人は禁断の果実を食べたことによって、羞恥心が芽生え、衣を纏うようになったといわれています。 旧約聖書「創世記」にある、アダムとイブのお話ですね。 

 

衣を纏うようになると、人は自分の存在を、身分を、衣服で表すようになりました。

 

 

支配する側は労働をしなくてもいいこと誇示するようになります。手足が動きにくいものを着る。日本ではこれが衣冠束帯といわれる大袖の装束。

 

支配される側は労働する為に動きやすいものを着る。こちらが小袖。元々は大袖の中の下着として着られていたもの。現在の着物の原型です。

 

 

支配する側が特権階級である身分を視覚的に表すことで、支配される側への洗脳行為を行なうというのは、服飾史にみられる歴史的背景です。

 

 

平安時代末期、公家に仕える武士の棟梁であった平清盛に公家の装束の着用を許したことによって、公家社会の身分制度が崩れ、これが武士の台頭のきっかけとなり、武家社会による封建制度がはじまります。

 

江戸時代には身分制度を維持するための衣服の統制令がいくつもだされています。絹は贅沢品とされ農民は身につけることができない。ちなみに紬は認められた。武士や町人に対しても細かな禁止令が相次ぎ、箔、縫い、絞りなど染織の加飾表現の技法にも制限がかけられます。ちなみにそれによって、型染めや友禅が発達することとなります。

 

明治維新を迎えると、欧米諸国に近代化したことを認知させるために、欧化政策が行なわれ皇室や上層階級は率先して洋装化していく。平民は四民平等となりました。

 

そして、戦後…。

日本は自由の国となりました。

 

現代は、身分制度があるわけではなく、抑圧が少ないだけに、政治の生活への反映が希薄に感じられるのかもしれません。

 

しかし歴史を鑑みれば、服装の自由は当たり前のことではない。

 

自由な今の時代だからこそ、様々な素材、色、そして加飾表現が活かされた着物を楽しむことができるのです。

 

そう考えたら、着物警察なんて…恐れるにおよばず。

 

 

今日は参議院選挙、投票日です。