キム•カーダシアンの「KIMONO」を商標登録出願中の問題。

 

それにからんで、海外での「KIMONO」の知名度と認識の話がでていますが、今でも西洋で「ガウンの形状の室内着」のことが「KIMONO」と呼ばれるには理由があるのです。

 

17世紀後半(江戸時代)に、日本の着物はオランダ商船を通じてヨーロッパへ渡り、オランダの知識階級では着物をローブの形状(ガウンと概念が重なる)の室内着へと仕立て直したものが流行します。

 

有名なところでは、フェルメール「天文学者」に描かれているもの。

 

そして日本は明治維新を迎え、武家社会が終わるとともに、大量の型紙をはじめとした日本の工芸品が一気にヨーロッパに流出することになります。明治期の染織の技法や意匠のヨーロッパと日本の関係は、数多くの美術工芸品に反映されて現代までつづいているのです。

 

当時のヨーロッパはコルセットで雁字搦めのドレスの時代。日本の「KIMONO」はコルセットをしなくても着ることができる開放的なものとして室内着として流行したのだそう。直線的で平面的なデザインにつかわれたのが日本的な意匠であったということもポイント。

 

そして、日本は海外向けの「KIMONO」をつくり輸出するのです。

着物は一反の反物を8分割しますが、これにはマチがあり、いわゆる洋服と同じ裁断図からつくられていたのだそうです。

 

このローブの形状をした室内着は、海外での名称は「KIMONO」として定着しました。今でも前であわせて紐でとめるガウン状のものがKIMONOといわれる由縁です。

 


 

孔雀の刺繍の打掛のようなものは、飯田髙島屋がつくった輸出用室内着。

「ファッションとアート 麗しき東西交流」展 内覧会 at 横浜美術館 レポートより

 

明治時代に欧米化を試みた日本人がつくった着物から派生したものが海外で「KIMONO」という名称として定着するのと、国際社会の現代において、他国の人が「KIMONO」という名称をつかい登録商標を得て私的な権利の独占につかうのでは全く意味が違います。

 

日本人が海外向けにつくったものが、KIMONOという名前で定着しているのは歴史的背景があってこそなのです。←ここ重要です!!!