どうして、東京2020では「着物」が登場しないのか…、

 

表彰式のための衣裳は2019年の春に公募していますが、公募の段階から着物の形状でないものを求められたとのことで、採用されたのは「新しい礼服」というコンセプトのもの。振袖でも着物でもありませんでした。ちなみに、1964年の東京オリンピック、1998年の長野オリンピックは振袖です。

 

世界各国を、その国の地理や歴史、文化、自然、伝承など、深く探究し、今の日本の染織の技で開花させた KIMONOプロジェクトの振袖と帯。開会式でのお披露目を目標としていましたが、みることは叶いませんでした。
 
着物は、日本が世界に誇る衣裳なのに、今の時代が求めるサスティナブルさを体現しているのに、
 
なぜなのか…。
 
真夏の大会であること、着物は着付けという手間がかかり着付け師や着付けの場所の確保が難しいこと、その他、色々なことはあると思いますが、
 
『 東京2020の「多様性と調和」というテーマと日本の伝統的民族衣裳である「着物」がそぐわない』
 
多様性と伝統との釣り合いをとることのできる式典の統率者がいなかった
 
というのが大きな要因だと推察しております。
 

 

①基本的に若い女性限定の着装となる振袖(未婚女性の第一礼装)であることは、日本が、男女平等、ジェンダー推進の国際社会の成熟度に追いついていないとなってしまう可能性がある

 

複数の国にルーツがある選手の起用や組織委員会をはじめとしたジェンダー平等思想にその方向性が透けて見えます。

 

本当の意味で日本に「多様性」が浸透していたら、杞憂でしかないのに…、日本がIOCに「多様性」を「忖度」した結果ではないかと思うのです。

 

明治政府による欧化政策の鹿鳴館を彷彿とさせる開会式だったと思います。

 

 

②オリンピックと併走しての文化推進としては、文化庁主催の日本博があるので、着物はそちらでの起用で文化振興を果たす。

 
オリンピックは今は「スポーツの祭典」ですが、かつては「スポーツと芸術の祭典」で、1912年ストックホルムオリンピック〜1948年ロンドンオリンピックまでは芸術競技もあり、文学、音楽、絵画、彫刻、建築の5種目がありメダルが授与されています。
 
競技ではなくなりましたが、その思想は現代まで引き継がれ、オリンピック憲章には「文化プログラムの実施はオリンピック開催国の義務である」と明記されています。加えて「オリンピック競技大会組織委員会は、短くともオリンピック村の開村期間、複数の文化イベントのプログラムを計画しなければならない。このプログラムは、IOC理事会に提出して事前の承認を得るものとする」とあるのです。
 
2020年には、東京国立博物館で「きもの展」、京都市京セラ博物館で「2020着物に世界を映す 〜213の国と地域の着物〜」展が開催されています。どちらも日本博の事業ではありますが、コロナ禍での開催となり、海外の方にみていただくという状況ではありませんでした。
 
現在日本に在住している海外メディアは日本文化を紹介したくても、自由に日本国内を取材できるような状況にはありません。
 
オリンピック式典での起用は無理でも、世界中のメディアがあつまるプレスセンターか選手村、文化庁主催の日本博など、今でもチャンスはあるのでは…、
 
どうか、今の日本の染織の技を(ここ大事)、美しさを世界中に知ってもらう自国でのオリンピック開催という最大のチャンスを生かしてほしい。
 
本当に目的が同じなら、多くの方が望むなら、まだ叶うのでは…と、望みは捨てずに期待しています。
 
2020年7月29日  文責 朝香沙都子