劇場はウエストエンド、ほんと遠い。

昔、やったことあるけど、こんな遠かったらそりゃ来るの嫌になるなあ、正直。

小劇場と呼ばれる世界のスゴさは

たったひとりの世界観がすべてを決めていること。

ひとりの役者がいる場合。

今回はひとりの作家がいる場合。(演出はまあ、ほどほどだった)

それを支えてくれる俳優さんがしっかりみつかったり、みつけたりできたら

幸せだけど、なかなかそんなこともない。

という劇団だった。奇跡は起こってなかった。

丁寧に丁寧にその人間の癖をぬぐっていってるんだけど

同時に残念ながら一緒に人間の持つ魅力みたいなものを

どんどんなくしちゃってる気がした。

あとは、その世界観を作っている人の熱量ですべてが決まっちゃう。

だけど、そんなときはなかなか短いんだろうなあ。

ちょっと注目される劇団が次々出てきて

世の中を動かす前にどんどんいなくなちゃうのは

そういうとこに原因がありそうな気がする。

見せようという世界観と自分の中で溢れ出ちゃう世界観は違うしなあ。

徹底的に見せ物に徹する瞬間を、どのくらい作れるのか?

あんまり作れてなかったなあ、これは。

お金取るなら、そこはやっぱり大事にして欲しい。

志を買うのは、ボランティアだもんなあ。

ボランティアしてください!っていう集団なら別だけど。

それは、仕事じゃなくて、なんだろう?浪人?

野鳩0610
ヨハンソンを見に行ったのに

ヨハンソンのエロいシーンを見逃す。

ち。

少ししか寝てないのに、ピンポイントで

エロいシーンを見逃した。

映画自体は、楽しんだ。

品よく、お話もグイグイくるし、

いろんな映像マジックも満載だし。

贅沢映画だ。

ただ

最近思うのは、もう映画2時間っていうのは

冗長にすぎるんじゃないかということなんだけど。

コンパクトにダーッと楽しめるものを

2本立てとかでハリウッドメジャーが作んないかな?

世の中の生理とあわなくなってきている気が。

もはや映画がハレの日なんて人はいないでしょ。いいカッコして見に行くって言う感覚なし。

映画もファーストフード化して欲しい。

時間がね、ないのよ。

(※前に書いた記事とかが、異常に読みにくいので、一行あけて書くことにしました)

ブラックダリア

ちょっとだじゃれか?アメリカ人だじゃれ。

思いついたまま、書いてみる。

アメリカ人にとってもWTCはそこにあって当然のものなのだ。
あ、東京タワーみたいだ。
やっぱ、デカかったんだなあ、ビル。
日常って本当に微妙なことで崩れるなあ。
誰かと最後にかわした会話を思い出すことって切ないなあ。
そもそもがれきに埋まって死ぬの嫌だ。
埋まってる、動けない、嫌だ嫌だ。耐えれない。
あれ?ちょっと、気持ち悪い。閉所恐怖症気味かなあ、最近。
「家族愛」ってアメリカ人の専売特許?
戦いって連呼するな。被害者面すんな。どんだけ殺してんだよ、アメリカ人。
殺し数的には圧倒的にアメリカ人の方が多いんだろうなあ。
海兵隊って偉いのか?かなりマッドに描かれてるけど、こういう人たちなのか?
神様は何もアメリカ人のためにいるわけじゃない。
家族愛があるなら、みんなに分けろ、アメリカ人。
いろんな肌の色が住んでて、みんなアメリカラブで、必死にアメリカのことを守る、茶番。
アメリカ人はどう見るのか?
お金出して、こんなもん作って、完全にプロパガンダ映画じゃん。
それが世界中で見られる不思議。
泣けてる疑問。(意外と泣けてることは大事なのかも。泣けてない自分に危険とも思う)
人は同じに生きていることが確認できないことは、壊れてる。


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