9月9日は重陽の節句です。

 

中国では奇数は陽の数とされその極みの9が重なる日は「重陽(ちょうよう)」とされました。

 

菊は奈良時代末期に唐から伝来し、当初は薬草として使われ後に観賞用になります。ただし確証はなく、万葉集、古事記、日本書紀などには書かれていません。平安時代に極限られた人々によって栽培されますが、一般に普及したのは江戸時代になってから。重陽の節句が日本に伝わると、宮中では菊の花を浮かべたお酒を飲む菊花の宴を催し、菊花の杯で邪気を祓ったとされています。

 

節句の前夜には菊の花を真綿で覆い菊の香りを移します。重陽の節句の早朝に露に湿ったこの真綿で顔をぬぐい長寿を祈願するという日本独自の行事が生まれました。

これが「菊被綿」です。

 

古代中国では菊は仙境に咲く邪気を祓い延命長寿の効能がある花とされています。能の枕慈童(私がかつて習っていた宝生流ではこういいますが、観世流では菊慈童)という演目にもなっているお話なのですが、ザックリとご説明すると…、

 

魏の文帝の頃、勅使が酈縣山の麓から涌く霊水の源を探しに行くと菊の花が咲く山の庵で少年と出会います。その少年は周の穆王に仕えていたというのです。周というのは遥か昔の国(紀元前11世紀~紀元前256年?※諸説あり)の700年も昔の国のことでいぶかしむと、少年は周の穆王に仕えていたが、王の枕をまたいでしまったことから、罰としてこの山に配流されたとのこと。でも少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に法華経の二句の妙文を書きそえて少年に与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと葉の露が霊薬となって少年は700年も不老長寿のままだったというお話からきています。

 

重陽の節句は菊の節句ともいわれますが、新暦(グレゴリオ太陽暦)の9月9日はまだまだ残暑厳しく、本来は菊の花は咲いていません。やはり旧暦の重陽のころから菊の花は咲きはじめるのではないでしょうか。

 

きものの着用時季としては、写実的な菊文様はやはり秋が相応しいとは思いますが、抽象的な菊文様は季節を問わずに着ています。

 

重陽の節句の朝