恩師と言えば、私にはもう一人、とても感謝している先生がいる。

 

 

 

感謝しているとは言っても、当時は先生の事をとても煩わしく感じていた。

 

高校生の時、私はヤンキーと呼ばれるような少女になっていた。

 

 

 

その先生は簿記が専門で、隣のクラスの担任だった。

 

その先生の担任のクラスだけは、帰りの会終了後に簿記のプリントを毎日1枚させられるのだ。

 

1年生の時は担任ではなかったので、放課後そのクラスの横の廊下を通る時、みんなで「かわいそ~!」と大声で笑いながら通り過ぎた。

 

 

 

しかし、なんとその先生が、2年生、3年生と、連続で担任となってしまったのだ。

 

私は絶望した。

 

 

 

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担任初日、先生は「クラスの生徒を一人残らず簿記2級全員合格をさせる」と、高らかに宣言した。

 

みんなは「えっ~!!」の大合唱だったが、先生はどこまでも本気の目をしていた。

 

そして、「簿記2級を持てば、将来きっとそれが武器になる時が来る」と言った。

 

すごく簡単に説明すると、簿記には、難しい方と、そうでない方と2種類あるのだが、なんとその難しい方の2級だと言う。

 

「いやいや、絶対無理でしょ」とみんな鼻で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、先生の情熱は半端ない。

 

仕方なくではあるが、早く帰りたい一心で、プリントと向き合うハメとなってしまった。

 

化粧をし、髪にパーマをかけたミニスカートの制服姿で、放課後は真面目にプリントに向き合うという、はたから見れば珍事のような事になった。

 

プリントを全問正解しないと、何度でも、何時になっても、先生は諦めずにやり直しをさせるのだ。

 

毎日、毎日、来る日も、来る日も、わかるまで何時間でもやった。

 

 

 

 

 

厳しいだけなら、誰も先生の言う事など聞かない。

 

先生は問題が起こった時、いつも怒る前に、先に「なんでそうなった?」と必ず聞いてくれるのだ。

 

頭から悪いとは、絶対に決めつけなかった。

 

生徒の分がどんなに悪い時でも、一緒に校長や教頭に頭を下げてくれた。

 

徹底的に私達の味方になり、いつもどんな時も生徒を守った。

 

これは大人になってわかった事だが、先生も自分の立場が当然あったはずで、上司のいう通りにしておいた方が先生のためである。

 

しかし、先生は自分の立場など一切考えていなかった。

 

放課後のプリントだって、やろうがやるまいが、先生の給料には関係がないのだ。

 

嫌がっている子供に、無理矢理勉強をさせるほど難しい事はない。

 

だけど、手の付けられないとんでもない不良も、先生の言う事だけは真面目に聞いた。

 

 

 

 

(先生は一切ゴマすりしなかったけど、私はこのゴマすりで離乳食を作りました。)

 

 

 

 

なんと、その甲斐あって、卒業前にほぼ全員が合格したのだ。

 

その時は、無事に終わってホッとして気分だけで、やっと簿記から解放されたとさえ思っていた。

 

しかし、面接では先生が言った通り、それが武器となった。

 

その後会社員となり、経理を任され、一緒に入った進学校卒の子は苦戦する中、何の苦労もなしに仕事をこなす事が出来た。

 

あれだけ嫌だった簿記が、もう無意識に身につき、頭で考える前に手が動くように、身体に叩き込まれていたのだ。

 

その後、転職してもその資格は生きた。

 

 

 

 

 

今ならわかる。

 

先生は、お金には代えられない「財産」をくれたのだ。

 

「芸は身を助く」と、「やれば出来る」を、根気よく情熱を持って体験させてくれたのだ。

 

 

「努力は必ず報われる」というが、報われない事の方が多い事もまた事実だ。

 

だけど、「諦めない事」が一番難しい。

 

自分で自分の事さえ諦めていた私。

 

その私を、諦めないでいてくれたのだ。

 

「情熱」の「熱」は、その熱を向けられた人間に必ず伝線する。

 

こんな不良の、いかにも世間では蔑まれるような風貌の私達を、何のフィルターも通さず、真正面から向き合ってくれた。

 

 

 

(このサイズのバッグでは到底収まりきれない財産だ)

 

 

 

 

先日、その先生が亡くなった。

 

高校卒業してからは、ほとんど連絡もとらなくなった同級生から、「今日がお通夜だって」と連絡がきた。

 

私の今住む所から斎場まで、往復2時間かかる。

 

突然で子供の事もあるし、どうしようと悩んだが、先生にはお礼を一度も言っていない。

 

最後に一言だけどうしてもお礼を言わないと後悔すると思い、思い切って、斎場まで車をとばした。

 

 

 

 

斎場に到着して驚いた。

 

先生の名前が書いてある会場の出入り口には、入りきれないほどの卒業生と思われる人たちが行列になっていたのだ。

 

みな、私と同じ気持ちだったのは間違いない。

 

 

 

 

「毎日少しの積み重ねが、いつか大きな財産になって自分に戻ってくるよ」とよく娘に言って聞かす。

 

これを言う時には、必ず頭に先生を思い浮かべる。

 

これから先もずっとそうだ。