10月となりました。

東京は爽やかな秋晴れです。

 

いわゆる「衣更え」の慣習では、10月1日からは冬物、着物では袷となります。

衣更えは宮中ではじまり、武家社会、そして一般へと広がっていきました。

 

明治に入ると西洋化政策がすすみ、1872年(明治5年)に太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦されました。それに伴って、明治政府は、役人、軍人、警察官の制服の衣替えをグレゴリオ暦の6月1日~9月30日を夏服、10月1日~5月31日を冬服と制定しています。

 

現在の着物の衣更えの習慣は、この時の明治政府の定めた制服の衣替えに倣ったものです。戦後になって洋装化が進み、着付教室なるものができたことによって、衣更えのルールが、さらに細かくマニュアル化されたように思います。

 

ちなみに、ことのはじまりである宮中や武家は特権階級。身分を示す装束で行事をこなすことが重要な仕事。明治政府が衣更えを制定したのは、制服。制服は場合によっては礼服として認められるものでもあります。

 

一般人でも通過儀礼や式典には服装規定がありそれに準じて従うというマナーがあります。これは着物だけではなく洋装にもあります。洋装の場合はドレスにも色々ありますが端的にいってしまえばドレスとジーンズの違いはわかりやすい。ですが、着物は1反の反物を8つに平面裁断しつくる形は決まっています。その中で素材、色と柄づけや文様、仕立てで、格や季節を表します。これが、すっかり洋装化されてしまった社会ではわかりにくいものとなったのか、着物はしきたりがあって難しいもの…となってしまった要因のひとつのように思います。

 

ですが決まった形の中に無限のバリエーションがあり、そこに知識と教養、そして遊び心が見え隠れするというのが、着物の最大の魅力です。

 

昨今では夏の結婚式の花嫁衣裳が袷仕様であったり、黒留袖も袷で統一されていることが多く、式典もその会の雰囲気に合わせた臨機応変の装いが相応しいようになってきました。式典などでは、本来のしきたりより統一感が求められることもあります。

 

着物を着ること事態が特別なものとなってきているので、礼装も準礼装も曖昧となってしまい、これについては残念にも思っています。特に礼装には留袖や五つ紋付といった素晴しい衣裳文化があるのですから、祝う気持ち、弔う気持ちを衣を纏って表現するという本来のしきたりが残って欲しいものです。

 

だからこそ、日常着は気候にあわせたものを着るという選択があっていいように思います。人は装うことで、日常生活の範疇であるケ(褻)の日と非日常であるハレ(晴れ)の日の区別をつけることもあります。そしてそれこそが文化であると思っております。


まだまだ25℃以上の気温がつづきます。

着物の難点は着脱ができないということ。着物生活をしている私は、日常ではほぼ年中単衣で過ごしています。でも10月1日の伊勢神宮の御垣内正式参拝では暑くても袷にしました。これはハレとケのメリハリをつける自分自身の気持ちの問題ですね。ですが一人での御垣内正式参拝でしたら単衣の準礼装にしたかもしれません。

 

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