「白石の和紙 〜名産紙布•紙衣を中心に〜」展 が 紙の博物館で開催中(〜 6月9日まで)
「紙布」は和紙を細く切って撚りをかけ糸にして織った布のこと。
楮から繊維を取り出して、手で紙を漉いて和紙をつくるということだけでも、技と労力を必要とするのに、それから糸にして織り布にるすというのはあまりに手間がかかりすぎると思っていたのですが、実はこの糸づくりは美しい布をつくるために考え抜かれたものだと思っています。
「紙子」は粘り強い和紙を揉んで柿渋を塗った布。僧侶の衣や武士の防寒用の胴着や寝具によく使われておりました。
宮城県白石地方は和紙の名産地。
江戸時代に白石藩片倉家の奨励保護によって発展します。
この日は紙布作家の池田明美さんと元奥州白石郷土工芸研究所員紙布担当の佐藤和子さんとの講演会がありました。
会場は超満員。紙布に興味がある人が多いことに驚くとともに、この手間のかかるけれどもとても洗練された織物の魅力が蔓延していったらいいなあ…と。
池田明美さんの解説によると、白石紙布は大坂夏の陣で片倉重長が真田の兵士を捕虜としたことが起源とされているのだそう。
大坂夏の陣の後に匿われた真田幸村の娘は片倉重長の妻に次男の守信は片倉重長に保護され後に仙台真田氏となっていて、真田氏と片倉氏の関係は深いです。
池田さんの推測によると、白石紙布の原点は真田氏が九度山に蟄居した中で、高野紙などをつかって武具をつくったのが始まりではないかとのこと。
池田さんの資料より
紙布の材料は「楮」「穀(かじ)」
「楮」は、染色体39のニカジ。
和紙に漉くと乾いている時に強く、滑らか。
「穀(かじ)」は染色体26のマカジ、クサカジ。雌雄あり。
和紙に漉くと、濡れているときも強く、ふんわりと柔らかい紙。
池田明美さんが着用された経糸木綿糸緯糸紙糸の紙布の裂地
白石和紙は明治維新の藩政改革によって藩からの保護を受けられなくなり、そして洋紙の普及によって衰退していきます。
昭和には廃れてしまった白石和紙ですが、片倉家15代当主片倉信光、紙漉き職人の遠藤忠雄、呉服問屋の佐藤忠太郎は、1940年に「奥州白石郷土工芸研究所」を立ち上げ、その調査研究と復興に尽力されました。
右から時計回りに、紙布作家の妹尾直子さん、木綿織作家の大熊美智子さん、紬織作家の大高美由紀さんと♬
日本人はとりわけ紙を愛してきました。
住居とした室内には和紙でつくられた障子と襖。仕切りには屏風がつかわれます。柔らかい外との遮断による空間づくりです。
懐紙を持ち歩き、言葉をつたえるだけでなく文字の美しさを表すための受け皿としてのこだわりもみられます。
涼をとるための扇子、油を塗って防水加工することで傘にもつかわれています。
日本人と紙と布はとても深くつながっているのです。
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