(T▽T)に偽りあり | 蒼空の霽月

蒼空の霽月

もう何でもあり。

「あなたほどいつもご機嫌な人って他にいる?」


と、妻に言われる双月です。



ここでは(T▽T)をトレードマークみたいに使っているけど、実物は


♪(∩ω∩)♪←こんなの


だって、自分でも知ってるよ(T▽T)



『自分の機嫌は自分で取る』とかいう言葉が、正直なところ、ピンと来ないのだ。

日常で機嫌がマイナスに傾くことがなければ、取るご機嫌も発生しないのだと思う。


どうしてこの世界はこんなにも面白いのかと、毎日のようにしみじみと思うんだよ(笑)。



といっても、もともとの性格や性質に、そういった能天気スキルが備わっていたわけではなかったはず。

少なくとも幼稚園時代までの僕は、繊細で、弱っちくて、泣き虫で、何もかもが怖い、一言で言えば『ヘタレ』だった。

おそらくこちらが生得的な気質だった。


ただ、そこから先は繊細なままでは生きとれんかったのだ(笑)。


🌊(∩ω∩)🌊荒波に乗るYo!



今の、大抵のことは気にならない性格や、執着してもどうにもならないものに執着しない性質は、そうして後天的に身に付けていったものだ。


(ちなみに、執着を手放せることと、諦めてはならないものを見極めることは、セットで身に付けないといかんよ)



命の期限が目前に見えたとき。

薄暗い視界、聴こえづらくなった耳、常に誰かに首を締められているような息苦しさの中で、


「苦しい、痛い、しんどいというのを、どうしておまえは『嫌だ』と感じるのか?」


「死をなぜ恐れるのか」



暗闇の中、静かに、中心にある本質に向かって、玉ねぎの皮を表層から1枚1枚はがしていくように突き詰めていくと、最終的には何も残らなかった。

すべては実体のないもの、


「僕がそう感じているだけ」


でしかなかった。


無いんですよ。

実は何も起こってないの。


そして、その世界には『僕(自分/我)』というものも無い。



行き着いたら、突然何かからポンっと解放されたんです。



そこから、怒りや不快という他者ありきの感覚も、同じように淡々と処理されるようになったんだと思う。


怒りを感じてはいけない、という意味ではないですよ。

ただ、怒りという感情を、俯瞰して見るようになった。


するとね、そう。ほとんどすべてのことは、突き詰めると実は


『何もない』


んだよ。



鬱で寝たきりだったときも、フラッシュバックでのたうち回っていたときも、便器かかえてゲロ吐きながらどこか一部ではずっと


「この実体のないものにここまで振り回される人間の心理とは、一体なんなのだろう??」


「それがある/ないとして、俺は一体何に困るんだろう??」


とかとか件の皮剥きをやっていて、そんな自分自身もまたおかしかった。



だが、そう。せっかくだから『愉しい』とか『嬉しい』とか『好き』とか『心が震える』という感情は、そこまで分解せずに、玉ねぎのある程度の層のままで味わうことにしている。


さすれば、足元を過ぎる昆虫ひとつ取っても、道端の草花ひとつ取っても


ーーはたまた自身の心拍や呼吸や疾患の仕組みひとつ取ってもーー


僕にはこの世界は未だ知らないことしかなくて、


特別な場所に出掛けなくとも、こんな手近に感性を揺さぶられる事象に取り囲まれ続けていては、そりゃあ『いつもご機嫌な人』になっちゃうのでしょう。

というか、手近なものを消化するのに、特別なことをしている時間がないんだよ(笑)。




オリンピックが始まったことは、皆さんのブログから知った。

その時間は自身の地味なドラマをじっくりと味わうことに使っている。


ご機嫌です。


(∩ω∩)w