花織は琉球染織の代表的な紋織物。15世紀はじめの琉球の交易時代に南方系から浮織の技術が伝来し、琉球王朝時代に王府の御用布に指定されたことで技術が向上し、盛んに織られるようになりました。


これは琉球の花織ではなく京都でつくられた花織風の紬。沖縄で染織をされている方々も驚いた量産型の紋織物です。いわば、琉球染織の花織の模造品の進化系ではありますが、これを琉球の手機の花織ですといって売っていたり、高額な値札をつけておいて電卓を叩いて「今だけ…」とお安く売ったら問題ですが、はじめから京都西陣でつくられた花織風の紬として求めやすい価格で販売されていたものです。

 

京都という他産地でされてしまうと…、花織を真似された、、と複雑な想いなのかもしれませんが(南風原や石垣島のつくり手の方々は真剣にルーペでみて検証してましたが…)、花織の存在の認知を増やすことで、琉球の花織の本家本元の良さと販売の活路が広がるということがあります。違いがきちんと明記されていれば、わかりやすいディフュージョンラインのようなものの存在というのはありなのではないでしょうか。

 

小倉織の築城則子さんは、その辺りをとても上手にされています。もちろんご自身のブランドのディフュージョンラインなのでそもそもオリジナルですが、小倉織を日本だけでなく世界的に認知させた好例です。

 

少なくても、着物生活をしている私は、お値段のケタが0一つ以上違う、着心地や光沢をじっくり味わう本家本元の琉球の花織と、気軽に着られる量産型のお手頃価格なこちらの花織風の紬を、その資質を理解した上で違いも含めて、どちらも楽しんでいます。

 

「そんなオタクは朝香さんぐらいです…」といわれることがありますが、そんなことはありません。何よりもこれから先、情報化社会で育った次世代には、私よりもっと極めたツワモノが必ずでてきます。そしてオタクには収集癖があり、自分が納得できる良いものなら金に糸目を付けず購入します。今は買わないだけです。

 

いわゆる今流行のインスタ映えは、着心地も風合いも光沢すらディスプレイ上では関係ないのですからレンタルしか生き残れないかもしれません。
 

インスタ映えの着物好きだけでなく、オタクの若者を上手く育てることは、着物業界にとって実は種まきになるのですが…、すぐに刈り取ることしか考えない人ばかりでは未来は無い。

 

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ひとえ仕立ての西陣の花織の紬に雀に稲穂と鳴子の織なごや帯をコーディネート

 

帯あげは加藤萬の無地の縮緬、帯〆は龍工房

 

稲穂に鳴子。鳴子は稲の実を食べてしまう雀を追い払うためのもの。木の板に竹筒がついていて触れると音が鳴ります。

農薬散布がされることが無かったころは当たり前のようにみられた日本の秋の情景だったはず。狩野常信「鳴子稲田雀図」

 

 

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