父は後回しということが嫌いな人でした。
先へ先へと急ぐ性格でしたが、人生の幕引きまでこんなに急にいかなくても…、と思っております。
この数年、いくつかの癌を患い何度か手術をしておりますが、それを克服し、この正月も医師として働いておりました。
大晦日も、年が明けて2日も「患者さんが待っているから…」と、体調不良でも職場へとでかけていきましたが、自分自身は3日までは病院は正月休みで職員に迷惑がかかるからと何も言わず、4日から入院することになり、そして帰らぬ人となってしまいました。
病床で自分の意識がある時間を推定し、今後のことを息絶え絶えの状態で指示し、自分の言葉では意志を伝えることができない状態になってからも、自分自身の脈を自分で測って、血中酸素濃度を確認して、自分の身体で、症状と数値を照らし合わせて立証し、自分の寿命を割り出して、医師としての人生を全うしました。充実した人生だったと申しておりました。
以前に「人にはそれぞれ生きている上で役割がある」と書きました。
この先もつづけられるかどうかはわかりませんが、私の役割は、着物生活を紹介することで「着物はいいものだ」と思っていただくことだと今も思っております。
父の死出の装束は、父が好んで着ていた白地の木綿絣を選びました。
たくさんの励ましのメッセージをありがとうございました。