東日本大震災から9年…。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる日本人ですが、忘れてはいけない、風化させてはいけない日です。

 

震災直後の日本は自粛ムード一色で、着物を着て歩くことが後ろめたいような空気感でいっぱいでした。

 

多くの人にとって着物を着ることは特別なことで、着付けはお稽古事となり、着慣れない人は着崩れるかもという不安定さ、何よりも着物業界が着物の過剰な特別感(文化的価値や希少価値)ばかりを売り物としたことが、木綿や紬であっても「こんな時にまで着物着て〜」と白い目で見られてしまうような状況をつくりだしてしまった…。

 

着物への過剰な幻想や特別感にはげんなりしますが、形が決まっていることから多様な素材が今もあり、自然の恵みと人の手間隙がかけられ、四季を謳歌する色、祈りや願いが込められた文様を表現するための技があり、何よりも1枚の反物に戻し再生することができるという「サスティナブル」さを持つ、日本の染織を、着物という衣装を愛しています。

 

国難のとき、ただ自粛していても何も世の中には還元できません。

自分にできることをするのみです。

 

そして、どんなときでもその場に応じた着物を着た生活をつづけたいと願っています。

 

着物は日本人にとって大切なものですが、失いかけてから気がつくものとなりつつあります。

 

私はつくり手にはなれませんが、着物を着る人でありつづけたい。

 

そのために良さを知り、伝承していきたいものです。

 

 

 

現在も新型コロナウィルスの流行という未曾有の危機的な状況ではありますが、今も着物生活ができていることに感謝しつつ。

 

あらためて哀悼の意を表し黙祷を捧げます。

 

朝香沙都子拝