福島の旅レポ のつづきです。

 

会津といえば…、会津若松城。旧称は黒川城、地元では鶴ヶ城といわれています。

 

層塔型5重5階の天守閣をもつ梯郭式平山城です。

黒川城時代は、芦名氏→伊達氏。若松城時代は、蒲生氏→上杉氏→蒲生氏→加藤氏→保科氏→会津松平家。

 

GWの旅は家族旅行なので…、染織関連探訪はできないのですが…(夢中になりすぎるので封印)。それでもアンテナだけは張っています。染織には歴史的背景があり、その土地の風土そして治世が影響しています。

 

○会津木綿○

 

1627年(寛永4年)に加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)が伊代松山藩から会津藩へ移封した際に、伊予木綿が会津に伝播したとされています。ちなみにその前の藩主であった蒲生氏郷が綿花栽培を奨励したことがはじまりともいわれます。蒲生氏郷は松坂藩主であり松坂木綿の産地です。しかし日本での綿花の流通や綿花の北限栽培の歴史から考えると辻褄があわないのです。

 

1643年(寛永20年)に保科正之が藩主となり、綿花栽培と藩士の妻女へ機織りを奨励し定着。明治になって紡糸紡績が発達し明治末期から大正にかけて力織機の大量生産による会津木綿の最盛期を迎えます。その頃は30社の織元があったのだそう。その後、原山織物工場と山田木綿織元のみとなり、現在は山田木綿織元のみとお聞きしました。福島県伝統的工芸品に指定されています。現在は原田織物も後継者の方が新ブランドを立ち上げられたようです。

 

GW中では工房見学はお願いできないので、お土産に裂地のみ購入♪

会津木綿は経糸を小麦粉糊につけ固く糊づけして緯糸を打ち込むのが特徴。力織機で織られていますが、緯糸には節糸がつかわれ手織り風の素朴な風合いがあります。かなりしっかりした固い木綿地です。

 

 

○会津型○

 

喜多方ラーメンで有名な喜多方の小野寺家では江戸時代後期から昭和初期にかけて型紙がつくられていました。小野寺家のルーツは伊勢地方にあり伊勢型紙の技術を喜多方へと持ちこんだようです。その頃の東北地方では絣織が少なく、型染めで絣文様を染めるなど独自の進化をしています。

 

小野寺家は会津藩より染型紙商と漆器業の公認を受けて5代にわたって会津型を発展させました。しかし1935年(昭和10年)に廃業。

 

平成になり小野寺家から古文書と型紙、道具類4万点が喜多方市へと寄贈され、福島県重要文化財に指定されました。

 

現在は喜多方市で会津型に魅せられた会津型研究会によって研究され復刻されています。

 

旅して歴史を探ると染織にいきあたる…。

 

福島の旅レポ、つづきます!

 

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