お茶を続けることで見えてくる世界を
端的に分かりやすく伝えてくれる。
こういう本を読むと、本当に日本の伝統モノを
自分の身を投じてやってみたいと思う。

ただの雨の音が変ったりする、らしい。
気がつかなかった花々が都会に咲き誇っている、らしい。
部屋を通り抜ける風の音で季節を感じる、らしい。

そして、覚えることでこなすことを越えていく
身体から溢れ出す型、自然に動いてしまう不思議な
何かにとらわれたような感覚を味わえるようだ。
自転車にはじめてフワッと乗れたときのような?
サッカーボールがクイッと曲がったときのような?
そういうのが大好きなので、お茶とか能は惹かれる。
オートマチック身体。

やりたいと強く念じれば、きっとできるのだろうが。
時間なんて、本当はなんとでもなるからなあ。
そして、本から一節。

会いたいと思ったら、会わなければならない。
好きな人がいたら、好きだと言わなければならない。
花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。
嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。
それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、
だんらんをかみしめる。
一期一会とはそういうことなんだ…。

日日是好日?「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
韓国で大ヒットしてるって、これ流行る社会は
相当すばらしい。サブカルっぽい映画なのに。
アジアの雑多な街中を
ハリウッドな怪物が駆け回る。
それだけでワクワクする。
こういう違和感をきっとウルトラマンとかゴジラとかは
作り上げていたんだ。すごいな、昔の日本人。
やっぱり怪物がかけまわるのは洗練されていない
ごちゃっとした空間に限るのです。
だって、そのほうが、ガンガン壊れたりするのが
本当に楽しい。規則的に壊れない。
なぎ倒されていく。快感です。
その怪物を相手するのが、アホで貧乏な家族というのも
いけてる。なんの抵抗もできずに怪物にドカッてやられるの。
まったくの予定調和のなさ。コミックコント。
だから、飽きない。
どうなるか分からない。ドキドキし続ける。
監督さんの画取りも、グラグラするカメラワークとか
なんか必死で役者に食らいついていくフレームの感じとか
すげえなあ、うまいなあと思いながら、見てました。
考えついて、ここまで仕上げる、そうありたい。

グエムル