1260年あまりの悠久の時を経て、今も残る正倉院。

シルクロードの終着点といわれています。

 

そこにある宝物は、土に埋もれたものではなく、正倉という建物に納められ人に守られてきたものです。ゆえに染織品は色鮮やかに残り、香木は今もその効能を保っています。

 

大陸と海で隔てられ島国として守られたことから、海外からの文化を選択して受けとめることができ、独自の文化を発展させてきた日本ならではのもの。

 

開館と同時に「第70回正倉院展」が開催中の奈良国立博物館へいき、まずはボランティアの方による見どころ解説を拝聴して、ザックリ2時間くらい鑑賞してから、雨が降りださないうちに正倉院へ向かうことにしました。正倉院展は、閉館前のほうが空いているとのことで一旦外に出て再入場することに。

 

奈良国立博物館からみると正倉院は東大寺大仏殿から奥まったところにあります。

 

左手前が正倉院正倉、上両脇が東宝庫、西宝庫。そして右奥の大きな建物が東大寺大仏殿。

 

大仏池の公孫樹は色づきはじめ

 

大仏殿の裏はひっそりとしていて鹿さんもいない^^;

 

奈良は歩く…。とにかく歩く…。

 

鹿とイノシシ、間違えないでね〜。と通りすがりの方にいわれましたが、イノシシに遭遇…したら、直立不動がいいのかしらん。

 

ようやく、正倉院「正倉」外構の入口に到着!

 
見えてきました。
 
ちなみに手前の池は防火用の人工池。正倉院正倉の前には避雷針が立っています。
 
入口には、正倉院創建当時の瓦と江戸時代天保期の瓦が展示されています。
 
さて、正倉院正倉です。
 
思っていたよりも大きい!
 
檜づくり、単層、寄棟本瓦葺きの高床式。
1913年(大正2年)の解体修理から100年を経過し、2011年(平成23年)から3年に渡って、屋根の葺き替えを主とした改修工事がされました。
 
北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20段井桁に重ねて壁体をつくった校倉づくり。
 
中倉は柱と柱の間に厚板を落とし込んだ板倉づくり。
 
地面から離れることで空気を通し土中の蒸発水を直接建物が受けない高床式。
 
上から見るとこんな感じ ※出典 産経フォト
 
中の構造は、北倉、中倉、南倉に仕切られて、二重構造。
 
宝物は唐櫃に入れて納められました。
 
 
正倉院は東大寺の正倉。正倉とは元来は正税を収蔵する倉庫のことで官庁に設けられたもの。大寺院ではそれぞれの寺領から納められたものを収蔵する倉庫のことを正倉といい、正倉が集まる一画を塀で囲ったところを正倉院と称していました。現在は東大寺正倉院の中の一棟のみが昔のままの状態で残っていることから、正倉院として固有名詞化しました。
 
北倉には聖武天皇の御遺愛品などが納められています。光明皇后が756年(天平勝宝8年)に聖武天皇のご冥福を祈念して東大寺大仏殿に奉献されたことが、正倉院宝庫の起こり。
 
北倉の開扉には勅許を必要とするので勅封倉といわれていました。
 
中倉と南倉は東大寺に関わる宝物が納められています。
明治以降はどちらも勅封倉となっていて、開封されることがないから、宝物が良好な状態を保っていたといわれています。
 
ちなみに、現在は正倉の両脇に建てられた鉄筋コンクリートづくりで空気調和装置が完備された西宝庫と東宝庫に収蔵されています。東宝庫には染織品や現在整理中のものが収蔵されているのだそう。そして今年は、2013年(平成25年)度から2年に渡って、宮内庁正倉院事務所によって行われた特別調査を踏まえて「麻」を用いた染織品が公開されました!
 
では、第70回正倉院展へ!
 
レポつづきます♪
 

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