東京国立博物館 法隆寺宝物館にて、重要文化財「蜀江錦」が展示されています。(〜2月12日まで)

 

「蜀江錦(しょっこうきん)」とは、古代中国の蜀でつくられた織物のこと。蜀江は中国四川省付近を流れる河。三国志で劉備が平定した蜀漢で有名です。この付近は古くから上質の絹織物がつくられていました。亀甲繋ぎや連珠円文、格子八角形の幾何学文様に花や動物が配された文様が基本形です。日本へは飛鳥時代に伝来し国内でも制作されるようになったといわれています。

 

後に日本では蜀江錦文様としての文様形式として盛んに織られ現在に至ります。能「翁」の装束としてつかわれたことから吉祥文様的にもつかわれ帯地だけでなく、江戸時代の浮世絵では小袖や夜着にも描かれているのをみることができます。

 

上代裂の双璧といわれる「法隆寺裂」と「正倉院裂」。
法隆寺裂は経錦が多く、正倉院裂は緯錦が多い、それはなぜか?
 
経錦は二本以上の複数の色糸を一組として綜絖を組み、文様の部分を生地の表面に浮かせて織りだします。経糸にする生地の幅には限度があるので色数は限られる。対して、緯錦は開口した経糸に緯糸を通すことになるので多くの色数をつかうことが可能。服飾史では、錦織の技法は経錦が先に考案され、後に色数、文様の多様性から緯錦が織られるようになったといわれています。
 
世界最古の現存の染織品といわれる法隆寺裂は7世紀後半から8世紀前半のものが大半であり(その後のものもあり)、正倉院裂は8世紀中期以降のものです。
 
法隆寺裂は正倉院裂よりも約120年前のもの。古代の100年という年月はその頃の生活や寿命を考えるととても長い年月なのです。その間に織りの技法が多様性を求めて発展を遂げたと推察されます。この辺りを探究しながら鑑賞すると面白くてたまらない…(〃∇〃)♪

 

左◇蜀江錦褥残欠   /   右◇蜀江錦帯


右手前の蜀江錦の帯は、法隆寺の言い伝えによると聖徳太子の妃であった膳妃(かしわでのきさき)の下帯とされています。帯としては長く広いために他の用途であった可能性もあるようです。

膳妃は598年(推古6年)に厩戸皇子(聖徳太子)の妃となり622年(推古30年)になくなっています。この帯は7世紀のものと推定。こんなに鮮やかに色が残っていることに驚く。


格子に蓮の花が経錦で織りだされたもの。

同じ文様の裂地は「善光寺如来御書箱」「蜀江大幡」にもつかわれています。

 

褥(じょく)は、机や台につかわれる敷物のこと。


濃い赤色の亀甲繋文の中に花と鳥と動物が配されています。葉の形状にもみえ後に唐草文様へ発展していったという説もあります。織り幅の横に違う文様が並ぶというのは珍しい。


左◇蜀江錦綾幡  / 右◇蜀江錦綾幡(模造)龍村美術織物

幡は仏殿の荘厳につかわれる旗の一種

 

幡の周囲には蜀江錦の蓮華文

内側には鳳凰の連珠円文があります。中国西域トルファンのアスターナ古墳群から酷似した錦が出土しています。

 

こちらは龍村による復元品

当時の鮮やかさが再現されています。

 

両者を並べて見比べると、悠久の時を経てきたもののほうに妙に魅かれる。

 

東京国立博物館法隆寺宝物館は1878年(明治11年)に法隆寺から皇室へ献上され、
戦後に国へ移管された300件あまりの宝物を収蔵し展示しています。飛鳥時代に想いを馳せるに適した静かな空間です。

 

※東京国立博物館法隆寺宝物館では一般にも撮影が許可されています。ただし、フラッシュ撮影、自撮棒や三脚は禁止です。マナーとしてシャッター音は控えるといったことを守りましょう。

 

 

東京国立博物館では、現在他にも魅力的な展示会が目白押し。

会期終了が迫った<蜀江錦>の公開のみを優先してご紹介させていただきました。

レポが溜ってますが…、追々。

 

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