天平の煌めき「第70回 正倉院展」at 奈良国立博物館 / 2018年秋 奈良の旅 その3 のつづき^^/

 

正倉院展が開催されている、奈良国立博物館。
その本館は舞踏会が行われそうな荘厳な建物です♡
 
正倉院宝物は戦時中、空襲を避けるために、こちらの奈良帝室博物館(現 奈良国立博物館本館)にて保管されていました。戦後、その宝物を正倉院へ戻す際に「正倉院へ戻すならその前に公開して欲しい〜」という民衆の声が届き、正倉院展として展覧されたのが、第1回目です。

 

重要文化財に指定されている奈良国立博物館本館の設計は、宮内省匠寮技師であった建築家の片山東熊によるもの。

 

片山東熊は、ジョサイア•コンドルの直弟子。

赤坂離宮(現 赤坂迎賓館)をはじめ、東京国立博物館表慶館、京都国立博物館特別展示館、神宮徴古館などを設計しています。

 

まさに宮廷建築の王道をいく。

 

しかし、1874年(明治27年)につくられた当初、神社仏閣の所領地であった奈良公園にはそぐわない外観だとして強烈なバッシングをうけたといいます。

 

さらに、赤坂離宮の完成後には、明治天皇から「贅沢だ…」とのお言葉があり、片山東熊の建築家としての力量は遺憾なく発揮されるものの、あまり報われていないかもしれません。赤坂迎賓館の花鳥の間。

赤坂迎賓館は、日本で唯一のネオ•バロック様式の荘厳な宮廷建築。

 

明治の西欧化政策による歴史主義建築が、当時の日本人の感覚では追いつけなかったということでしょうか。

 

今の日本に歴史主義建築が残っているのは嬉しい。

というかこの先、つくれまい…。

 

日本文化は島国であった利点を活かし、海外からの文化を選択して受けとめ独自に発展させてきたという歴史的背景があるのです。

 
フレンチルネサンス高揚期の欧風建築と着物はじつはとても合うラブラブ

 

現在は、飛鳥時代から鎌倉時代にいたる日本の仏像を中心に、国宝と重要文化財を含む常時100体近くの仏像を常設展示する、なら仏像館となっています。

 

1972年(昭和47年)には、吉村順三による設計で新館が完成し、正倉院展はこちらで開催されています。

 

鹿さんもカメラ目線目

 

明治の文豪の森鷗外は中将待遇の軍医総監であったことで有名ですが、晩年、1917年(大正6年)に帝室博物館総長兼図書頭に任命されています。国立博物館館長と宮内庁書陵部部長を兼ねていたようなものです。そのため、正倉院宝物の虫干しに立ちあうようになり、官位や爵位ではなく、研究者が立ち会えるように尽力しています。そして1920年(大正9年)より研究者が立ち会うようになったのだそうです。

 

森鴎外が詠んだ歌

 

夢の国 燃ゆるべきもの 燃えぬ国 木の校倉の とはに立つ国 〜

 

 

奈良の旅レポ、つづきます^^/

 

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