衣紋道高倉流の衣紋はじめの儀へ。

 

「衣紋はじめ」とは、衣紋道高倉流の1年間の有職故実・衣紋道の興隆発展を祈願しつつ一門の研鑽を誓願する式典と儀式のこと。皇族の方もご臨席されます。

 

「衣紋道」とは装束の着装法のこと。

装束も衣服のひとつですので、平安時代摂関政治の頃までは装束は緩やかなゆったりしたもの(柔装束)を自分で着用していたと考えられています。平安末期、院政を行った鳥羽上皇は装束に対して並々ならぬこだわりがあり、生地を厚くし糊を利かせて、かっちりした姿を好みました。衣紋道の祖と称される源有仁と共に装束のデザインに取り組み、威儀正しく美しい装束を考案しました。これが「強装束(こわしょうぞく)」です。強装束は、ごわごわして着にくいため特別な着付け技術が必要となり、この技術が衣紋道となりました。

 

衣紋の技を体得した公家の中で徳大寺家、大炊御門家が有能な装束師を輩出し、徳大寺家から山科流、大炊御門家から高倉流が生まれました。現在の宮中でも並立して採用されています。衣紋道高倉流の現当主は二十五世高倉永満御家元。

 

高倉家と宗会頭の仙石宗久先生はは、今上天皇のご成婚、三笠宮寛仁親王のご成婚、秋篠宮親王のご成婚、今上天皇の大礼祭、大嘗祭、立太子礼をはじめとした皇族の方の衣紋を奉仕されています。

 

●衣紋はじめの儀●

 

•修祓(しゅばつ) / 参列者一同を御祓いしていただく

•降神(こうじん) / 御霊を神籬(ひもろぎ)にお迎えする

※神籬とは神域以外において祭祀を行う際の神さまをお迎えする依り代のこと

•献饌(けんせん) / 神饌物(みけもの)を神前にお供えする

•詔奏上(みことのりほうじょう) / 1年の事跡をご報告する
•玉串奉奠(たまぐしほうてん) / 榊を神前に捧げる
•撤饌(てっせん) / 神前から神饌物(みけもの)をお下げする
•昇神(しょうじん) / 御霊にお還り願う

 

祭壇に飾られているものは、最上段には榊、その下には、鮎の甘露煮、御餅、御酒、
鯛の尾頭付き、塩、メロン、利尻昆布、椎茸、お饅頭の十種。これらは直会の福引にてお福わけされました。私は鮎の甘露煮をいただきました♡

 

●御服はじめ●

宗会頭の仙石宗久先生による、平安時代の「褻」と「晴れ」の十二単の講義。

 

十二単というのは後世になって生まれた俗称。十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基本は8枚。重ねる打衣の枚数が5枚になったことから過「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」というのが正式名称です。現在は正式な十二単は宮中の儀式において皇族の方が着装されますが、もとは目上の方に仕えるものが敬意を表して着装したものであり女房装束といわれています。

 

十二単の着装の仕方にも、晴れと褻があり、あまり表にでることはない、褻の着装が紹介されました。

 

九条兼実日記「玉葉」に残る女房装束の表着と打衣を略して着装した様子

実際に再現されました。さらに動きやすいように右肩を脱いで作業することも。

とてもスムーズにこなされていて十二単を着慣れていらっしゃるぐらいにみえました。実は妃殿下の御前で右肩がうまく脱げるか…、大変緊張されたそうです。

 

直会の会へつづきます♪

 

。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

 Facebookページに「いいね!」をくださる皆さまありがとうございます。

相互交流までの余裕がなく心苦しく思いますが、励みになっております。
皆さまの寛容さと染織に対する好奇心が私の原動力です♡

 

「きものカンタービレ♪」のFacebookページ矢印