親父の本棚にずらりと並ぶ吉本隆明本。

幼き頃の原体験。本とのふれあいがこんな人であるのも

ちょいと妙か。まあ、いいとして。

最近、自分の立場って何かと考える。

これが良い、悪いってことを、いつの間にかすべて保留してる。

ポジションとか想いとかをはっきりさせていくことで

その人の思想って形作られていくもんなのねと

つくづく思う本だった。

毎日毎日の細かいことひとつひとつにしっかりと

自分のあり方を決めてみようと思う。心の中で密かに思った。

客観的データとは別のところで、力を産みそうな気がするよ。

以下引用。

いまの日本は、道徳的にもよくないから、
品格とか愛国心とか武士道精神といったものを
復活させようという考え方がブームになっているようです。
しかし、僕はそういうことは無駄である、
初めから無駄なんだと考えています。
そういう復古的ないし懐古的なやり方が、
このかつてない新しい社会の状態に対して
通用するでしょうか。
僕は復古的な考え方は通用しないと思っています。

大切なことはその都度変っていきます。
だから何が人生で重要だというふうに言われたら
ずっと一貫して、大切なものと現状の自分との
距離について考えていくことだと思うのです。

真贋
意外と浅いようで、女子の深いとこ突くなあと。

すごいな。女子に純粋なソフィア・コッポラ。

男子でも女子のこと分かるフリしたいし

女子でもまたしかり。

でも、この映画は人間の深淵なんて何も描かない。

女子向けの気持ち。女子だけの景色。女子だけの喜び。に満ちている。

しかも、女子全員がこれに「よし!」って思うかどうかも微妙。

ほんとに女子女子してるものって、変に女子に反発されたりするし。

ただただ、浴びるように見ていると、ふと寂しい気持ちになったりも。

「こんな風に生き続けるのって、しんどいわ」と。

空騒ぎし続けることを支える生きる力は、どれだけあっても

足りない。

男子に純粋に、ひたすらに男らしく生きるのも、

結構しんどいのだろうなあ。

そういうことが最近キツいんだなあと変なことに

気づいた映画だった。

マリーアントワネット
パーンと華やかな幸せもあれば、シンと何の音もしない幸せもある。

喘息のミーナの周りに広がるシンと幸せ。

そうなのだ、喘息持ちには独特のシンとした幸せがあるんだ。

天井見てるときも、ずっとなんか耳鳴りみたいな呼吸音がしてるし

そもそもなんだか自分の身体のくせにうまいこと動かないし

走ってもゼイゼイいって、風を楽しく切れないし。

それでも感じる世の中のいろんな輝きは、忘れない。

それだから、ちょっとしたことを異常に楽しめる。

いつからか喘息は不思議なくらいおさまったけど、

そんなことを思い出して、シンとした幸せを味わった。

それだけで十分だ。

小川洋子という人はファンタジー書きだなあと心底確認した。

ちゃんと向き合わないと、読み終えるのが結構難しいんだけど。

味わいがほそーいとこ走るからなあ。

ミーナの行進