大嘗宮への歩き方 の つづき^^/

 

大嘗宮一般参観は本日が最終日です。

 

大嘗祭は天皇陛下ご即位後、最初の新嘗祭。

最も重要な宮中祭祀であり皇室行事です。

 

大嘗祭のために造営される大嘗宮は儀式の後は解体されます。

 

収穫祭である新嘗祭の形式が定まったのは皇極天皇の頃といわれていますが、践阼後の大嘗祭は持統天皇の御世に律令制と行政機構と共に祭祀として整い現在に至ります。途中、1466年(文正元年)土御門天皇の御世の大嘗祭の後、応仁の乱による京都の疲弊から220年の間中断されてしまいますが、1687年(貞享4年)に徳川綱吉が霊元上皇の強い朝廷復興の意向を汲み取り、東山天皇の御即位に伴い大嘗祭を復活させました。その後も中断されることがあるものの、徳川吉宗により桜町天皇の御即位から復活しました。

 

国事行為ではない大嘗祭ですが常に時の政権の意向が反映しています。


大嘗祭は、建築、神具、装束、御神楽など、日本の伝統文化が踏襲された貴重な儀式です。

 

しかし、文化は経費がかかるもの。

 

華美ではなくとも、昔ながらのもの、人の手がかかるものは経費はかかるのです。

 

令和の大嘗宮の新設に関しては、皇室の中からも「身の丈にあった儀式にとどめる。大嘗宮ではなく宮中三殿の神嘉殿で執り行い大嘗宮を新設しない」という具体案が提示されました。

 

ということは…、次の御世には大嘗宮はつくられない…、

再び大嘗宮をみることはないかもしれません。

 

大嘗宮は「構うるに黒木を以てし、葺くに青草を以てせよ」と、再興の折りにも守られてきました。

 

 

ですが、経費削減と工期の時間不足から茅葺きから板葺きに変更されています。茅葺きは稲作農耕儀礼の形を表したものです。そこを断念せざるを得なかったことは残念。

 

平成の大嘗宮と令和の大嘗宮の図面で比べてみましょう。

 
廻立殿、悠紀殿、主基殿の屋根材の変更だけではなく、
小忌幄舎、殿外小忌幄舎、雨儀廊下、斎庫・受取所など縮小されています。
膳屋は木造から白帆布屋根になりプレハブの鉄骨づくりです。

 

 

大嘗宮の建設に明治期から携わっているのが、社寺建築に強い清水建設。

 

一般競争入札は5月に宮内庁で行われ、清水、鹿島、大成建設、大林組の大手ゼネコン4社が参加。約15億4200万円(税込み)の予定価格に対し、清水建設は6割の9億5700万円で落札しています。

 

古式床しき建築は、日本の秋に良く似合う。

 
つづきます
 

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