5年前のリオオリンピック閉会式で、雨の中、小池百合子都知事が色留袖を着て五輪旗を振った姿はごく自然で、着物を着慣れた人の堂々たる着こなしだったことを鮮明に覚えています。

 
ですが、その着姿や着付けに関して中傷のごとく物申す人は多く、当時はしばらくこの話題で持ちきりでした。
 
日本人は着物が好きだけれど、着姿の多様性は認めていない人が多いということがよくわかった事例です。(そういう人ほど、着物を買うことはないし着ることもない)
 

そして着物を買わないし着ることがない人にとっても、4年後にやってくる東京オリンピックでは、着物で盛りあがることを期待している気運がありました。

 

 

しかし「東京2020」は、開会式も表彰式も着物姿はありません。

 

開会式のプラカード持ちや表彰式メダル授与のボランティアの人は、男女ほぼ同数。

 

ゆえに未婚女性の第一礼装である振袖は採用されず、 多くの人が期待していた華やかさがなかったように思います。

 

「東京2020」のテーマとなった「多様性と調和」

 

東京オリンピック組織委員会が、多様性と調和を、個々を重視した多様性ではなく、 性別、年齢、人種にこだわらない多様性と受けとめたからのではないかと考察しています。なんでも平等は個性を失う方向へいくこともあるのだ…。

 

着物に関しては、日本独自の民族文化として日本博などの芸術振興、文化交流で盛り上げる予定ではなかったかと思います。(コロナ禍でなくなってしまったイベント多いのです)

 

言語も法律も、気候も環境も、風俗も歴史も それぞれ違う国が共通のルールで競い合う。
 
それがオリンピックの素晴しいところです。
 
どの国にも歴史的背景が育てた文化があり、開催国のそれを知ることもオリンピックの醍醐味。
 
世界中が注目するオリンピックだからこそ、日本らしさをみせて欲しい…。
 
そして、海外の人もそれを求めているはず、と思っています。
 
 
ある方からいわれました
 

「東京オリンピックで着物がつかわれなかった理由を考察して、みんなが納得できるように説明できたら、貴方は政治家になれますよ(笑」

 

(なれないし、なりたくないし、変な例えだけど)

 

それぐらい説明が難しいということだ、この話は。。。

 

 

 

【追記】
 
思いきって、公式グッズとなっている浴衣の採用はありだったと思います。
 
男女ありますし、洗えますし、着付けもしやすい。
 
時代にあわせて臨機応変に服飾様式を変えるチャンスだったとも思います。
 
でも格式を変えて批難されるより、全く新しいものを求めた結果が表彰式授与の衣装として選ばれた「新しい礼装」というコンセプトだった…ということかと。

 

 

朝香沙都子調べによる朝香沙都子独自の見解です。
あくまでも組織委員会が着物を採用しなかった可能性のひとつです。

2020年8月1日 文責 朝香沙都子
 
※写真は東京都HPより