戦国時代、武勲をたてたものには「知行」が与えられました。知行というのは封建時代に生まれた土地を支配する概念のこと。土地を治め開発しそこから得られる収入がそのまま与えられ文字通り一国一城の主となりました。
しかし日本は狭く武勲で与えることができる土地には限りがあります。そこでそれに変わる恩賞として生みだされたものがありました。今で言うところのブランド的価値があるもの「茶道具」です。この制度というか流れをつくりだしたのは、織田信長であり、千利休が茶道具に価値をつけたことになります。生きるか死ぬかという殺伐とした中で茶道という禅にも通じる世界観がもたらしたものでしょう。
いつの時代も希少価値があるものは高値で珍重され、銘がつけられます。それには物語性も加わり、さらにさらに興味深いものになっていく…。
数々の逸話をもつ名香がありますが、その中でも「一木三銘」か「一木四銘」かと逸話のある名香「白菊」を聞く会
衣紋道高倉流東京道場にて、宗会頭の仙石宗久先生が所有されている勅銘香(天皇が名前をつけられた香)18種から「白菊」「楊貴妃」、そして「宴」を聞き、「白菊」を聞き当てるという、とんでもない贅沢な趣向でした^^;
「白菊」は、森鴎外の小説「興津弥五右衛門の遺書」で有名な名香。
1624年(寛永元年)長崎についたベトナムとの交易船につまれていた香木を細川三斎と伊達政宗の家臣で奪い合います。細川家は高値をつけ本木を、伊達家は末木を持ち帰ります。細川三斎はこの香に「初音」と名づけました。二年後に後水尾天皇の所望により初音を披露すると後水尾天皇は「たぐいありと 誰かはいはん 末匂う 秋よりのちの 白菊の花」と歌にちなんで「白菊」と勅命されました。そして、末木を手に入れた伊達政宗は「柴舟」と名づけます。よって一木三銘の香といわれています。
他に、勅銘は「蘭(ふじばかま)」、前田家が「初音」、細川家が「白菊」、伊達家が「柴舟」と名づけたという一木四銘の説もあるのだそう。
この香の買い付けを巡って、細川家の家臣である興津と横田で争いになってしまい、興津は横田を斬ってしまいます。興津は自ら切腹することを願い出ますが細川三斎は興津を讃え横田の跡継ぎと遺恨を残さぬように手打ちをはかります。興津はその恩を感じ細川家に尽くし三斎の一周忌に遺書を残して殉死する。明治天皇の崩御後に乃木希典が殉死したことを受けて森鴎外が小説としたのが「興津弥五右衛門の遺書」です。
類い稀なる名香は、絹に残り香を残してくれ幸せでした〜:*:・( ̄∀ ̄)・:*:♡
床のお軸は有栖川宮威仁親王殿下筆
仁清焼の菊の冠香合
仙石先生、貴重なものをありがとうございました〜♪
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