今回は、小中の連携ができていない英語教育について記載します。

 

 

ブログやXを観察していると、「中1の最初から英語のテストが難しい」とか、「小学校で英語を学んでいる前提で中学校の授業が進む」といったことが目に入ってきます。

 

 

雑誌「英語教育」の7月号に『バトンを受け取る中学校・高校の先生方へ 小学校英語について知って欲しいこと』という記事が掲載されていました。

 

 

『』は雑誌からの抜粋です。

 

 

『*「音声中心」が意味すること

「読むこと」及び「書くこと」の目標に今一度目を通していただきたい。中・高での「読むこと」・「書くこと」とタイトルは同じでも、実態は著しく異なっている。
中学校の教科書に「小学校で学んだ単語や表現」がリストの形で載っていると、無意識に「これらの単語は読めて書ける」と思い込み,リストを提示して「読んでごらん」とか「書けるでしよ」と言ってしまいそうになる。が、そのような力は小学校ではつけないことになっている。単語のリストを絵で示したらけっこう聞いたり言ったりできるけど文字ではからっきし、というのが「音声中心」の実態である。』

 

 

中1の最初のテストで、小学校で習ったとされる何百もの英単語から出題されるという声を目にします。単語のスペルを書くテストだと。

 

 

うちの娘(中3)の中学はそこまで強いられていなかった気もしますが、上の文章を見ると、「小学校で習ったとされる何百もの英単語から出題される」ということが本末転倒だということが分かります。

 

 

確かに教科書の最後に「小学校で学んだ単語や表現」のリストが掲載されていますね。700ぐらいでしょうか。

 

 

小学校では音声中心なので、書けないのは「当たり前」で、単語のリストを絵で示したら「分かる」ということのようです。

 

 

中学校の英語の成績が出来る生徒と出来ない生徒に分かれて、中間層がいない二極化が起きているとよく聞きますが、なるべくしてなっているように感じました。

 

 

数年前から学習する英単語数が増え、小学校でも学習するようになったものの、小学校ではほとんど「書く」ことはしていない。その前提を無視して中学校では授業が進む。。。という理解が難しい事象が起きているようです。

 

 

この記事の最初に、

 

『本稿では「今さら…・・」と言われることを覚悟で,中・高の英語の先生方に理解しておいてほしい小学校英語教育について理する。』

と記載されている通り、ほとんどの中学校の先生は理解しているように感じますが、一部の先生は理解されていないのかもしれません。

 

と書きながら思いましたが、中学校の先生も被害者?!なのかもしれません。教える内容が増えているのに、学校の授業時間は増えていないからです。小学校である程度、身に付けてくる前提で中学校の授業内容が構成されていてもおかしくないですね。

 

 

。。。というように何かしら問題があるようですが、どこに問題があるのか分かりにくいです。小学校と中学校の連携を強化すれば解決するような話しではない気がしました。

 

 

『教科になったものの。小学校の先生方は概して「英語力をつける」という意識が高くはない。中学校の先生方からすると「既習のはず」のことでも、小学校の先生には「その表現を使ってやり取りや発表をさせたことはあるけれど、既習かと言われると困るなあ」というのが本音なのではあるまいか。』

 

 

これは。。。本当だとしたら笑うに笑えないのかな。。。と。(小学校の先生の問題ではなく、学習内容を組み立てに問題がありそうです。)

 

 

どこに問題の本質があるのか。。。を時間がある時に調べたいなと思いました。

 

 

 

 

後は、この記事から印象に残った箇所について記載したいと思います。

 

 

『子どもの学び方の特徴は「使うことを通して言葉を身につける」ことであると考えている。この特徴があるので,「言語活動を通して」が最も行いやすい校種であるともいえる。文字を介在させることなく「使うことを通して言葉を身につける」力を発揮させるには、記号的な経験よりも肉声あふれる言語環境の中で、子どもたちが主体的に意味と音を結びつけやすいような指導が望ましい。

 

 

小学校が「音声中心」であることが望ましい理由が書かれています。これは確かにそうかもしれません。

 

 

