ボストン美術館に眠っていた肉筆浮世絵コレクション。

(版画じゃなくて、注文で書かれた直筆浮世絵)

明治期にアメリカの医者が買い集めたものらしい。

版画浮世絵の方が構図とか全体のバランス感とかは優れている気がする。

でも、何がすごいって、着物だ。

着物の柄と色が恐ろしいほどの力で襲ってくる。

あのデザインの多様さとモダンさは舌を巻く。

スッキリとしたものから、ドロドロしたものまで、

いろんな手法が完成されてて、それを全部丁寧に描き取ってあるから

目がチカチカするほどのファッションショーのようなのだ。

この展示は、絵を見るんじゃなくて、人をひとりひとり見るもんだ。

きっとファッション雑誌を見る感覚に近い。

そう思って見始めたら、面白くてしょうがなくなって、

頭ガンガンするほど疲れ果てた。

集中しすぎると、脳全体がギリギリ言うんだよなあ。

以下の二点は、本物見ると、まるでムラカミタカシ。

もう江戸時代には、スーパーフラットは完全に完成していたし、

現代人はそれを何一つ越えていないことが分かってしまう瞬間。

何もかもを席巻するほどの力を持った美ってなんだ?

葛飾北斎「鳳凰図屏風」
葛飾北斎「唐獅子図」

江戸の誘惑1江戸の誘惑2
8023e801.jpgさらだまっくということばがなく。さらだまるでなし。のみものはこーらだし。これからへんしゅう。
基本的な知識がなく楽しめる類いのもんじゃなかった。

おそろしく細かい庭の図面を見て、震えた。

その執念と、それが当たり前の世界に、舌をまく。

そして、ひたすらに日本の古庭を測量し続けた3年。

そういう徹底的な過去への参照が生む力の底なし。

クリエイティブの裏には、何かしらの裏付けが必要だ。

人によって、その種類はきっと違うのだろうが。

でも、最近思うのは、テレビ作る奴があまりテレビみないとか

言うのは、きっとあまりにも恥ずかしいなということだ。

作り手なら、いちばんの事情通であるべきなのだろう。

庭ってやはり空間なものだから、この展示は図面と写真が多いので

相当卓越した想像力をもって望まないと目の前に庭が広がってこない。

ああ、こういう庭の前でひたすらにボーッとしたい。

たぶん、相当いい気が流れているはずなのだ。美しい庭は。

ちなみに、庭で大好きなのは詩仙堂。

重森三玲