんでここまで劣化したのか、ほんと目を覆いたくなるくらいの凋落ぶり。例えば今回、巨人が大きく見えない。これは巨人同士の肉弾戦を描いているからだけれど、ガメラとレギオンはきちんと大きく見えました。それは細かいところへの目配せ(カメラ位置やミニチュアの配置、ちょっとしたディティールの見せ方、活かし方など)が今回はほんとおざなりというかツッコミ不足。これは多分監督の原作に対してのリスペクトが悪い方へ向いた結果だと思う(もっと現実世界との接点をこの世界へ持ち込めればうまくいったとは思うのだけれど、それは甘い目線かもです)。
内容に関してもやりたい事はわかるんですよ。さっきも書いたけれど、これはアメリカバカB級絵がへのオマージュであってお話し自体がバカでどこかで観た事あるようなのはあたりまえっていうか確信犯なので、それは別に構わないのだけれど、決定的に違うのはアメリカのカルトなB級野郎たちは、バカなB級を意図して作ってるのではないっていこと。作ってる本人はあくまでクソ真面目に自分の思いの丈を映画に込めているだけで、それがただB級映画として世間に受け入れられてるだけ。ハナからB級を目指してるような映画はそれだけですぐにわかるし、そういう映画には感動なんてしない(コーマンなんてそういうやつの代表だけれど、彼には志を持った若いスタッフっていう財産がある)。今回のこの小手先だけのB級感はある意味全てのB級監督への冒涜だと思うのだけれど、それはちょっと言い過ぎか(というかそこまでの価値もないかも)。
とにもかくにもまあ制作費ウン億円の学芸会という、ある意味素晴らしく贅沢なウンコを体験できたのは自分の映画人生にとって貴重な体験でした。
★
あと町山さん、いろんなとこで言い訳してるけれど(しかも結構時h分は悪くないっていう言い方多いですね)、みっともないから止めた方がいいです。
いやもうここまで否定的な意見が多い映画って、あの伝説のデビルマン実写版ぐらいじゃないかっていうほど叩かれまくりの進撃の巨人実写版2部作。まあ両方に共通するのは超有名名作コミックが原作で、ある程度力量のある監督・スタッフが製作に参加してる分だけそれなりの期待感があったってことぐらいだけれど、それにしてもこの酷評・悪口・文句の嵐。いやまあ配給会社的にはそれでも話題になるぶんだけお客さんは入るわけで、別に叩かれようが知ったこっちゃないだろうし、監督にしても脚本家にしてもこれで干されるような心配もないわけで(しかも監督は次回作ゴジラって、この手の人のしてみればある意味頂点を極めるわけだし)、正直別段気にしちゃいないだろうけれど(こんな酷評で精神的に参るよう人たちじゃ映画製作なんてできません。いやでもいろんなものを読んでると結構気にしてる感もあるかな。特に町山)、こういう鳴り物入りで製作・公開されたSF大作がこういう状況に落ちっていること自体がこれからの邦画SFにとって与える影響についてはきっちり責任を取るべきだとは思います。
前作に関しては思いっきりハードルを下げればそれなりに見所もありました(詳しくは前作ブログをご覧下さい)。結構なスプラッタ描写とか、巨人の侵攻による絶対的な絶望感はホラー映画としても、目指してたであろうおバカでカルトなB級映画のテイストもそれなりに表現されてたとは思います。まあそれ以外見るべきところがゼロっていう事実もあるんですが、それでも怒りを感じるほどのこともなく、人に聞かれりゃそれなりに観れた(上から目線で偉そうですが)って答えてたんですが…
いやー後編。ごめんなさい。どれだけ好意的に、どれだけ優しく、どれだけハードル下げても無理です。
これほんとひどいです。
まず、根本的な質問。なんで2部に分けたんでしょう。いや純粋に映画として長いとか、物語の構成上2部じゃないと語れないとかっていうんならわかります。でもね、これそうじゃないですよね。正直物語的には2時間弱で語れるようなシンプルなストーリーなのに、引き延ばし感が半端ないというか、敢えて理由があって2部作にしたとしか思えないほどのスカスカシナリオなのはもう配給会社のあざとい計算が見えまくり。それならそれでもっと踏み込んでいろんな要素を詰め込めばそれなりに深みが出るはずなのに、それを一切やらずそれぞれのシーンを無駄に引き延ばしただけだから90分もない上映時間なのにやたら退屈。役者たちの演技も学芸会レベル(っていうかそういう演出しかされてないからしょうがない)で観てるこちらが恥ずかしくなるような稚拙さ(特に石原さとみのハイテンションと長谷川博巳のイヤイヤ感はほんと恥ずかしい…)。これなら戦隊ヒーローものや仮面ライダーの方がよっぽど観れます。そして売りの特撮。今回ひどいです。前作にあった巨人の絶対的な恐怖感が今回はゼロ。ただの着ぐるみプロレスにまで成り下がってしまいました。いや、サンダ対ガイラをやりたいのはわかるんですよ。でもね、散々ハリウッド製のCGを観てきた今の観客に訴えかけるのに、ここまでセンスのないザ・特撮をひけらかすのは自己満足以外の何物でもないでしょう。最近ネットで評判になったウルトラマンのCGムービーがあったけれど(これは最高です)、あっちにあって進撃にないの見せ方のセンス。平成ガメラであれだけ爆発してたセンスがなんでここまで劣化したのか、ほんと目を覆いたくなるくらいの凋落ぶり。例えば今回、巨人が大きく見えない。これは巨人同士の肉弾戦を描いているからだけれど、ガメラとレギオンはきちんと大きく見えました。それは細かいところへの目配せ(カメラ位置やミニチュアの配置、ちょっとしたディティールの見せ方、活かし方など)が今回はほんとおざなりというかツッコミ不足。これは多分監督の原作に対してのリスペクトが悪い方へ向いた結果だと思う(もっと現実世界との接点をこの世界へ持ち込めればうまくいったとは思うのだけれど、それは甘い目線かもです)。
内容に関してもやりたい事はわかるんですよ。さっきも書いたけれど、これはアメリカバカB級絵がへのオマージュであってお話し自体がバカでどこかで観た事あるようなのはあたりまえっていうか確信犯なので、それは別に構わないのだけれど、決定的に違うのはアメリカのカルトなB級野郎たちは、バカなB級を意図して作ってるのではないっていこと。作ってる本人はあくまでクソ真面目に自分の思いの丈を映画に込めているだけで、それがただB級映画として世間に受け入れられてるだけ。ハナからB級を目指してるような映画はそれだけですぐにわかるし、そういう映画には感動なんてしない(コーマンなんてそういうやつの代表だけれど、彼には志を持った若いスタッフっていう財産がある)。今回のこの小手先だけのB級感はある意味全てのB級監督への冒涜だと思うのだけれど、それはちょっと言い過ぎか(というかそこまでの価値もないかも)。
とにもかくにもまあ制作費ウン億円の学芸会という、ある意味素晴らしく贅沢なウンコを体験できたのは自分の映画人生にとって貴重な体験でした。
★
あと町山さん、いろんなとこで言い訳してるけれど(しかも結構時h分は悪くないっていう言い方多いですね)、みっともないから止めた方がいいです。