『意味の体現者(?)としての音声(=肉声)を中心に据えるのだ。この国に長年「音を出すのは文字」、「話すことは読み上げること」という英語しかなかったとしたら、10年のうち初めの4年間は音声中心の教育が行える時代の到来は、後光が別すほどまぼゆくありがたいことである。この千載一週の好機を、文字だらけの英語の低年齢化に終わらせるようでは、この国の英語教育に救いがあるのか、文字通りの老婆心でいっぱいである。』

 

 

どうしても中学校以降が文字中心の学習になるので、最初の4年間は音声中心にしたいということですが、その視点で小学校の英語が組み立てられているんですよね。。。きっと。この著者(東京学芸大教授 粕谷恭子さん)だけの思いではないのかなと思いました。

 

 

『学校で既習ということになっているbe動詞のSVC文型を例に挙げると、必ずしも教科書で体系的・網羅的に扱われているわけではなく,I'm hungry. It's Monday. He is cool. She is a tennis player. It was fun. などの表現が散発的に現れる。既習ということになっている語彙や表現でも、中学校で整理する必要があるということである。「小学校で文法的に整った音声をたくさん蓄え、中学校で理してもらう」というのが学習者にとって学びやすいコースだと考えているのだが、果たして文法の支えになるような音声の質・量を小学校で身につけているかっ確認できていない。』

 

 

小学校で散発的に出て来た文が、確かに中学校で既習になるのは辛いですね。小学生はなんとなく意味は分かっても文法的に理解している訳ではないと思うので。。。

 

 

小・中・高の先生方が一堂に会して、10年間分のCan Do リストを作っている自治体もある。このような試みには、自分の校種だけですべてをまかなっているのではない、という自覚を持てる効果があると考えられる。』

 

 

例えば、さいたま市のように独自で学習内容を作っているところは問題ないんでしょう。でも。。。自治体に任せるのではなく、文科省が定義する内容。。。とも感じます。

 

 

。。。今回のこの記事を見て、小学校・中学校の連携がうまくいっていないことは分かりましたが、問題と認識されていて、解決する動きがされているのか。。。が気になりましたね。

 

 

以下の記事を見ると。。。そんな感じはしないですけどね。。。

 

 

 

 

 

 

2024/7/30追記

 

ヒヤリハットさんから有益なコメントをいただいたので追記します。

 

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中学校の教科書はとんでもなく難しくなっていて大変だなと思います。

連係を何とかするためには、中学校の英語教育を易化させつつ量を増やし、
音声教育を引き継ぐように行う必要があると思います。

本当に重要な点を英語教育は無視してるんじゃないかと思うんですよね。

基礎導入教育に「膨大な時間がかかる」のが言語教育だということです。
そして、今の日本の英語教育はそれを無視して、ピラミッド型ではなく、高度になるほどに時間を増やす逆三角形型の教育になっていることが問題なのではないかと考えています。

重要な点を無視せずに教育を行うのであれば、

1 小学校での英語教育こそ歌って聞いて大きな声でしゃべってみたで終わらせることをせず、同じ内容で良いので時間を倍増させ丁寧に行うべきです。公立の小学校に通ううちの小6の子の英語の授業は、週にたったの2限しかありません。45分×2しかありません。これを相当に増やす必要があります。

また、小学校の音声教育による英語の習得を過度に期待せず、
2 音声教育をより加速させつつ、中学校教育における英語文法導入は丁寧に行い、小学校時代の音声教育に論理を加え習得を加速させるための活動とすべきです。難易度を上げずに授業時間を増やすことが求められると思います。


家でのこども英語の勉強に付き合ってて思いますが、算数・数学は論理をある程度一直線上に積み上げながら能力が向上させる科目です。対して、英語や国語の言語能力はそれこそ赤ん坊の時から絶え間なく親が話しかけ、絵本を読み聞かされ、他の人間からの問いかけに応じ、体系化されていくもので、下地の醸成に1歳から8歳くらいまでの時間がかかる科目だということです。
その点を無視しているので、小学校の間の英語教育は簡単だと勘違いし、なんの血肉にもならずに中学校に突入し、突然(科目としては)求められる能力が変わったようになり、過去の英語ができない人間を多量に生産した教育と大して変わらない状況になっていくのではと思います。
ぜひ改善をしてほしいなと心から考えています。

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